一般社団法人 小さないのちのドア 施設長・保健師 西尾 和子さん 一般社団法人 小さないのちのドア 施設長・保健師 西尾 和子さん

一般社団法人 小さないのちのドア 
施設長・保健師

西尾 和子さん

YORIKO NISHIO

経済学部 2005年卒業
三重県/三重県立四日市商業高等学校

「すべての命に祝福を」。
揺るがぬ信念を携えて、
女性と生まれゆく命を助けたい。

「養子に出すぐらいなら、中絶した方がいい」。
そんな言葉が、この21世紀の今でも飛び出すのが、日本という国だ。
一般社団法人「小さないのちのドア」で望まない妊娠をした女性の相談に乗り、
さまざまな支援制度につなぐアドバイスをしている保健師の西尾和子さんは、
現場でたびたび、こんな悲しい言葉に出会う。
血族を大事にする日本では、根強く残る考え方なのかもしれない。
しかし、命は平等であり、その誕生は誰もが祝福されるべきである。
さまよう女性と小さな生命を救うため、今日も西尾さんは、
小さなドアを開けて訪れる女性の声に耳を傾ける。

現実を見て、現場を知って、
現場に揉まれてこよう。

日本福祉大学の学生時代、私は生涯の恩師に出会いました。野崎泰志先生です。私は高校のクラブ活動がきっかけで、途上国援助、慈善活動、戦争、貧困といったテーマに惹かれ、その分野が学びたいと思うようになりました。探し当てたのが、日本福祉大学経営学部経営開発学科の医療福祉コースです。現在の国際福祉開発学部ですね。

1年次の基礎ゼミの担当教諭が野崎先生でした。先生は、ネパールでNGO活動に従事されていた経験があり、まさに私の学びたい分野を専門とされていました。先生とは4年間を通じて、ほんとうに深く濃いお付き合いをさせていただきました。初めは怖かったんですが、座学だけではなく、体験に基づいた現場の厳しさなどのお話がとても面白くて。

私、基本的に理想が高いんです。だから、ついつい理想論を語ってしまうんですが、先生はそれをやみくもに否定することなく、「30代、40代までは、いっぱい現実を見て、現場を知って、現場に揉まれてくるといい」と。そして、「自分の力だけで理想を実現することには限界がある、だったら自分の思いを次の世代に伝えよう。そうすれば、自分と同じ思いを持った人が、100人、200人と増えてくる」と、おっしゃいました。つまり「教育」ということだったのだと思います。今はまだ、現場にいたいという思いが強いですが、いつの日か、思いを伝える人になりたいと思っています。

目の前の人を直接助けたいという
思いを叶えるために。

私が保健師をめざすきっかけを与えてくれたのも、野崎先生でした。3年生の春休みに、先生やゼミの仲間と共に1か月ほどネパールに滞在しました。多くの貧困の現場を見て回りました。現地にいる日本のNGOの方々は、主に「現地との調整役」を務めていました。私はその様子を見て、調整役は直接人と関われないな、と思いました。私のやりたいことは、「直接、目の前の人を助けること」だったんです。

また、ネパールで病院にかかれるのは、経済的に余裕があるほんの一握りの人だけです。あとの8割9割の人は、病院に行くことができません。治るはずもない、魔術師のような人のおまじないに頼っているのです。もちろん、病気は悪化してしまいます。貧困にあえぐ途上国では、まずは病気にかからないことが大事なんです。そんな中で、たくさん働いていたのがケースワーカーです。日本でいえば公衆衛生を担う保健師でしょうか。「こういう仕事がしたい」と、強く思うようになりました。

日本福祉大学を卒業後、保健師の資格が取れる大学にもう一度、入学し直し、4年間学びました。そしてやっと、保健師としての一歩を踏み出したのです。

日本は果たして、
本当に豊かな国なんだろうか。

途上国でヘルスワーカーとして働きたい、と考えていた私は、まずは保健師としての経験を積まなければと思い、さまざまな現場に立ちました。それらの現場で初めて知ったのは、日本の中にも、こんな貧困があるんだ、ということ。その時、思い浮かんだのが、こんな言葉です。マザーテレサが日本に来日したとき、こんなことを言ったと聞きました。「日本は豊かな国だが、世界で最も貧しい国だ」と。その言葉が実感として理解できました。満たされていても、本当に満たされているわけではない。その日本の貧しさと、まずは向き合おうと思いました。

そんな中で出会ったのが、助産師であり、「マナ助産院」を運営している永原郁子さんです。彼女のことはもともと知っていました。講演活動やテレビ出演などもありましたし、憧れていました。たまたま仕事の関係で会う機会があり、その時、つい「働かせてほしい」とお願いしました。その時は「保健師さんの仕事はないよ」と、断られてしまいました。しかし、彼女は、熊本市にある日本で唯一の「赤ちゃんポスト」、つまりさまざまな事情で赤ちゃんを育てられない女性のための施設を、大阪でも作ろうという動きがあって、それに関わっていました。

永原さんは、赤ちゃんポスト発祥のドイツへ視察に行きました。ある施設を見学したときのこと、ポストのとなりにドアがあった、というんです。施設の方に話を聞くと、たいていの女性はポストを利用せず、赤ちゃんを抱いてドアから入ってくる、といいます。赤ちゃんをポストに入れようと思う女性は、それでもやっぱり話を聞いてほしいんです。そんなエピソードから生まれたのが、この「小さないのちのドア」なんです。

