マンガ家 マンガ家

マンガ家

吉本 浩二さん

KOJI YOSHIMOTO

社会福祉学部
1996年卒業
富山県/入善高等学校

「同情や慈悲より、この障害のことを知ってほしい」
そんな聴覚障害者の願いをマンガに託して。

吉本浩二さんのマンガ、『淋しいのはアンタだけじゃない』は、聴覚障害者を取り上げた作品である。
この作品を読むと、マンガの持つ、とてつもないエネルギーと可能性を感じることができる。そして吉本さんの対象に向き合う誠実な取材力と、聴覚障害者のありのままをリアルに伝える表現力が、読者の心を揺さぶる。
第1話で、聴覚障害者の人々からの取材を終えたあと、こんな一節がある。 「この人たちはいたんだ……ずっと今まで気づいていなかっただけで……僕のとなりにもいたんだろうな……」。
見ただけではわからない障害者である聴覚障害者が実は身の周りにいる。
その気づきが、その後の猛烈といってもいい取材の原動力となり、作品への強い思いとなっていく。
しかし、吉本さんは最終話で、「僕はマンガ家として、聴覚障害者のことを描ききれたのでしょうか?」と書く。 その答えは、作品の中にあるはずだ。
「聴覚障害」をテーマに、マンガを描こう。

「聴覚障害」をテーマに、
マンガを描こう。

マンガを描き始めて20年ほどたった頃だったと思います。新人の頃からお世話になっていた編集者の方が、新たにマンガ誌に異動になって、「一緒に何かできませんか」と声をかけてくれたんです。「何か描きたいテーマはありませんか」と。
実は、「福祉」を描いてみたいという思いはずっと持っていました。ただ、怖くてできなかったんです。難しいだろうな、偽善的なものになってしまうんじゃないか、僕の力量でちゃんと描けるんだろうか、と。
でも思いきって「障害をテーマにしたマンガが描きたいです」と編集者の方に伝えました。そのとき、ふと思い出したことがあります。『さんてつ』というマンガを描いた時に出会った人々のことです。2011年の東日本大震災で線路の多くが被災した三陸鉄道のことを描いたんですが、その中に、トンネルに閉じ込められた車両に耳が聞こえない人がいて、三陸鉄道の運転士が真摯に対応されたというエピソードがあります。そのときお知り合いになった聴覚障害者の皆さんに取材しようと思い立ちました。

連載が始まる1年半ほど前のことでした。このとき、僕は皆さんからいろいろなことを教わりました。「聴覚障害」といってもそれぞれに個人差があり、見た目ではわからないということ。聴覚障害者の方たちの抱える思い、辛さ。あるいは聴覚障害者ならではのエピソード。心からおもしろいと思える話もたくさんありました。 僕にとってはほんとうに勉強になった取材だったんですが、皆さんの明るさや笑顔がとても印象的で、そのことを思わず皆さんに伝えました。マンガにも描きましたが、そのとき、ふと皆さんの表情が重々しくなりました。彼らの一人が教えてくれました。「聴覚障害者は、健常者に警戒心を抱かせないように、まず笑顔で接するようにと子どもの頃に教えられる」、というのです。聴覚障害者にとって、「笑顔」は生きる手段だったのです。そんなことも知らなかった。編集者とともに、聴覚障害をもっともっと勉強するための取材が始まりました。こうして始まったのが『淋しいのはアンタだけじゃない』です。

連載が始まる1年半ほど前のことでした。このとき、僕は皆さんからいろいろなことを教わりました。「聴覚障害」といってもそれぞれに個人差があり、見た目ではわからないということ。聴覚障害者の方たちの抱える思い、辛さ。あるいは聴覚障害者ならではのエピソード。心からおもしろいと思える話もたくさんありました。
僕にとってはほんとうに勉強になった取材だったんですが、皆さんの明るさや笑顔がとても印象的で、そのことを思わず皆さんに伝えました。マンガにも描きましたが、そのとき、ふと皆さんの表情が重々しくなりました。彼らの一人が教えてくれました。「聴覚障害者は、健常者に警戒心を抱かせないように、まず笑顔で接するようにと子どもの頃に教えられる」、というのです。聴覚障害者にとって、「笑顔」は生きる手段だったのです。そんなことも知らなかった。編集者とともに、聴覚障害をもっともっと勉強するための取材が始まりました。こうして始まったのが『淋しいのはアンタだけじゃない』です。

