介護タクシー「GO OUT TAXI」 代表 船戸 敬太さん

介護タクシー
「GO OUT TAXI」代表

船戸 敬太さん

KEITA FUNATO

社会福祉学部心理臨床学科
(現:教育・心理学部心理学科) 2010年卒業
愛知県/愛知高等学校

自分の人生を思いっきり楽しもう!
そんなメッセージを乗せて走る
ポップでポジティブな介護タクシー。

「友人に会いたい」「結婚式に参列したい」「美味しいものを食べに行きたい」。
そんな日常の小さな幸せを、「老い」や「障害」は、時に阻むことがある。
誰しもが、そんな日常の幸せを気軽に楽しむことができる世の中にしたい。
そんなふうに考えたのが、船戸敬太さんだ。
10年間働いた施設の職員を辞め、そこで経験したさまざまなこと、学んだ知識をベースに、
船戸さんが地元・愛知県春日井市で興したのは、「介護タクシー」だった。
その名も、「GO OUT TAXI」。
単なる送迎だけではない。利用者の「出かけたい」という思いを叶えるタクシーである。
「人生を楽しんでみようよ」というメッセージを乗せて、
船戸さんの介護タクシーは、今日も利用者の、明るくて豊かな人生を運ぶ。

優しさだけでは、
きっと応えられない。

日本福祉大学では、近藤直子先生のゼミに所属しました。現在は退職されていますが、当時、先生のゼミに参加するのは、意識の高い学生ばかり。私はどちらかというと、サークル活動やアルバイトに精を出し、残念ながら成績が良いわけではなく、福祉に対する熱意も、それほどじゃない。大学での座学も苦手でした。そんな私でしたが、近藤先生のゼミは、発達障害のあるお子さんの支援がテーマとなっていて、なんとなく興味を覚えました。

ある日、実習に出かけたときのことです。発達障害のある子を抱えたご家族とお会いしました。そのご家族は、お子さまの発達障害を懸命に受け止めようとしつつ、一方で「いやきっと何かの間違いだ」「うちの子はやれるんじゃないか」と気持ちが激しく揺れているのがわかりました。そんな当事者の思いを目の当たりにしながら、ただの学生である私が、なんの勉強もしていない私が、当事者を理解することなんかできるはずがない、ましてや支援なんかできるわけがない。その場から逃げ出したくなりました。

コミュニケーションが得意で目の前の子どもたちや利用者さんに明るく声をかけるのが大好き、でも私はそれだけだったんです。当事者のことなんか、これっぽっちも分からない、ご家族の気持ちに寄り添うこともできない。そのことに気づかされた衝撃は大きかった。でも、当時の私は、そこまで。ただ優しさだけじゃダメなんだ、ということに気づいたものの、だから勉強しよう、いろんな知識や技術を身につけよう、とはならなかったんです。当事者を理解し、支援するために学ぼう、さまざまな経験を積もう、そんなふうに思えるようになったのは、私が大学を卒業して、なんとか介護職員の仕事に就くことができてからのことでした。

しつこくこだわって、
学び続けていく。

もともと、コミュニケーションに面白さを感じていたので、人と関わり、人の手助けをする仕事である「福祉」には魅力を感じていました。母親が福祉系の仕事をしていたことも、福祉の方面に進むきっかけにはなったと思います。

介護職員となることができて、私なりに利用者さんの近くで、明るく振舞いながら、6年間働きました。でも、いろいろと限界を感じるんですね。あまりにも、「福祉」について、知らなさ過ぎました。介護保険のこと、さまざまな制度のこと。だから、現場から「相談職」への異動を申し入れました。ここで3年ほど働いたのちに、再び立場を変えて、ケアマネージャー(※)としても働きました。立場や役割が変われば、また違った角度から福祉についてとらえることができます。予想通り、毎日が新しい発見と学びの繰り返しでした。一つの事柄に対して「どうしてだろう? なんでだろう? 何か良い解決策はないか?」と、次々に疑問が湧いてきます。その疑問は、私に「もっと勉強しないと当事者の力にはなれないぞ」とささやきかけているようでした。優しい思いだけじゃなくて、当事者や利用者さんの気持ちに寄り添うためには、法律や理論などの知識や支援技術、そして経験が大切なんだ、と、その時やっとわかったんです。

