新堀 亮さん

イマドキヒャクショウ

新堀 亮さん

RYO SHINBORI

国際福祉開発学部 2018年3月卒業
新潟県/東京学館新潟高等学校 出身

知多半島で生きる、ということが
多様な視点でモノを見たり、
いろんな幸せの
カタチを考える出発点だった。

とてもよく笑う、若者だった。そしてとてもよくしゃべる。
言いたいことは山ほどあるというように。
大学に入学してから、国際福祉開発学部のフィールドワークで行ったフィリピン、
ボランティアで駆け巡った知多半島、卒業後に始めた野菜づくり、藍づくり。
そして出会った多様な人々、無一文で旅する人や無農薬で野菜を育てる農家の人、
畑仕事を手伝ってくれた地元のママさんたち。
出会った人の数だけ、異なる価値観があった。
幸せのカタチ、暮らしのカタチがあった。
そんな多彩な経験によって育まれた彼の生き方は、
環境問題や地域の抱える問題、食や教育にいたるさまざまな課題を、
見据えているようにもみえる。 ひょっとするとこの新しい生き方は、
知多半島の一角から日本の幸せのカタチを変えていくかもしれない。

さまざまな幸せのカタチがある。
だから面白い。

今日は、撮影していただけるということで、SNSで呼びかけたんですが、4人くらい仲間が来てくれそうです。友達の友達みたいな。近所のママさんですね。たぶん僕と同世代の子たちは、おそらく会社員だったり、仕事していて自由に動けない。ママさんたちは子育てなどを通じて無農薬野菜とか、環境というキーワードにとても敏感だと思います。だから反応がいいんです。でも、僕としては僕と同世代の若い子にももっともっと農業の魅力やかけがえのなさに気付いてほしい。どうしても若い子たちは、お金とかモノとかにとらわれ過ぎている。

SNSで「おいでよ」と呼びかけていますが、別に僕が何かを与えられるとも、ここに答えがあるとも思っていません。それはここに来る人ひとりひとりの胸の中にあると思うから。

そう、大学時代にこんなことを教えてもらいました。福祉(ふくし)というのは、「ふつうのくらしのしあわせ」とか、「ふだんのくらしのしあわせ」なんだと。福祉って、介護とか支援とか、そういうイメージですが、その言葉はすごくしっくり来ました。

僕もたいしたことはありませんが、いろんな国や地域で普通の暮らしを見てきて、それは、多様な姿をしていることに気づきました。暮らしもいろいろなら、幸せもいろいろなんです。みんな定義が違うと思うし、かといって、他の人の幸せの価値観が悪いとも思わないし、否定する必要もない。だからこそ、自分は自分でこの生き方をしているし。幸せの形って人の胸の中に、それぞれあるものだと思う。だから福祉が幸せを求めることだとすれば、その道のりも人それぞれなんでしょうね。幸せの形は1つじゃない。いろんな形があっていいなって思いますし。

僕としては、地域に根を下ろして活動するという点では、日本福祉大学はすごく面白い大学だったと思う。知多半島にある大学だからこそ、地域と密接にかかわることができたのかなとも思います。農業の生産地もたくさん付近にあるし、当然製造業とかもあるし、町もあるし、小さな集落もある。そういう意味では、ここで生きるということ自体が、多様な視点で物事を見たり、いろんな幸せの形を考える出発点になっているのかもしれないですね。

自由に生きたい、
そう思わせてくれた休学中の1年間。

SNSでは「イマドキ百姓」と名乗っています。今では「百姓」というと農家、農業従事者をさすと思うんですけど、もとはといえば、百の姓(なまえ)を持つ人というところから百の仕事に携わっているというイメージだったと聞いたことがあります。つまり単に農業にとどまらず、野菜や米をつくるだけではなく、たとえば生活に必要な家を建てたり、服を作ったり、道具を作ったり、生活すべてに関わることを生業としているということだったと思うんです。ですから、僕にとって「百姓」というのは、100の顔、100の仕事を持って、農と暮らし全般に関わる人というイメージで使っています。


高校生のころは、青年海外協力隊などに興味を持っていて、それで日本福祉大学国際福祉開発学部に進みました。国際福祉開発学部では2年次にフィールドワークがあり、フィリピンに行きました。このときの体験はのちに、僕が日本で「まちづくり」や地域の問題に目を向けるきっかけとなりました。

フィールドワークは、初めての海外体験で、ほとんど英語も話せませんでしたが、通訳の方がいて現地の方々とのコミュニケーションに不自由することはありませんでした。また現地の方々はとても優しくて、僕のつたない英語に対しても一生懸命理解しようと努めてくれていたことが印象的でした。

現地でフィリピンの現状について、講義を受けました。フィリピンの海沿いの地域にはスラムがあり、そこでは多くの人々がまるでゴミの中で生活をしているような状態だというのです。その膨大な放置されたままのゴミは地球環境に対しても悪影響を及ぼしていますし、そこで暮らす方たちの健康にも影響を及ぼしています。その事実を知った時は衝撃でした。また、こうした問題は単にフィリピンだけで解決できる問題ではなく、われわれ日本や先進国の問題でもあると感じました。僕たちの何気ない日常がひょっとすると途上国の環境や人々の健康に、何かしら悪影響を与えているのかもしれない……。

そう考えたとき、まずは僕たちの日本にこそ目を向ける必要があるのではと考えたのです。僕にとってフィールドワークは、あらためて日本や、自分たちが暮らす地域に目を向けさせてくれた貴重な体験となりました。