マンガにしかできない表現を追い求めて。

ちょうどその頃、世間を騒がせていたニュースがありました。聴覚障害のある人による「ゴーストライター事件」です。偶然にも取材で知り合った方が、彼とは昔の知り合いですよというので、ぜひ彼と会ってお話を聞きたいと思いました。何度も何度も手紙を出したり、メールを送ったりして取材をお願いしました。彼を巡って世論はおおむね批判的な論調でしたが、避けて通るわけにはいかないと思いました。聴覚障害者のことを取り上げるのに、彼のことを語らないのでは、マンガそのものがオブラートに包んだようになってしまうという思いがありました。
彼への取材を軸に、さまざまな方に取材し続けました。聴覚障害者はもちろん、医療関係者、手話通訳者など。マンガでは編集者と僕が感じた驚きや発見、葛藤、困惑をリアルに描きました。そこまで描かなければ、聴覚障害者の大変さは伝わらない、そんな気持ちでした。決めつけて描くのではなく、そのプロセスを丁寧に描くことが、作者としての「誠実さ」であると思ったのです。

マンガにしかできない表現を追い求めて。

また、マンガにしかできない表現もあると思いました。例えば「がんばっている」ということを表現するために、映像であればその内面までは描けない、文章であれば、受け取り方が人それぞれになってしまって、多くの人に伝わりにくい。しかし、マンガであれば、「はちまきをして汗をかいている」というように描くことができます。 マンガだからこそ、聴覚障害者をよりリアルに描くことができる、と思いました。 例えば、聴覚障害者を襲う強い耳鳴りを表現する際に、ページいっぱいに頭の上をかすめるように飛ぶ大きな旅客機を描きました。また、聴覚障害者の方に聞こえる「言葉」を、あえてゆがめた文字で表したり、空白の吹き出しを使ったり。 これまでにもファンレターをもらったことはありますが、この作品に対しては、とくに反響が大きく、多くの方々から手紙をいただきました。中には日本福祉大学の学生からいただいたものもあります。テーマに共感してもらえたのか、こんなときに母校とのつながりを感じることができました。

また、マンガにしかできない表現もあると思いました。例えば「がんばっている」ということを表現するために、映像であればその内面までは描けない、文章であれば、受け取り方が人それぞれになってしまって、多くの人に伝わりにくい。しかし、マンガであれば、「はちまきをして汗をかいている」というように描くことができます。 マンガだからこそ、聴覚障害者をよりリアルに描くことができる、と思いました。 例えば、聴覚障害者を襲う強い耳鳴りを表現する際に、ページいっぱいに頭の上をかすめるように飛ぶ大きな旅客機を描きました。また、聴覚障害者の方に聞こえる「言葉」を、あえてゆがめた文字で表したり、空白の吹き出しを使ったり。 これまでにもファンレターをもらったことはありますが、この作品に対しては、とくに反響が大きく、多くの方々から手紙をいただきました。中には日本福祉大学の学生からいただいたものもあります。テーマに共感してもらえたのか、こんなときに母校とのつながりを感じることができました。

マンガにしかできない表現を追い求めて。

ある聴覚障害者の方には、「このマンガを名刺代わりにしています」と言ってくださいました。「聴覚障害のことを知ってほしくていろいろ説明したんだけど、なかなか理解してもらえなかった、それが、このマンガでわかってもらえる」、と。 聴覚障害者の耳鳴りは、その辛さが目には見えないし、他の人にはわかりにくいんです。また、中途失聴者特有のふだんの暮らしにおける戸惑いや悩みも、本人でなければ分かりません。こうしたことを何度も取材し、さらに自分なりに聴覚について調べたり、専門の医師に取材したりして、わかりやすい図解やマンガでできる表現の可能性をとことん追求しました。だから、多くの聴覚障害者から、「自分のことを代弁してくれている」と感じてもらえたのかもしれません。 さまざまな批判を受けることも覚悟していたのですが、「名刺代わり」というのは、ほんとうにありがたい言葉でした。

