法務省法務事務官・矯正長 大阪刑務所 教育部長 小山 浩紀さん 法務省法務事務官・矯正長 大阪刑務所 教育部長 小山 浩紀さん

法務省法務事務官・矯正長
大阪刑務所 教育部長

小山 浩紀さん

HIROKI KOYAMA

社会福祉学部
1991年卒業
石川県/飯田高等学校



法務省法務事務官・矯正副長
大阪刑務所 教育部 首席矯正処遇官
(現・交野女子学院次長)

澤田 守正さん

MORIMASA SAWADA

社会福祉学部
1990年卒業
愛知県/蟹江(かにえ)高等学校

その人の生きるチカラを信じる。
そのために、さまざまな人と手をつなぎ、
ふくしの心を生かして。

「札幌市で、生活保護受給者の母子世帯、餓死」
小山浩紀さんが高校生の頃、新聞でそんな記事を目にしたのが、「社会」というものに対して考えるきっかけだった。
それから約30年。社会は大きく変わった。解決しなければならない課題も増えている。
刑務所や少年院の現場にも、そんな今の「社会」が色濃く影を落としている。
30年にわたって、その移り変わりや現実を目の当たりにしてきた小山さんは、
その解決の方向性が見えてきたと感じている。
それは、さまざまな職種が「福祉の心」を持って、手をつなぎ、受刑者と向き合い、その内面から彼らをサポートしていくこと。
「一人では何もできない」
そう考える小山さんは、さまざまな人とつながることに無限の可能性を感じている。
福祉の視点を生かした多職種連携の可能性。

福祉の視点を生かした
多職種連携の可能性。

今、私は、刑務所の教育部というところで、薬物事犯や性犯罪を犯した受刑者の教育などを所管しています。ここでは他の部署と連携して、高齢受刑者の問題も取り扱っています。最近は高齢者でも引き取り手のない単身者が増えています。また収容されている間に認知症を患ったり、寝たきりになってしまって、刑期が終わったからと言ってそのまま出すわけにはいかない、という事例も増えています。また、刑期が終わってそのまま出すと、再犯の可能性も高い。彼らには行き場がないんです。今は再犯防止推進法が成立したこともあって、できるだけ戻るところを見つけてから出してあげよう、ということになっています。この取り組みには、社会福祉士の資格を持った専門官が参加しています。
澤田さん、どうですか。我々の職場にも、社会福祉士が増えてきていますよね。同僚の澤田さんも同じ日本福祉大学の出身なんです。

(澤田さん)
大阪刑務所にも社会福祉士が3名います。彼らは自治体の社会福祉事務所などと連携して、民間の施設など出所した高齢者の戻る場所を見つけます。以前は出所する場合、正門のところで帰していたのですが、今はちゃんと施設まで車で乗せて行き、ちゃんと引き継ぎもして、お願いします、と。その一連の流れがすべて仕事なんですね。つまり、社会と受刑者をどのようにつなぐか。それが出所した人の再犯防止にもつながると思うんです。

そういうさまざまな専門家や外部との連携が、10年20年前に比べてずいぶん進んできました。その意味でも、「福祉」の視点や知識が、生かされる職場になってきたと言えます。

(澤田さん)
かつてのことを思うと、ずいぶん刑務所もオープンになりましたね。たとえば受刑者向けに薬物、性犯罪、高齢者などのグループごとに教育を行っています。それぞれの教育には、臨床心理士の資格を持つ外部のカウンセラーと、うちの教育専門官と心理技官などが参加しています。とくに性犯罪の場合は、女性もチームに入って、女性の視点からも指導します。それぞれの教育の目的に応じて、さまざまな方が参加しています。

そういうさまざまな専門家や外部との連携が、10年20年前に比べてずいぶん進んできました。その意味でも、「福祉」の視点や知識が、生かされる職場になってきたと言えます。

(澤田さん)
かつてのことを思うと、ずいぶん刑務所もオープンになりましたね。たとえば受刑者向けに薬物、性犯罪、高齢者などのグループごとに教育を行っています。それぞれの教育には、臨床心理士の資格を持つ外部のカウンセラーと、うちの教育専門官と心理技官などが参加しています。とくに性犯罪の場合は、女性もチームに入って、女性の視点からも指導します。それぞれの教育の目的に応じて、さまざまな方が参加しています。