その体験を生かして、まずは自分たちの住んでいる町を若者たちの手でもっと良くすることはできないかと考えました。環境問題や空き家の問題など手付かずになっていることが僕たちの身の回りにはたくさんあります。そういったことを人任せ、大人任せにするのではなくて、僕たちが解決することができないだろうかと思ったのです。そこから僕たちの考える理想の「まちづくり」に近づくことができるかもしれない、と。僕はボランティアに参加したり、「まちづくり」の活動に取り組んでいる人たちにお会いしたりするようになりました。もちろんすぐに思うような結果は得られなかったのですが。


そんな活動を続けるなか、4年生になったとき、このままストレートに卒業してしまっていいのか、という思いが大きくなりました。アメリカなんかだと高校を出ていったん社会人になり、それから30歳くらいで大学に入るというような例もあると聞いて。日本だとどうしても18歳で入学して4年間勉強して就活して、というのがもう固定化しちゃってる。それはなんかもったいないと思ったんです。回り道したっていいやって、思い切って休学することにしました。

そうしたら、本当にいろんな人と出会うことができました。とにかく主に知多半島をぐるぐる回って、いろんな人に出会った。行政の人、農業をされている人、知多半島で商売をしている人、モノづくりをしている人、SNSでつながったり、なんとなく聞きつけて会いに来てくれる人がいたり。こっちが動いていると、なんとなくわかるんですかね。

こんなふうにして、何物にも縛られず、思うままに、人と会い、やりたいことをやろうって、その休学中に思うようになりました。会社員になったり、毎月決まったお給料をもらう生き方はしないと決めました。

頑張っている作物の
気持ちを考える、という「農業」。

卒業して、バイトしたりしながら、「まちづくり」のためには何をしたらいいんだろうとか考えていた、そんな時、バイト先の紹介で大府市の農家さんに声をかけてもらった。「うちで週3日間働かない? あとは好きなことすればいいじゃん」と言ってもらえて。

農業は、僕にとってそんなに遠いものじゃなかったんです。新潟県の出身ですし、高校生まで身近な産業の一つだった。

その農家さん、いわゆる有機栽培、オーガニック農法を掲げてやっている方でした。2年間ほどお世話になったんですけど、その間に50品目くらいは野菜をつくったと思います。これをその農家さんの名前で販売させてもらうんですけど、でも、簡単じゃありませんでした。有機野菜というと一般にスーパーなどで売られている野菜に比べると高いですし、野菜に対する強いこだわりや思いがあるんですが、それが消費者には届きにくい。理想の農業ってほんとに大変だなというのが身に染みてわかりました。だから、生業としての農業ももちろん必要ですが、そうではない農業があってもいいのかなと思いました。つまり、「こんないい野菜が売れない」と言って嘆くのではなく、「売らない」と決める。売らないで、物々交換する。そういう農業のカタチがあってもいいと思うようになりました。たとえば「物々交換」で成立する、自給自足のコミュニティが僕にとっては究極のカタチかもしれないと思うようになりました。極論かもしれませんし、遠い未来の話かもしれませんが、そういう農業、あるいは町のカタチがあってもいいというのは、僕にとっての気づきでした。

それともう一つ。野菜を育てるというのは、種をまいて、野菜が育ったら嬉しいですが、できなかったらショックで落ち込みます。でも落ち込む必要はないと思う。自然のままでいいんです。たしかに人が手を加えることで野菜は育ちます。でも「自然」ってもっと大きな力を持っていて、人が手を加えなくても野菜は育つ。手を加えすぎるのもよくない。植物を甘やかしてもいけないというか。たとえば、今、僕がやっている畑、基本的には水はやりません。雨だけです。それでも育ちます。たぶん水が少ない分だけ、植物も頑張っている。根っこを張って、一生懸命水分を吸収しようとしている。それだけ強く育っているのだと思います。

なんかね、子育てとか教育とかと同じかもしれません。また極論ですけど、手を加えすぎるとろくなことはない(笑)。自助努力とか自立心とか、自由とか。自分で大きくなろう、強くなろうという気持ちを大切にする方がいいんじゃないですかね。

人がこうしているから、
じゃなく、自分がどうしたいか。

今、僕の畑で獲れた野菜は、スーパーとかに出荷していません。SNSで告知して畑でイベントして、好きな人に野菜を持っていってもらったり、その場でみんなで食べたり。もちろん自分でも食べたり。いろんな人が遊びに来てくれて、農業の楽しさとか知ってもらえれば、うれしい。収入源は他の農家さんで働かせてもらってますから、好きなことできるんです。いろんなことができるんです。

僕は、社会の常識とか、人がこうしているから、ということに流されて、自分の生き方を決めるのはイヤだったんです。それよりも自分が何をしたいか、どうしたいか、そっちが大事だと思ってきました。その何をしたいか、どうしたいか、というのは自分が動き回って、さまざまな土地、環境、人とふれあって、さまざまな価値観に出会って、自然に生まれてきます。それに気づいたからこそ、今はこうして、こういう生き方をしているんだと思います。

僕にとってはゼロから1をつくりだすことがすごく楽しい。そこにしかこだわりがないんです。最初に言いましたが、僕は100の仕事をする人になりたかったんで。100の仕事、まだまだ始まったばかりです。

※掲載内容は2022年10月取材時のものです。

ある人から藍を育ててほしいという依頼が舞い込んできて、それで藍をつくり始めたんです。藍は、結構雑草に近い種類の植物で、手入れとか芽をとるとかもそんな必要なくて、すくすくと育ってくれます。その人はその藍を使って常滑で藍染を始めています。藍はもともと薬草らしく、香りもいいので、お茶にしたり、料理に使ったりもできるようなんです。藍が、さまざまなつながりの要になって広がっていったらいいな、と考えています。
今着ているシャツも藍染、お気に入りです。

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