マンガにしかできない表現を追い求めて。

「福祉」のマンガの、
その根っこにあるもの。

「福祉」のマンガを描いた、やはりその根っこにあるのは、日本福祉大学で学んだということかもしれません。実は、僕の場合、日本福祉大学へ進むうえで、あまりこれといった明確な志望動機がないんですよね。人間やその心理には興味があったので、そんな軸で選んだと思いますが、入学してみると、皆さん明確な目的意識を持ち、前向きで真面目な人が多かった。これに対して僕はといえば、「福祉」に対してあまり明確な目的意識はありませんでした。富山の老人ホームで実習を体験したときも、キャンプのサークルで自閉症の子と共に過ごすという体験をしたときも、同級生たちが積極的に障害者に関わっていくのを見ながら、ほんとうに僕にできるんだろうか、という不安や戸惑いが頭をもたげていました。自信を失いかけていたと思います。ほんとうに自分のやりたいことって、なんだろうと考えるようになりました。

「福祉」のマンガの、その根っこにあるもの。
「福祉」のマンガの、その根っこにあるもの。

「福祉」のマンガの、
その根っこにあるもの。

「福祉」のマンガを描いた、やはりその根っこにあるのは、日本福祉大学で学んだということかもしれません。実は、僕の場合、日本福祉大学へ進むうえで、あまりこれといった明確な志望動機がないんですよね。人間やその心理には興味があったので、そんな軸で選んだと思いますが、入学してみると、皆さん明確な目的意識を持ち、前向きで真面目な人が多かった。これに対して僕はといえば、「福祉」に対してあまり明確な目的意識はありませんでした。富山の老人ホームで実習を体験したときも、キャンプのサークルで自閉症の子と共に過ごすという体験をしたときも、同級生たちが積極的に障害者に関わっていくのを見ながら、ほんとうに僕にできるんだろうか、という不安や戸惑いが頭をもたげていました。自信を失いかけていたと思います。ほんとうに自分のやりたいことって、なんだろうと考えるようになりました。

このあと、僕は福祉から遠ざかるようにして、元々興味があった映像制作会社へ入りました。失敗ばかりして、要領よく仕事をこなすこともできませんでしたが、ただ、絵を描いたり企画を立てたりすることは好きで、上司から「たぶん放送作家とか、そっちの方が向いてるんじゃない?」なんて言われて。自分でもその気になってしまいました。 しかし、大学時代、キャンプのサークルで、自閉症の子たちと共に過ごした1週間は、その後も忘れることができませんでした。1年次なので自閉症に関する知識も無かったし、触れ合ったこともありませんでした。最初は、ただただどうしたらいいかなと考えていました。そんな日がしばらく続いたんですが、でも、寝食を共にし、少しづつ心が打ちとけて友だちのようになることができました。こんなことを言うと違うと言われるかもしれませんが「なんだ、自分と何も変わらないんじゃないか」と感じました。障害のある人に対する見方を変えることができた、それは僕にとってかけがえのない体験だったのです。 大学1年の時のキャンプと、映像制作会社での体験が、その後の僕の人生を決めた、と思います。

「福祉」のマンガの、その根っこにあるもの。
「福祉」のマンガの、その根っこにあるもの。

そこで自分ができることをする、
それは僕にとってマンガだった。

映像制作会社を1年で辞めて、あてもなくマンガを描き始めました。マンガ家になれるなんて思っていませんでした。1回でも雑誌に掲載されればそれで満足でした。 でもマンガ家としてのデビューは、けっこう早くて。マンガの賞を立て続けにいただいて、その後連載も決まって、やっとマンガ家と言えるようになりました。しかし、いくつかの連載が終了して、からっぽの状態になったことがあります。これから何を描きたいのかもわからない、どうやって生きていったらいいかもわからない。そんなとき、日本福祉大学の同級生は今ごろ、何をしているんだろうと、ふと思って。日本福祉大学へは日本全国から学生が来ていました。そんな友だちを訪ねて日本一周してみようと思い立ったのです。4ヶ月間かけて、バイクで全国を周り、5~6人の同窓生に会ってきました。このときの体験は、『日本をゆっくり走ってみたよ』としてマンガ化し、それが後に映像化もされました。




