株式会社クラウドクリニック 代表取締役 川島 史子さん

株式会社クラウドクリニック 代表取締役

川島 史子さん

FUMIKO KAWASHIMA

社会福祉学部 1997年卒業
愛知県/名古屋短期大学附属高等学校(現:桜花学園高等学校)

ふくしのフィールドも可能性も無限大。
より良い未来をデザインするために、
まずは自分たちのできることからやってみよう。

川島さんは幼少期、小児腎炎によって入退院を繰り返し、そのため体育の授業に参加した記憶がない。
だからだろうか。
みんなが一緒になって、同じことを行うことに、ちょっとした違和感があった。
いつも心の底にあったのは、「人はみな違う。違っていい。違うからこそいい」という思い。
それは、いつしか「誰かに何かをしてあげる、誰かを変えられるなんて偽善なんじゃないだろうか」との思いにつながっていった。
だから、まず自分が変えられることから始めてみよう。
それが、川島さんの明日への旅の始まりだった。

「人はみな、違っていい」
という思い。

私が「ふくし」に興味を持ち、その道に進もうと思うようになったきっかけが三つあります。一つ目は亡くなった祖母の影響です。私の幼少期、祖母は手作りした人形を施設に送っていて、お礼状が届くのを目にしました。ボランティアは良いことなんだと思い、「私もやってみたい」と両親や祖母に伝えると、みんなとても喜んでくれました。自信のないおとなしい子だった私が、「ふくし」に興味を持った原点かもしれません。

二つ目は、中学2年生の時のことです。同年代の子が手話で表情豊かに活き活きと自分の思いを人々の前で語る姿を目にしました。その姿を見て、「かっこいい」と素直に感動しました。幼いころから、「人はみな違う、だから素晴らしい」と思い続けてきた、そのことを目の当たりにしたような気持ちになりました。

そして三つ目は、高校時代。ある友人と出会い、その人から刺激をもらいながら、厳しい校則をきっかけに社会の矛盾を感じ、「何か私にできることはないだろうか」と考えるようになりました。

自分のできることから、自分の周りを変えていこう。そう考えた私は生徒会長になり、校則に反対する声を上げました。それこそ私が、社会に対して具体的な「行動」を起こした初めてのことであり、「ふくし」の実践の第一歩だったのかもしれません。彼女とはその後も交流が続き、いっしょに日本福祉大学を目指しました。

そして、社会福祉学部は不合格でしたが経済学部に入学することになりました。

みんなが、心を熱く燃やしている。

経済学部の授業を受講しつつ、社会福祉学部の科目も積極的に聴講していました。印象に残っているのは、「社会福祉論」の授業。先人たちの活動を通じて今の法律が出来上がっていった、そんな経緯を学んだことで、いろいろな積み重ねの上に、今があるんだと知ることができました。その事実は私に大きな勇気を与えてくれました。「自分がやれることをやれば、社会は変わる」、そんな思いが私の中に芽生えたのです。

経済学部の学びの中で、どちらかというと苦手だった簿記や会計は、経営者となった今、とても役に立っています。また、後に学長になられた二木先生の「医療経営」という授業も、いまだに覚えています。当時の経済学部の仲間たちで「にっぷくず」と名乗り、今もとても仲良くしています。日本福祉大学には、いろんな人がいました。障害のある人、留学生、自分とは違う価値観を持つ友人たちなど、多くの出会いがありました。サークルでも先輩後輩関係なく、障害のある子ども達やその家族への関わり方を振り返って議論したり、ふくしの世界の未来について語り合うこともありました。真剣に話し合うことで、さまざまな考え方や視点を知ることができ、多様性を自然に理解することができました。一人ひとりの生い立ちも、経験も、考え方も、誰一人として同じ人はいない。しかし、みんな同じように、より良い社会や暮らしのために何かできないかと心を熱く燃やしている人たちが、一生懸命、夜を徹して語り合う。そういうことが当たり前なのが、日本福祉大学のいいところかもしれませんね。そんな彼らと関わることで、相手の意見を受け止めつつ、明確な自分の考えを持つ力も身につけることができたように思います。