そのドアは、赤ちゃんポストに我が子を託そうとした迷える母親が、誰かに悩みや課題を打ち明けたいという思いに突き動かされ、勇気をもってくぐる未来への扉です。

「これなら、女性が孤独の中で、たった一人で中絶を選ぶ前に、何かしらの介入ができる。安全なお産をサポートするだけではなく、思いがけない妊娠という課題を抱えた女性が人生を前向きに歩むための支援もできる」。無限の可能性を感じた永原さんに、私も呼び寄せられました。そして、マナ助産院に隣接するかたちで永原さんが代表理事を務める、「小さないのちのドア」は生まれました。

どこからの援助も得られない、
たった一人の妊婦さんたち。

今、私たちは望まない妊娠をした女性を対象に、彼女たちの相談相手となっています。まず、話を聞くことから始めます。多くの相談者は、「怒られると思った」「否定されると思った」と言います。私たちも、ただ相談を聞くだけではなくて、本当に彼女たちが笑顔で、これからの人生を歩んでいくところまで、お手伝いしたいと思っています。赤ちゃんもそうですが、女性の心も人生も救いたいのです。

妊婦さんに対して、特に「住むところがない」と言っている人に対しての支援は、現行の制度からこぼれ落ちてしまう方が多く、行政からは「じゃあ生活保護を受けてください」と言われます。しかし生活保護も、すぐに受けられるわけではありませんし、他の支援も「生まれてから相談してください」と言われてしまいます。妊娠したら、必ず母子手帳を取りに行くはずですが、母子手帳さえも受け取りに行けない人たちもいます。

「0日死亡(ぜろじつしぼう)」の赤ちゃん、つまり、生まれたその日に命を奪われてしまった赤ちゃんについて厚生労働省が調べています。この資料によると、多くのケースで、母親が加害者になっていますが、母親は一度はどこかに相談した形跡がみられるのです。病院に行ったとか、行政に相談したとか。でも、おそらくは勇気を振り絞って相談した、その貴重な1回が生かされていません。結局、この社会から「見えなく」なってしまっています。

誰にも頼れない状態で、孤独で、孤立している独りぼっちの妊婦さん、路頭に迷って、本当に、公園のベンチで寝ている妊婦さんが、この豊かな日本という国にいるんですよ。

最もか弱く、小さい者を
慈しむ社会をめざして。

「小さないのちのドア」は、24時間開かれていて、いつでも相談することができます。ドアには、透かしガラスで三日月と枯れ木が描かれています。枯れ木はひとりぼっちの女性、月はその女性を優しい光りで照らし出す「小さないのちのドア」を意味しています。

誰からも救いの手を差し伸べられない、望まない妊娠で苦しむ妊婦さんを対象とした支援施設は、日本にはほとんどありません。私たちの施設のように、妊婦さんや赤ちゃんなど、「もっとも弱く、小さい者」を支援する施設や制度がさらに増えればいいなと願っています。「もっとも小さい者」にやさしさを分け与えられる社会は、きっと誰もが幸せになれる社会だと思います。「もっとも小さい者=子どもたち」は、未来を創る者たちでもあります。彼らにやさしさを差し伸べることは、未来を大切にすることにもつながっているはずです。

さまざまな相談を聞いていると、せつなく、辛くなることも多くあります。しかし、自分の幸せではなく、今、身近にある一番小さい者がいかに幸せになれるかどうか必死に考えている女性たちを見ていると、本当に励まされます。

自らの力でもう一度、前向きに一歩を踏み出した、すべての女性が祝福されるべきだと、私は信じています。

Editor’s Note

たとえば、中学生や高校生が妊娠してしまうことがある。若い子ほど、「自分で育てたい」と言い張る。そんな子に対して、西尾さんたちはこんなふうに語りかける。「本当に赤ちゃんにとって、何が幸せだと思う?」。
少女たちの壮絶な人生、そして子を産むまでの葛藤は想像するにあまりある。しかしある二人の少女が訪れて、彼女たちは、西尾さんたちと話し合う中で「赤ちゃんにとって一番幸せなのは環境の整った両親に育ててもらうことだ」と納得し、特別養子縁組という制度の利用を決断した。身を切られるような辛さだっただろうか。その思いを封じ込めるように、彼女たちは、その後、出産まで、毎日、赤ちゃんに日記を書き続けた。なけなしのお金でプレゼントも用意した。この時、その少女たちは本当に子を想う「母親」の顔になっていたという。実の親子ですら虐待死や0日死亡の話が後を絶たない、一方で子の本当のしあわせを考えることの尊さが、ここにある。
出産して一か月後、二人はそれぞれ西尾さんたちの元を訪れた。偶然にも二人は、同じ思いを口にした。「助産師になりたい」、と。「こういう経験があったからこそ、私は命を守る仕事がしたい」と彼女たちは口を揃えた。「もしまた会える時が来たら、子どもに胸を張れるかっこいい女性になっていたい」とも。その思いは、彼女たちが助産師をめざして力を尽くし、やがて社会でいきいきと輝く原動力にもなるだろう。

※掲載内容は2021年3月取材時のものです。

私はクリスチャンなのですが、「ワーシップソング」が大好きです。ワーシップソングとは、教会などで歌われる現代的な礼拝音楽。このジャンルの歌を歌ったり演奏したりすると、とても元気になれます。夫が作詞作曲、また、演奏活動もするので、私も時々、マンドリンで演奏に参加することも。自分自身を励ましてくれる何かがあると、ちょっと元気がない時でも、いい気分転換のきっかけになってくれるので、助かりますよね。

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