社会がだんだん傷み始めている。

少年院の教官になろうなんて、学生時代には思ったこともありません。ただ、国家公務員一種試験に合格して、当時社会学の区分(現在は人間科学)で、採用になると保護観察所、そして少年院か刑務所といったところ。声をかけられたのは矯正局でした。矯正局はつまり、刑務所や少年院などの矯正施設において、被収容者に対する処遇が適正に行われるよう指導する部署です。
就職して、最初に配属になったのが、八王子市にある多摩少年院、現場でイロハを叩き込まれる感じです。その後、瀬戸少年院に行ったり、幹部候補生として研修があったり。法務本省で働いたりと、さまざまなところへ行きました。平成25年には内閣府に出向になり、青少年担当調査官を拝命しました。ここでもさまざまな体験をさせていただきました。ニート、引きこもり、不登校といった子どもたちの支援、国際交流事業の管理官、また子どもの貧困対策支援の一環として、「子ども食堂」の視察に内閣府大臣を案内したり。また、子どもの貧困対策の海外調査として、イギリスの教育省、アメリカの連邦保健福祉省などへヒアリングに行き、報告書としてまとめました。こうした仕事を戸惑うことなくこなせたのは、大学時代に「福祉」を学んだ下地があったからだと思います。
なかでも印象に残っているのは、少年院時代のことです。出所する生徒たちを保護者のもとに帰す手続きに取り組んでいました。
私が少年院の教官になった約30年前は、家に戻れないという子は、一人いるかいないか。しかし十数年後、同じような仕事に再び携わったとき、引き取り拒否などで家に戻れない子が20人はいたでしょうか。犯罪や引きこもりの増加によって過剰収容になってはいたんですが、それにしても多かった。なんだか、社会がだんだん傷み始めているんだなと感じたのを覚えています。社会の傷みは、子どもに影響が現れます。子どもの貧困ということが言われるようになったのも、あのころからだと思います。

相手との間に、
信頼関係を築くという仕事。

私が初めて少年院の現場に立ったときのことです。まだ何もわかっていなかった私は、「少年院は罪を犯した少年たちに怒って説教する場所」だと思い込んでいました。しかし、違うんです。すべては、どんな小さなことでも少年たちの話を聞いてあげるところから始まります。少年たちの話を、どんなことでも否定せずに聞く。「傾聴」と言います。深いレベルまで踏み込んで相手を理解し、気持ちを汲み取り、共感を示す。ある意味母性原理というんですかね。共感的に受容する。すると、少年たちは、「この大人には何を言っても怒られない、否定されない」という安心感を持つ。そこまで行くとラポールができます。ラポールとは、相手との間に心を通わせ、信頼関係を築くという意味ですね。
信頼関係の基盤ができたら、次に求められるのは父性的な部分。少年に対して、何かしらの「課題の要求」をしていきます。たとえば、「人権を侵害したり、人を傷つけたりすれば、相手に対して申し訳ない気持ちになるよね」といったことを投げかけます。そういったところから、相手の心の痛みを理解しよう、あるいは謝罪しようという思いを持たせることも大切です。それが、父性的な対応かと思っています。
最初から厳しくしてしまうと受け入れてくれない、徐々に心を解きほぐし、時間をかけてやっていきます。こういうことを、私たちは職員の間で役割分担したり、あるいは心理の専門家や外部のNPOの応援を頼んだりします。さまざまな職種との連携がカギを握っているんですね。医療や教育の現場では、「多職種連携」ということがさかんにいわれるようになりました。刑務所や少年院も例外ではないと思います。
今はまだ刑務官が全体の9割を占めていて、残り1割が心理などの専門職ですが、今後はこの専門職の方の役割が非常に大きくなってくるでしょうね。

(澤田さん)
大阪刑務所だけではなくて全国の刑務所の傾向ですよね。現在ではさらに、キャリアコンサルタントの資格を持っている方や、就労支援カウンセラーの方なども、すでに一部の刑務所で職員として採用が始まっています。これからは全国でも採用が始まっていくでしょうね。そういう方との連携が不可欠です。今後はいろんな専門職が増えてくるんだろうなと思います。

「かわいそう」と「けしからん」と。

「かわいそうでけしからん」。以前の上司がこんなことを言っていました。受刑者は当然人の人権を侵害したり、社会のルールを守らないなどの「けしからん」ことをしているわけです。そこを見て懲罰するというのは当然なんですが、一方でその人の内面や環境を見たときに、精神障害があったり、かわいそうな生い立ちがあったりする。その人の社会復帰や更生を考えるときには「かわいそう」な部分も見ていかないといけない、というんです。「かわいそう」と「けしからん」、その両面を併せ持つこと。さきほど「福祉のマインド」と言いましたが、刑務所、あるいは少年院では、そこが他の「福祉」の現場とは異なるところかもしれません。
また、当然犯罪には、被害者がいます。その被害者の立場に立って加害者である受刑者を指導することも重要です。私たちは加害者の教育を担うことによって、不幸な被害者を二度と生み出さないようにする。「かわいそうでけしからん」。それが私たち矯正に携わる者に必要なマインドなのかもしれません。

