多摩少年院 院長 池田 一さん

多摩少年院 院長

池田 一さん

HAJIME IKEDA

社会福祉学部 1987年卒業
愛知県/熱田高等学校 出身

少年院の子どもたちに必要なのは
自己肯定感、そして共に走り続ける
私たちの覚悟です。

東京都八王子市にある多摩少年院は創立100周年を迎える、
わが国でも最古であり、最大の少年院である。
このため、今も教育プログラムなどが他の少年院のモデルとなっている。
これまでさまざまな少年院での体験を経て、
2022年4月に多摩少年院院長として赴任した池田さんは、
そんな重責を果たしつつ、それを微塵も感じさせることなく、
時にユーモアをまじえながら、決して偉ぶることなく、
穏やかな笑顔で、大学時代から就職後の少年院での日々を語ってくれた。
その歩みには、30数年前に日本福祉大学で受けた気づきの足跡がある。

少年院の院長となった今も、
なお日本福祉大学との
出会いが息づく。

高校生の頃、漠然とですが、将来は「人と関わる仕事」がしたいという思いがありました。父は中学校の体育教師でサッカー部の顧問でした。非常に厳しい先生だったようですが、その割には自分の教え子たちにいつまでも慕われていて、卒業してもいい関係が続いていたようです。そんな父に対する憧れもあり、似たような仕事を選んだのかもしれません。その頃、いろんな大学を調べていて、「福祉」という分野を知りました。それまでの私の人生の中にはなかった分野だったんですが、ここには「人と関わる本質的なものがあるんじゃないかな」と勝手に思うようになりました。

日本福祉大学に入学して、初めて「福祉」というものに触れた時の印象は衝撃的でした。当時、私がイメージしていたのは、「助けてあげる」「手を差し伸べる」ということだったんです。しかし、それは違う、とすぐ気づきました。私たちが誰かを助けるのではなく、自分も含めていっしょに育つんだと気づかされました。自分も育つという点に、私は「福祉」の原点があるような気がしました。

ここに来る少年たちは社会で「悪」とされています。しかし、彼らは一生懸命立ち直ろうとしている。その姿に触れるたび、人として自分が教えられることが多い。人として成長させてもらっている気がします。
ここでは偉そうに先生ぶって上からモノを言ってもダメなんです。すぐ反発を買うことになる。職員にもつねづね言っているのですが、「少年たちを引き上げようという考え方ではダメだ。自分たちは伴走者だ。彼らが走り出したいと思うように動機付けしなくては」と。

大学4年の時の実習で出会った
少年院の子どもたち。

3年生でゼミの選択をする時、「少年非行」というテーマを扱っているゼミに興味を持ちました。多感な少年たちについて学ぶことができたらいいな、という気持ちでした。ゼミの先生は当時、いくつかの少年院とのつながりがあり、4年生の夏に1週間、ある少年院に泊まり込み、朝から晩まで少年院の先生たちと一緒に子どもたちと生活を共にしました。夜は現場の先生方が「おい、飯食うぞ」とビールを持ってきてくれたり。

気づきもたくさんありました。実は実習前には、少年院の子どもたちに対して「怖れ」のような気持ちがなかったというと嘘になります。襲い掛かってくるんじゃないかとか、文句の一つも言われるんじゃないかとか。まったく違っていた。普通の表情をしていたんです。彼らにはたしかに悪さをしたという事実はありますが、もともと悪い人間なんていないということなんだなと思った。

ほんとうに純真な子どもたちです。ただ、彼らには何か大きなつまづきや人に言えない心のハンディがあるんだろう、そんな気はしました。

この子たちに何が一番足りないか、何が決定的に違うのか。それは「自己肯定感」がないこと。自分のことを大切にできていない。少年院に入る3割ぐらいの子は虐待を受けてきたというデータもありますが、やはり人として、子どもとして愛情をもって育ててもらっていない。そのまま成長して、結局反社会的な行動によってしか自分を認めてもらう方法を知らない、自分の存在意義を見いだせない子たちなんです。だから、入ってきた時は「自分はどうせ、こんな人間」と思い込んでいる。「自分は粗末な人間だから、相手を傷つけようが関係ない。自分がどんな境遇になっても悲しむ人なんかいやしない」と。

