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知多半島総合研究所「地域を学ぶ歴史講座」を開催しました

レポート
2026年07月14日

知多半島総合研究所は、愛知県の知多半島地域における歴史、文化、産業、生活、福祉などを総合的に調査・分析・研究する本学の付置研究所として1988年5月1日に設立されました。地域が抱える課題の解決や、産官学民の連携推進を目指して活動しています。「地域を学ぶ歴史講座」では、これまで知多北部・名古屋南部の歴史に焦点をあて、本年度前編として、幕末維新期の社会の変化と人々対応について全3回の講座を開講しました。

2026年7月1日、東海市芸術劇場にて「地域を学ぶ歴史講座」の第3回が開催されました。定員200名の会場が満席となり、地域の歴史への関心の高さがうかがえました。はじめに曲田浩和 研究所長の挨拶があり、講演者の早稲田大学 教育・総合科学学術院 教授の大橋幸泰氏が紹介されました。大橋氏の講演では、「大浜騒動を通じて考えるキリシタン禁制と神仏分離」をテーマに、明治初期の宗教政策と民衆の思いがひもとかれました。

曲田 浩和 知多半島総合研究所 所長
会場となった東海市芸術劇場多目的ホール

はじめに

明治政府は、江戸時代以来のキリシタン禁制を継承する一方で、欧米諸国と向き合うための精神的支柱を必要としていました。そこで進められたのが、神道と仏教を分ける神仏分離であり、神道を国の中心に据えようとする政策です。

しかし、当時の人々にとって、神道と仏教は日々の暮らしの中で深く結びついたもの。明確に分けて考えることは容易ではなく、政府の宗教政策は各地で違和感や抵抗を生みます。大橋氏は、こうした時代状況を踏まえ、近世の終点であり近代の起点でもある時期の宗教問題を、大浜騒動から考えていきました。

大橋 幸泰(おおはし ゆきひろ) 早稲田大学 教育・総合科学学術院 教授

新政反対一揆に見る「切支丹」観

大浜騒動の発端は、菊間藩の役人が領内の寺院に寺院合併の可否を尋ねたことにありました。その背景には、政府の神仏分離・神道国教化の方針があります。これに対し、三河護法会に属する真宗僧侶たちが反発。西方寺・光輪寺へ詰問に向かう途中で多くの百姓が加わり、騒動は拡大していきます。やがて藩役人が殺害され、その首が「耶蘇の生首」と称されたという証言も残されています。

注目すべきは、明治政府が本来、キリスト教を禁じる方向性だったにもかかわらず、その政策が人々には「耶蘇」「切支丹」と捉えられた点です。人々の新政に対する不安の表れでした。大橋氏は、江戸時代を通じた厳しいキリシタン禁制の結果、「耶蘇」や「切支丹」が、実際のキリスト教だけでなく、理解しがたいもの、暮らしを脅かすものを表す言葉にもなっていたと説明しました。

江戸時代後期の排耶論

講演では、その背景として江戸時代後期の排耶論が紹介されました。江戸幕府のキリシタン禁制は、寺院が人々を檀家として把握し、キリシタンではないことを証明する宗門改によって支えられていました。いわば、仏教を動員した禁教政策だったといえます。

ところが江戸後期になると、仏教への批判が強まり、神道を重視する考え方が広がっていきます。一方で、人々の内面にある貪欲さや怠慢、社会を乱すものを「切支丹」になぞらえる見方も生まれました。こうした認識は、明治初年の民衆による新政府批判にもつながっていきます。

おわりに

大浜騒動は、三河国で起きた一つの地域事件です。けれども、そこに表れた言葉や人々の反応をたどると、近世から近代へ移る時代に、国家の宗教政策と民衆の生活感覚がどのようにぶつかったのかが見えてきます。地域の歴史を丁寧に読み解くことは、近代日本が宗教とどのように向き合ってきたのかを考える手がかりにもなります。大橋氏の講演は、大浜騒動を通して、地域史の中にある近代日本の成り立ちを読み解く視点を示すものでした。

左から、髙部淑子 研究所教授、大橋幸泰 教授、曲田浩和 研究所所長・教授

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