自分を育ててくれた辰野町に恩返しを

全国から入学した仲間との出会い

 駒ケ根市で生まれ育ちましたが、辰野高校で野球がしたくて、高校時代は辰野町内に下宿していました。とにかく野球一筋で、日本福祉大学を選んだのも野球部の先輩が進学していたからなんです。 
 県外に出て、色々な人と会ってみたい気持ちも大きかったことも進学する理由の1つにありました。実際に、北海道から沖縄まで全国からの学生と友だちになりました。文化や方言の違いに触れることができて楽しかったですね。また、長野県出身の学生がとても多く、地元出身者で組織される「長野県人会」にも時々顔を出しました。愛知県にいるのに地元の話が通じたりして、不思議な感じでした(笑)。

美浜は学生に優しいまち

 多くの学生が大学の近くに住んでいたので、連絡すればすぐに会えるし、理由もなく集まったりしていました。学生同士の距離が近く、一人暮らしでも寂しさを感じることは少なかったと思います。大学周辺には安くておいしいお店がたくさんあり、よく行きましたね。おかわり自由でボリュームたっぷり、本当に懐かしいです。店員も日本福祉大学の学生でしたし、学割があるお店も多くて、地元の人が学生を優しく迎えてくれている雰囲気がうれしかったです。

卒業後も支えてくれた大学

 大学3年生の時に大きなケガをして、野球を続けられなくなってしまいました。深く落ちこんでいた時、スポーツ心理学に興味を持ち、臨床心理士という新たな目標を見つけました。大学院を目ざして学部の友だちと一緒に猛勉強し、苦手な英語も基礎からやり直しました。そのかいあって大学院には合格したのですが、半年ほどで自分の目ざす道とは違うと感じ、退学してしまいました。
 それまで就職活動をしたことがなかったので、大学の先生に相談したところ、大学の就職支援を担当する職員さんを紹介してもらいました。職員さんが卒業生の私にも親身になって相談にのってくれて感激しました。そのおかげで、松本市内の会社に就職が決まりました。

辰野町に恩返ししたい

 就職後は松本市内で営業職として働きながら、辰野高校の野球部に練習や試合を見に行くようになりました。ある時、高校に行ってみると、辰野町役場で働く方と出会う機会があり、町のことをいろいろ知りました。自分の高校時代に、町のみなさんが練習や試合の応援をしてくれたことを思い返すと、町に恩返しがしたい気持ちが強くなりました。それで、公務員試験を受けることにしました。
 辰野には町外出身者を「よく来たね」と受け入れてくれる温かさがあります。一人暮らしを心配して「野菜を取りに来い」と声をかけてくださいます。上司も経験の少ない私をいつも気にかけてくれながら、仕事を任せてくれるのは本当にありがたいです。今は役場の野球部にも入り、休みのたびにプレーするのが楽しみの1つとなっています。

現場で生きる大学時代の学び

 現在は建設水道課で、上水道の運営と管理を担当しています。トラブルがあれば深夜でも駆けつけて対応しなければいけません。水道は町民の命を守る重要なライフラインですから、責任を持ってやり遂げたいと思っています。
 公務員は部署に関わらず「人」と向き合う仕事。これまで学んできた心理学は、今の仕事にも役立っていると実感しています。私が心理学を通して得たことは「聴く」ことの大切さです。町民の方々、工事を担当いただく業者さん、そして同僚や上司。話を表面的に理解するのではなく、小さな声にもじっくりと耳を傾けて丁寧にコミュニケーションを重ねていくことが大切だと思います。

大学と辰野のつながりを感じて

 辰野町には毎年、日本福祉大学の学生がたくさん来てくれます。「ほたる祭り」では一緒に「ぴっかり踊り」を踊って盛り上げてくれ、高齢化の進む地域のまちづくりから学びたいと言ってくれることも。自然や人とのふれあいから多くを感じてもらいたいですね。
 今年からは新しい地域おこし協力隊として学生が赴任してくれました。町の人たちも応援していますし、私も放っておけなくて(笑)。辰野町はみんなが家族のように助け合って暮らせる町。たくさんの人に来てもらいたいのはもちろん、大学進学で辰野を出た若い人たちがまた戻って活躍してくれたら、こんなにうれしいことはないですね。