だからこそ、自分を大事にしなくちゃいけない。もちろん当時の私にはそう教えられるような社会経験も学力もありません。ただただ寄り添うしかありませんでした。

そして先生方の仕事ぶりや、少年院に入っている子どもたちの表情などを見て、たくさんの気づきを得て、私は「ここで働きたい」という思いが強くなっていました。

子どもたちと仲間たちに励まされて、
今ここに。

法務教官の仕事は、総務系、事務系の仕事もありますが、新採用で入ったら大体、子どもたちが生活する寮舎の担任の一人として入ります。入ってくる子たちの担任を一人ずつ持ち、授業をして、その子たちのための教育プログラムをつくり、毎月の成績評価をしたり、保護者との調整をしたりという仕事をします。普通の学校の先生とやっていることはほぼ変わらないかもしれませんが、決定的に違うのは、少年院の子どもたちは24時間365日ここにいます。実は少年院の教育で一番大事なのは生活指導です。教科や体育、特別指導と学校でやるようなことはもちろんやりますけど、その土台となるのは、やはり本当に基本的なしつけ指導から始まって、生活様式を正常な、普通の状態に戻してあげるということこそが、生活指導なんです。それが実は一番大変だったし、それでも楽しかったですね。

子どもたちにいろいろな役割をやらせ、その指導をしたり、子どもたちに話し合いをさせたり。集会と少年院では呼んでいるのですが、毎晩、子どもたちに話し合いをさせる時の先導役になるのですが、これがうまくいかないと、例えば集会の場が荒れて、弱い者いじめが始まったり、職員の目を盗んで反則行為をしたり、喧嘩が始まったりと、非常に緊張感の高い仕事です。

そんな時、一人一人が今、何を考えているか。「心情把握」と私たちは言っていますが、いくら少人数の集団でも、考えていることはみんな違います。例えば、「はい、やりまーす」とみんながやる気になって返事をしている中で、ちょっと声の小さい一人がいたり、いつも元気な子が大人しくしていると「あれ、今日はどうしたかな」とか。

また少年院では毎晩、日記を書かせて、当直の職員がコメントを返してあげることになっていますが、いつもたくさん書いている子が突然少ししか書かなかったり、急に攻撃的な字体に変わっていたりという時は、即座に声をかけます。集団を扱いながらも、必ず「個」を大切にするというところは、とても大事なところだと思っています。

一人ひとりに対して心情把握をする、毎日、子どもたちの心をつかむ。これはかなり自分自身のエネルギーを使います。時には辞めたくなるという職員も中にはいます。自分の心が折れてしまうんですね。それでも私がここまで続けてこられたのは、一緒に勤務していた先輩、後輩、同僚がいたこと。時には危機的な状況を救われたり、アドバイスをもらったり、組織のみんなに守られて、経験を積み重ねることで何とか持ったのではないかと思います。

そして子どもたちの存在。「先生さっきの話良かったよ」とか「先生の言っていることの意味、やっとわかった」とか。そんな子どもたちの言葉に励まされて、今も私はここにいます。

少年院という
「場」の持つ力。

ある日、地下鉄の改札を出たところでサラリーマン風の男性に「先生」と呼び止められたことがあります。よく見たら私が担当した寮の生徒でした。「先生、覚えてますか」と言いながら名刺を渡してくれた。その名刺、今でも大切にしています。詳細は言えませんが、かなり重い罪を犯してしまった少年でした。でも、その子が社会の中でちゃんと生きているんだなということが、すごくうれしかった。こうして普通の仕事に就くことができて、普通に生活できるようになっている、そのために私たちが彼らに教えたこと、伝えたことはちゃんと生きているんだなと思うことができました。

また、こんなこともありました。女の子ですが、父親から虐待を受けてきた子で、なかなか私たちの言うことを聞いてくれませんでした。繰り返し寄り添って声をかけ続けました。うるさがられても。その子が少年院を出ることになって、最後の面接の時にふと「先生がお父さんだったらよかった」と言ったんです。その言葉を聞いた時に、自分の仕事の責任の重さをものすごく感じましたね。その言葉は今でも忘れられません。