大学3年生の時、社会福祉学部の夜間に転部編入しました。自由に使える昼間の時間に、精神科病院での看護助手のアルバイトを始めました。当時、閉鎖病棟には鉄格子があるような時代でしたが、配膳をしたり、お薬を配ったり、患者さんと関わりながら貴重な経験をさせていただきました。そして、看護師さんたちから話を聞く中で、「精神疾患を持っている人たちも、決して特別ではないんだな」と気づかされました。この経験を活かして卒業後は、精神科のソーシャルワーカーとして働くことになりました。そこでは大変貴重な経験をすることができましたが、結婚を機に退職し、その後しばらく福祉業界から離れ、さまざまな仕事に就きました。

父の闘病と死が教えてくれた、
在宅医療の大切さ。

出張ネイリスト、プリザーブドフラワーのリース販売など、さまざまなビジネスの立ち上げを経験し、しかしその継続の難しさを思い知らされる日々でした。

そんな時、脳裏をよぎったのは、医療福祉業界のこと。中学高校時代から「福祉」に興味を持ち、大学に入り、さまざまな体験を積んできましたが、やはり病院で働いていた経験が忘れられず、「医療福祉」への想いが志半ばという意識がありました。その意識が、「医療コンシェルジュ」という民間資格との出会いをもたらしてくれた、そんな気がしています。医療コンシェルジュは、たとえば患者さんの待ち時間をもっと短くできないかと考えたり、広い病院の中で患者さんが迷ったりしないように案内したり、そんなことを通じて、「患者さん中心に病院を作り直す」、それもあくまでも病院の外から、つまり第三者の視点です。そこにとてもやりがいを感じたのです。

そこからは「医療コンシェルジュ」を軸足にして、一気に医療の世界へと足を踏み入れることになりました。

そんな折も折、父が末期がんを患っていることがわかりました。東京で、ちょうど起業の準備を進めていて、3週間後には会社設立も決まっていました。私はすぐに名古屋に戻り、父のために何かできることはないかと、いろいろ調べていく中で、それまで私にとっては馴染みの薄かった在宅医療の大切さに気づかされました。在宅医療の現場では、当時まだ紙カルテがほとんどで、その事務処理が医師に大きな負担を強いていました。その負担を軽減することができたなら、少しでも医師が患者さんの目を見て、話を聞いて、寄り添う時間が増えるのではないかと考えたのです。さらに、必要とする多くの人が自由に在宅医療を選べる世の中にしたい、そんな思いをカタチにしたのが、在宅医療事務のアウトソーシングサービスを請け負う株式会社クラウドクリニック設立でした。

父は家族の看病も空しく、自宅での療養から再入院を経て、ついに病院で亡くなりました。

その後、私は在宅医療について勉強会や実習に参加して、その知識やスキルを深めていきました。父の死は、つらく悲しい経験でしたが、私にかけがえのない大きなものを遺してくれました。

さあ、
いっしょに未来をデザインしよう。

私たちのアウトソーシングサービスの特徴の一つは、ICTを存分に活用していること。クラウド型の電子カルテを導入することで、医療事務の負担を軽減し、効率化が図れます。このICTの活用は、同時に場所を選ばず、誰でもが自由に働くことができるという、新しい働き方にもつながりました。

そのきっかけとなったのは、あるスタッフが、ご主人の転勤で引っ越すことになり、会社を辞めなければならなくなったこと。どうしたらいいか、みんなでディスカッションしました。最初はセキュリティの問題もあるし、オフィスから離れるとお互いに議論したり相談したりする機会が失われて、彼女の成長を妨げるのではないか、そんな危惧もありました。しかし、クラウドクリニックのみんなと働きたいという思いと、ICTを活用することで、問題はないはず。こうして弊社第一号の在宅ワーカーが誕生したのは、今からもう4年前のこと。コロナ後の新たな生活様式、また「自分らしい働き方の実現」という、今の社会が求めていることを、私たちは先駆けて実現することができました。