そこで自分ができることをする,
              それは僕にとってマンガだった。
そこで自分ができることをする、それは僕にとってマンガだった。

そこで自分ができることをする、
それは僕にとってマンガだった。

映像制作会社を1年で辞めて、あてもなくマンガを描き始めました。マンガ家になれるなんて思っていませんでした。1回でも雑誌に掲載されればそれで満足でした。 でもマンガ家としてのデビューは、けっこう早くて。マンガの賞を立て続けにいただいて、その後連載も決まって、やっとマンガ家と言えるようになりました。しかし、いくつかの連載が終了して、からっぽの状態になったことがあります。これから何を描きたいのかもわからない、どうやって生きていったらいいかもわからない。そんなとき、日本福祉大学の同級生は今ごろ、何をしているんだろうと、ふと思って。日本福祉大学へは日本全国から学生が来ていました。そんな友だちを訪ねて日本一周してみようと思い立ったのです。4ヶ月間かけて、バイクで全国を周り、5~6人の同窓生に会ってきました。このときの体験は、『日本をゆっくり走ってみたよ』としてマンガ化し、それが後に映像化もされました。




同窓生たちは、みんな学生時代に勉強したことを生かして福祉関連の施設で働いていました。35~6歳ですから、みんなそこそこ中堅です。そんな彼らを見て気づきました。 みんなそこで生きている。理想を求めてさまよい続けるのではなくて、そこで自分ができることを一生懸命やっている。そんな同窓生の姿を見て、それが一番まっとうなんだな、と思いました。それが一番いいのかもしれない。今、僕にマンガを描くことが求められるんなら、描こう。そんな踏ん切りが付きました。悲壮感がなくなったというか。 その頃でしたね、旧知の編集者から、「何か一緒にやりませんか」と声をかけていただいたのは。 大学での体験、あるいは映像制作会社での体験がなければ、この作品は生まれなかったと思います。大学時代、自閉症の子どもと触れ合った体験、それはほんのわずかですけど、それでも僕はそれから自閉症の子に対して偏見を持たなくなった。ふつうに暮らしていたらわからなかっただろうと思います。僕のマンガを通じて、聴覚障害者のことを少しでも理解し、偏見なく受け入れるようになってもらいたい、そんな思いをこの作品に込めたつもりです。 今後も、さまざまなマンガを描き続けていくことになるでしょう。現時点ではまだ何も決まっていませんし、できるかどうかもわかりません。でも、いつかできれば「認知症」を、マンガで取り上げたいと思っています。

誰かの思い出や生きがいになりたい。

Editor’s Note

このマンガを読むまで、自分自身、聴覚障害者についてほとんど何も知らなかったことに気づく。『淋しいのはアンタだけじゃない』を描いた吉本さん自身が、「何も知らなかった」と述懐しながらも、マンガの中でまるで身を切るようにして体験していくさまざまなエピソードとともに、聴覚障害、聴覚障害者のことが少しずつ、わかっていく。 「同情や慈悲より、この障害のことを知ってほしい」という聴覚障害者の願いが、まるで吉本さんに乗り移ったかのようにして、マンガは読者を捉えて離さない。

なお、『淋しいのはアンタだけじゃない』というタイトルを見て、「アンタ」とはいったい誰のことなんだろう、そんな疑問がよぎる人は少なくないはずだ。 このマンガの最終話で明かされる、その答えをあなたもぜひ確認してみていただきたい。

※掲載内容は2019年5月取材時のものです。

子どもの頃、一回だけ家族で行ったキャンプの印象が深く心に焼き付いています。中学になると、友だちと一緒に出かけたりするようになって、大人になっても続いています。キャンプの楽しさ、よく聞かれるんですけど、キャンプへ行ってテントに泊まって朝目覚めた時に、「ここ、どこだろう?」とふと思うこと、ありませんか?なんだか新鮮な感じで、ふと周りを見回す、あの感じが好きですね。

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