多摩少年院は100周年を迎えますが、この前も80歳くらいのおじいさんが多摩少年院の前を娘さんと思われるご婦人と二人でうろうろされていました。誰かのおじいちゃんが面会に来られたのかなと思ったら、「60年前、ここでお世話になりました。死ぬ前に一度来てみたかった」と。その人にとってみればもう東京に出てくることもないかもしれない、という思いから娘さんに連れてきてもらったんでしょう。とっても穏やかそうなおじいさんでした。そのおじいさんにとって、ここは母校なんでしょうね。その人の気持ちの中に、何かここで60年前に教えてもらったことが今も脈々とあるから、来られたんでしょうね。こういう仕事をしていると、いろいろなドラマがあります。

「今、在る奇跡」「覚悟」「人間力」

この3つは職員につねに考えてほしいこととして掲げている言葉です。少年たちにもつねに言っています。

「今、在る奇跡」というのは、自分がこの世に存在しているという奇跡に、まず気づこうという意味です。人が生まれて成長するということは私は奇跡だと思うんです。今、ウクライナで学校も行けず、爆弾によって死んでしまったり、また生まれてきたとしても幼少時に重い病で亡くなられる子もいます。そんな中で、生きていることのありがたさを彼らに伝えたいと思っています。そうすると、子どもたちは「ああ、おれは何でこんなもったいない生き方をしてきたんだ」と気づいてくれるかもしれません。

彼らはともすれば「生まれてこなければよかった」と考えがちです。そうではありません。ここに今、生きていることが奇跡なんだと、そこに気づいてほしいと思うんです。

「覚悟」というのは、子どもたちと接するには覚悟を持って向き合う必要がある、ということ。生半可な気持ちではなく、自分の全てをかけて向き合うというような覚悟が必要だと考えています。少年院の子どもたちは、被害者をつくっています。被害を受けられた方はずっと傷が癒えないまま、社会で生きておられる。その現実を少年たちは知る必要がある。そうたやすく立ち直れるものではありません。先生たちはレールを敷くけれど、走るのはあなたたちだ。実際に走り出したら、その線路から脱線させようと横から邪魔してくるものは絶対にいます。それでもおまえたち、続ける覚悟はあるのか、走りきる覚悟があるのかと伝えたい。

そして「人間力」。

コロナ禍で少年院でも職員と子どもたちのコミュニケーションは希薄化しています。例えば、近くで少年たちに叱ったり、「頑張るぞ」と声に出したりすることがあまりできなくなっている。もちろん感染拡大を防ぐことは大切ですが、コミュニケーションの希薄化がこの先、どのような影響を及ぼすのか、不安に感じています。ただでさえ、最近の子たちは、SNSやLINEだけでコミュニケーションを終わらせようとしているようにみえます。相手がどんな状態であろうが、自分の言いたいことだけ言う。返信がない、既読になっていないと怒る。昔は違いますよね、この人に声を掛けていいかどうか顔色を見ながら考えたものです。いろいろ相手をおもんぱかり、それが円滑な対人関係にもつながっていました。もちろんネット文化を否定しているわけではありません。ただもう少し人の顔色を見るとか、心情を理解するとか、この人には今どんな言葉が適切かなと考える必要があるんじゃないでしょうか。そうすれば、もっと人と人とのつながりは深く、強くなるような気がします。そうやって育まれるのが人間力だと私は思うんですがね。

さまざまな人とつながり、
社会とつながる。

少年院を運営していくためには、それはもうたくさんの方々との連携が欠かせません。ここを出て働く子のためには、ハローワークや就労支援スタッフと呼ぶ専門家につなぎます。発達障害などの子どももいますから、福祉的なケアも必要になります。院内には福祉専門のスタッフもいますから、外部の福祉機関や医療機関とのネットワークをつくり、ここを出た後のケアもお願いしています。もちろん、学校へ戻る時や大学へ進学したいという子には、教育機関や教員との連携も必要です。子どもたちの社会復帰支援は少年院だけで完結できるものは一つもありません。