※介護を必要とする人の相談に応じ、その人のニーズに合った介護サービスのケアプランを作成、サービスを提供する事業者との連絡、調整等を行う「介護保険法」に規定された専門職

現場に立ち、何年間も経験を積み、その時、大学時代に近藤ゼミで、当事者と出会い、受けた衝撃がよみがえりました。やっと気づいたんですね。私は、この「気づき」によって、しつこいくらいにこだわって、勉強し続けることができました。そして次に進む力を得ることができた、と思います。

2020年、私は、さまざまな職を経験して10年間勤務した特別養護老人ホームを辞めることにしました。どうして辞めたのか、説明するのはなかなか難しいのですが。

今、思えば、私はやっかいな職員でした。介護の世界の過酷な労働環境を変えたい、利用者さんにできることはすべてやりたいと心に決め、「言うべきことは必ず声にしよう。思ったことは必ず実行しよう。」と考えていました。もちろん、声を上げるためには、それなりの説得力が必要だろうと、本を読み漁り、勉強も重ねて、努力は怠りませんでした。でも、組織の中では思い通りに行かないことも、他の方と衝突することもしばしばです。当時の私は、必要以上に肩ひじを張って、気負い過ぎていたのかもしれません。

でも、最後の退職の日、実はちょっと泣きました。大きな花束と一緒に「体には気をつけて」と温かい言葉を贈ってくれた仲間たち。気負ってばかりの私に対して、みんなは「現実を受け入れよう、受け止めよう、そのうえで次の一手を考えよう」、そう言ってくれていたんだ、と。やっと気づくことができたのです。私は、もう自分の未熟さが情けなくて、申し訳なくて、そして何よりこんな私を気持ちよく送り出してくれることがありがたくて、泣けました。私は彼らのやさしさに背かないよう、もう決して感謝を忘れない、思い上がらないと覚悟を決めました。

今こそ、働けること、仕事があることに、感謝し、謙虚であり続けたいと思います。

自分の手が届く範囲で、
できることを精一杯。

独立するにあたって、選んだ仕事は「介護タクシー」でした。施設の相談員やケアマネージャーの経験から、介護の世界において不足している資源の一つだなと思っていました。また「外出支援」と呼ばれる余暇活動や日常的な外出の支援も、介護タクシーの担うところですが、その部分は多くの介護タクシーが実現できていませんでした。

屋号は「GO OUT TAXI」と、横文字にしました。友人のイラストレーターにお願いして、K太とK子というイケイケのおじいちゃん、おばあちゃんのキャラクターをつくり、タクシーの外装にバーンと描きました。そのキャラクターがあしらわれたTシャツやグッズを販売するアパレル事業もはじめました。これは、「福祉や介護の新しいイメージ」をつくりたいと思ったからです。

私が福祉の現場で10年間働いて強く感じたのは、介護や福祉に対するマイナスイメージです。施設内でのあってはならない虐待のニュース、メディアが貼り付けた3Kというレッテル、介護や福祉の回りにはそんなネガティブなイメージがあふれかえっていました。それは、介護や福祉が持つ、本来の力を見えにくくしているような気がします。

でも少なくとも私にとって、いえ介護や福祉の現場で働く多くの仲間たちにとって、福祉や介護の現場は発見と勉強の毎日です。利用者さんの笑顔が日々生まれる素敵な仕事です。「福祉や介護の新しいイメージ」と共に、そんなことを日々、伝えていければいいなと思っています。

今、「介護タクシー」の仕事を通じて、私は自分の手をフルに使うことができているような気がしています。自分の手、つまり自分でちゃんと人を助けたという実感が欲しかったんです。組織だとさまざまな人がいて、それはもちろん大切で、人がたくさんいるからできることもある。でもその分、自分自身の実感は薄れていくような。でも私は自分の手が届く範囲でできることを精一杯やりたかった。自分の手で人を救えるなら、その分だけ自分の人生が豊かになる。その思いは私にとっての「福祉」の最初の部分、原点だと思います。そこだけは譲れないと思っていました。