在宅勤務だと、生産性が下がる、という意見もあります。しかし、うちはもともと「みんなが経営者」という考え方でやってきました。「自分が何をなすべきか、自分をマネジメントしながら、他者との関係性を考え、動こう」、と話しています。クライアントであるクリニックごとにチームを設け、複数名で担当することで、メンバーはそれぞれ「自分事」としてクリニックのため、患者さんのために、サービスの質と標準化に取り組んでいます。突発的な出来事にも柔軟に対応でき、助け合うことができます。

みんなのおかげで、働きがいと働きやすさを実現することができました。

今は、「理念」「想い」を共有し、それぞれの長所「つよみ」を活かせる組織づくりを目指しています。

自分の「つよみ」って、他者との違いから知ることができるんです。みんな違っていて良いんだと思うことで、チームを共に創り上げていくことこそが、「多様性」の視点だと思っています。

在宅医療の課題はまだまだ山積みです。けれど、そのことを憂いてもはじまりません。現状を嘆く前に、自分たちのできることをやってみる。ふくしを学ぶことで、社会的な課題を見つけ、解決する手段を考える力を養うことができます。だから、どんな場所でも輝けるはず。

ぜひ、一緒によりよい未来をデザインしていきましょう。

「ふくし」のフィールドは無限大。

私は医療の現場の中で、医療者側ではなく患者さん側の立場に立って、患者さんを中心として周りを取り囲む多くの人たちも視野に入れながら考えています。この当事者とその周りも俯瞰してみる視点、これが「ふくし」の大切な要素なのではないでしょうか。

事務処理の仕事をしていると、先生が書いたカルテからいろいろなことが見えてきます。そうすると、これはケアマネーシャーさんと共有した方がいいとか、看護師さんも知っていた方がいいとか思えてきます。たくさんの方たちの力をつないで、一つにして、患者さんのために役立てる。多職種連携とはこういうことだと思います。おせっかいと言われることもあるかもしれませんが、それが患者さんのためになるのなら、私はやっていきたいと思っています。その人のことを一緒に考える、それが「ふくし」だと思いますし、これからの世の中、もっともっとこういう「ふくし」が当たり前になる必要があると感じています。そしてどのような分野でもこのような「ふくし」の視点は活かされると思います。

誰もがその人らしく共に生きていくための視点、それが「ふくし」。

「ふくし」のフィールドは無限大なのです。

Editor’s Note

「私たちの会社では、下の名前に“さん”をつけて呼ぶんですよ。私のことも史子さんって呼んでください」と言われて、なるほど、史子さんのことを「社長さん」と呼ぶのはなんだか違うなと納得できた。それはきっと、史子さんが、全力で生きているからだ。目の前の課題に、全身全霊で向っていく史子さんは、たくましくて愛らしくて、しなやかで、実に人間らしい。ほかの誰でもない、川島史子を、全力で生きているのがわかる。だから、史子さん以外の呼び名は似合わないのだろう。史子さんの生き方を多くの人が支持し、そのつながりが、未来を築く。未来をつくるのは、やはり人であり、志なのだなとあらためて思った。

最後に、史子さんは仕事のことを、たっぷりの愛と志を込めて「志事」と書くようにしているということも、書き添えておきたい。

※掲載内容は2020年11月取材時のものです。

大好きなのは、主人です。かけがえのない人。週末は、マラソンやトレイルランニングが趣味の主人に付き合って、山に出かけます。彼がトレーニングしている間は、私も趣味の時間。といっても、あいかわらず、我が子のように感じている、会社のことに思いを巡らせているだけなのですが(笑)。

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