昔は矯正施設から出る人の雇用は難しいとか、偏見も強かったのですが、このごろは、社会の理解が進み、受け入れていただける所も増えてきました。この仕事をしていてとてもありがたいなと思います。

地域社会とのつながりにも力を入れています。八王子市が再犯防止会議という組織を立ち上げて、地方自治体としての再犯防止政策を考える会に私が会員の一人として入って、発言や助言をすることがあったり、少年院の運営について外の方、第三者的機関で定期的に施設の状況を視察してもらう委員に八王子市の人に参加してもらったり。また、行政的なつながりだけではなく、地域住民とのつながりを深めるために、地域のお祭りや行事にうちの敷地を貸して、「町内会の運動会やってくださいよ」とか、町内会の盆踊りをやる時は我々が出掛けていって、ご挨拶させていただいたり、一緒に踊ったりしています。玄関先にカボチャが置いてあったと思いますが、あれは多摩少年院の農場で子どもたちが育てたカボチャです。入口の所に無人販売所があって、地域の方に喜んでもらっています。タマネギは八王子のフードバンクに送り、食事を取れない子や、夕食をつくってもらえない子どもたちに喜ばれています。今まで自分たちが汗水たらしてつくった野菜が社会の人々に喜んでもらったという経験などなかったはずですからね。

その経験は、今彼らの自己肯定感の高揚にもつながっています。

野間の旅館の離れに住みながらそこで学習塾の先生として地元の中学生らを指導

実践に根差した学びだから、
実務で生きてくる。

私にとって日本福祉大学は唯一無二の学校です。少年院での実習もそうですが、さまざまな体験が今に生きています。3年生になる直前には、先輩から中学生相手の学習塾をやってみないかと誘われました。先輩は4年生でもう卒業するから、あとを任せたいと。日本福祉大学美浜キャンパスの近くにある野間中学校の1年生から3年生、小学生もいました。いわゆる進学塾ではありません。学校でその日習ったことを復習したり、宿題したり、そんな程度です。こちらはただの学生で教えるスキルも何もありません。そもそも教えようなんて気持ちはなかったのかもしれません。それこそ「先生、彼女できたの?」「彼女、紹介してよ」「彼女、なんて名前?」から始まって、「先生、こんな汚い部屋じゃ駄目だよ。掃除しなよ。」とかね、中学生から言われてましたね(笑)。

子どもたちと向き合う姿勢や距離感、子どもたちをやる気にさせるヒントみたいなものは塾で子どもたちを教えながら学ぶことができました。

野間の旅館の離れに住みながらそこで学習塾の先生として地元の中学生らを指導

また、いろいろな講義や実習もさることながら、教授や先輩方が福祉の実践を大事にされていた感じがします。机上の学問、理論や知識ももちろん必要ですが、それが何かの行動や判断のベースになっていることが、実践によって理解できる。すべて実践に根差した話、実践に根差した社会福祉学、児童福祉学というのを非常に強く感じました。欧米の書物に書いてあることだけを我々に伝えるということはなく、「確かに欧米の書物にはこう書いてある。でも、日本における実践はこうで、理想だけでなく、現実はこんな粗末なこともある」と、現場での体験をベースに、実践によって検証されたことを教えてもらった。それは、実務に就いた時に、学んだこと、講義室で耳で聞いたことと実践が懸け離れていなかったことによってわかります。ちゃんと現実を見て、現実を語っていただける教員が多かったのではないかと思います。

日本福祉大学で4年間学んだことの中心は、「人間」ということだったと思います。いい意味で、何か非常に人間くさい大学ですよね。人間味があるというか、そこで私も「人間力」を磨くことができたのかもしれません。

※掲載内容は2022年9月取材時のものです。

これはちょっと格好良く言っちゃうと、うちで一緒に働いている職員です。本当は土日の競馬と言いたいんですけど(笑)。それはまずいですよね。
職員がいての私ですし、私も皆さんに育ててもらっているので、宝物ですね。

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