利用者さんの生きる意欲に触れて。

GO OUT TAXIでは、「enjoy your life」というコンセプトを掲げています。

利用者さんの一人にこんな方がいらっしゃいました。その方は、山登りが好きで、かつて愛知県と岐阜県の境にある標高436mほどの弥勒山に、年間100回ほど登られていました。しかし、3年前、高次脳機能障害を発症され、車椅子での生活に。でも、この方は諦めませんでした。もう一度弥勒山に登る、という目標に向けて懸命にリハビリを続けておられたのです。しかし、実際に弥勒山に再び登るということになると、ご家族の支援だけでは不安です。そんな中、担当のケアマネージャーさんが、私のやっている介護タクシーを見つけてくれて、「船戸さんなら、この方を弥勒山に連れて行ってくれるかも」と、声をかけていただきました。その方の山登りは、なんと3年ぶり。頂上までは行けませんでしたが、下山の時、弥勒山を振り返り、満面の笑みで「名残惜しいな」とおっしゃったのが、とても印象的でした。人生を楽しむこと、やりたいことのお手伝いができたことは、私にとっても、最高の喜びでした。頑張って山へ登るこの方の姿を見て、周りの方も自然と手を差し伸べたり、私もまた元気とやる気をもらえた一日でした。

また、私が施設で働いていたころ、「母の日」になるとご家族の面会があり、カーネーションを持参される方がいらっしゃいました。ご家族が面会に来られないときは、施設にカーネーションを届けてくれる方も。そんなことがヒントになって、そうだ、利用者さんに花を贈るだけではなく、花を楽しむ体験をプレゼントしてはどうか、と思いつきました。幸い、花屋さんの賛同も得られて、カーネーションと共に「外出」もプレゼントする、というサービスを始めました。カーネーションだけではなく、春なら花見、秋なら紅葉、外出すれば四季折々の風や日の光を感じることもできるはず。素敵な親孝行になりそうです。

この仕事をやっていると、もちろん楽しいことばかりではありません。看取り期の利用者さんを、病院からご自宅へお送りした日、その方が亡くなってしまわれたこともあります。「人生楽しもうよ」とか「まだまだ頑張ろうよ」と、声をかけること自体が不謹慎だと思われてしまう、しかしそんな方たちもまた、介護タクシーの大切な利用者さんです。タクシーに乗っている間のわずかな時間でも、私は利用者さんの笑顔が見たい。末期の方に寄り添って、ふと桜を見上げた方の表情に、それが仮に最後に見た桜になるかもしれなくても、ふと笑顔が浮かぶなら。私はできる限りのことをして差し上げたいと思います。

まだまだ、何が正解かはわかりませんが、それでもある意味「しつこく、諦めず」利用者さんに寄り添うことにこだわり続けて、一人ひとりの人生に光を灯したい。介護タクシーを通じて、人々の手となり足となることが、利用者さんの人生を豊かにすることにつながれば、これほどうれしいことはありません。

Editor’s Note

たとえば、自分の愛する人が糖尿病を患っていて、死期が迫っているとする。彼・彼女が「さいごに、甘いものが食べたい」と言ったら、自分は何と答えるんだろう。正解はない。けれど、大切なのは「一つの答えに固執しないこと」なのかもしれないと、船戸さんの「組織での葛藤」に触れて思った。1秒でも長く生きていてほしいと願い「食べないで」とお願いするのも正解、「食べてもいいよ」と思いをかなえてあげるのも正解。どちらの道も痛みを伴うとき、第三者が「さまざまな答えがあるんだよ」と、狭い世界にとらわれがちな当事者を救うことがある。

「それでいいんだよ、だって正解は、これから行く道の先にあるのだから」というメッセージを乗せて、船戸さんはふくしの最前線に身を置いているのだと思った。

※掲載内容は2021年8月取材時のものです。

私自身、登山が好きで3000m級の山にも登ります。テントを背負って行ったり、爪をつけて雪山に挑んだり、結構本格的。登山は決して競い合うものではなくて、一歩一歩、歩みを重ねた先に、壮大な景色というご褒美が待っているものです。その世界観が好きなんですよね。仕事も同じだと思います。今はなかなか行けていませんが、また、時間ができたら行きたいです。

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