生きるチカラを信じてあげてよかった。

ある少年院で幹部をしていた時のことです。私が直接指導に関わることはなかったんですけど、現場の教官からこんな話を聞きました。1人の生徒が、出院1か月前に突然、こんなことを打ち明けたというんです。「自分は、家で虐待を受けていました。それでも家に帰らなきゃいけないんですよね」。
その生徒に対しては、これまでいろいろな人が関わってきています。警察、家庭裁判所の裁判官や調査官、あるいは弁護士、心理技官、児童相談所の一時保護所にいたこともあるはずです。その中で本来、それは言っておくべきことでした。でも、その生徒は言えなかった。「誰にも言えませんでした」。
担当の教官との間に「ラポール」ができ、その生徒は初めて打ち明ける気持ちになった。その教官は、私に相談を持ち掛けてきました。「このまま家に帰していいんでしょうか」。
それは幹部である、私の判断になります。このまま家に帰すのか、家に帰すのは遅れるけれど、民間の施設を探して再調整するか。しかしそれには半年以上の時間が必要になる……。
その生徒に、もう一度意思を確認しました。生徒はこう言いました。
「自分は家に帰りたい」。

虐待を受けていたのは小学生の頃のことで、その生徒も今はもう20歳近い。自分のことを自分で決められる年齢でもある。私は生徒の言葉を信じることにしました。
もちろん、何かあった時には少年院に電話する、警察のサポートセンターに連絡をとる、という方法があることを伝え、さらに、近所の生徒の親戚の方には、虐待があった事実を教官が説明しました。
そして、生徒を家に帰しました。
本当にそれで良かったのだろうか。悩みました。私の判断は間違っていなかっただろうか。その生徒を苦しめてしまっていないだろうか、と。
それから3か月ほどたったときのことです。日曜日でしたが、たまたま私は職場に出ていました。そこに若者の男女2人がやってきて、教官とにこやかに話をしているところを見かけました。
あの時の生徒だったんです。
「恋人ができて元気にやっています」、と教官に報告に来たのだそうです。
その生徒を信じてよかった。生徒の生きるチカラを信じて家に帰してあげてよかった。どちらに転ぶかわからない、先の見えない、非常に重たい判断でしたが、「判断」するという仕事の大切さと重さを、身に染みて感じた出来事でした。

(澤田さん)
少年院で働いているときに、暴走族のリーダーをしている、ある少年の個別担任をしていたことがあります。それから10年後、私は外部との連携セクションの責任者として、保護者と少年の面会のリストを見ていると、雇い主の欄に、見知った名前が書いてあるんです。10年前の、あの少年でした。それはもう嬉しかったですね。犯罪に手を染めていた少年が、10年後、人を雇う立場になるまでに成長したのですから。
退職後は、こんな少年たちを支援する仕事ができたらいいな、と考えています。

情けは人の為ならず。

今、この30年近くのキャリアを振り返ってみて、今の職場は自分を「大人」にしてくれた場所だと思います。就職したばかりの頃、誰でもそうかもしれませんが、まるで子どもでしたね。生意気で、同僚に心無いことを言って傷つけたり、知らず知らずそんなこともしていたかもしれません。いろいろな地域や職場を経験させてもらいました。いい出会いがあり、貴重な教えをいただくこともできました。また、相手の気持ちや立場を考えながら、物事を前に進めることができるようにもなった。「情けは人の為ならず」という言葉がありますね。相手に対して厳しくしろ、という意味ではありません。相手のことを思ってサポートすることが、回りまわって、自分の背中を押してもらえる。それを実感しました。被収容者もそうですし、職場の人間関係や外部の方との連携もそうです。人間は、一人では何もできません。相手に寄り添うこと、気持ちを思うこと、カタチではない何かを与えること、それがいつしか自分に戻ってきて、自分を助けてくれている。さまざまな人とのそういうつながりをつくること。それは「福祉」の気持ちに近いかもしれませんね。
ま、今でもできていないことはありますが(笑)。

(澤田さん)
先ほど刑務所や少年院で、専門性のある方が求められているという話が出ましたが、矯正教育も昔のようにただ「懲罰」するだけということでは決してないんですよね。だから、日本福祉大学で学んだ「福祉」の知識やスキルはきっと生かせると思います。日本福祉大学の先輩も多いですし、全国の刑務所、少年院などで施設長をやっていらっしゃる方もたくさんいます。
今は日本福祉大学に心理系の学部もあると聞いていますが、そういう人たちなら心理技官をめざすこともできます。
また、今は社会福祉士という専門職も常勤の福祉専門官として採用されます。社会福祉士としての専門性を生かして刑務所で働くのは、とてもやりがいがあるんじゃないかと思います。

※掲載内容は2019年11月取材時のものです。

私にとって大切なものと言えば、やはり娘と妻ですね。娘は大学生で東京で一人暮らしてしていますので、今は妻との二人暮らし。結構楽しいですよ。妻は介護初任者研修の資格を取って、サービス付き高齢者向け住宅で働いていますが、退職後は自分もその資格を取って、一緒に仕事ができたらな、と考えています。

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