特定非営利活動法人
場作りネット 副理事長
元島 生さん
SHO MOTOSHIMA
経済学部
2005年卒業
熊本県/氷川高等学校
苦しみを抱えて生きる人と共に、
新しい支援のカタチを考える。
ここで受託した若者向けの電話相談事業などに取り組んでいる。
これまでにも、悩みを抱えた人、行き場のない人、さまざまな人に出会ってきた。
それらの体験から今、思うのは、
支援する側とされる側の関係を見直し、共に社会をつくっていく仲間としての、
新たな関係を築くことだ。
支援を求めている人たちと共に、よりよい社会(場)をつくっていくという、
新たな「支援」のカタチは、
元島さんを手伝う多くの若者たちが、その片鱗を見せてくれている。
その片鱗こそが、ひょっとするとこれからの社会にとっての「希望」かもしれない。
高校生の頃の僕。
高校生の頃は、正直だらけた生活をしていました。登校しようとして、向かい風が強かったので、行くのやめた、みたいな。人としてめちゃくちゃだったかも。そんな僕を見て、「学校行かないんだったら、ボランティアに行け」と親に言われて。親は障害者福祉に携わっている人だったので、障害者とスタッフがいっしょに電車に乗って出かけるのをサポートするというボランティアに参加しました。そこではきっぷ1枚買うのも、障害者もボランティアの人も、全力でやっていました。障害者の人も必死だし、それを助けるボランティアの人も必死。そしてそれを見ながら、何もできない自分がいた。その日の夜、反省会がありました。初めて会った人ばかりでしたが、みんなの前で号泣しました。自分の情けなさに、腹が立った。何やっているんだ、向かい風だから学校行かないって、どんだけ情けないんだよ、俺。
その時、苦しみを抱えた人の傍にいよう、そう思いました。
だから、日本福祉大学を選んだ。福祉や支援について、勉強したいという気持ちがあったから。
大人も子どもも
生きづらい社会という現実。
日本福祉大学の寮で一緒だった宮田くん、このサイトでも紹介されていますが、彼とは学生時代に自分たちの理想の学校をつくりたいね、って話していました。僕は大学卒業後に働き始めた学童保育で、隙間のない窮屈な世界で生きる子どもたちを見ていたし、宮田くんは富山県高岡市で始めた学習塾で、同じように生きづらさを抱えた子どもたちを見ていた。このままじゃいけないんじゃないかという、同じような思いを抱えていました。
そんな中で生まれたのが、富山県高岡市につくったコミュニティハウス「ひとのま」でした。一軒家を開放しただけなのに、いろんな人が集まってきた。最初は子どもたちを対象に考えていたんですが、始めてみると、困っている大人たちが多く集まってきた。大人も子どもも、たくさんの人たちが、生きる場を失っている社会の現実に触れ、この社会にどのようなことが起こっているのか、もっと知りたいと思うようになりました。
若者たちが、社会のゆがみを背負っている現状。
その現実に向き合う中で、場作りネット(のちにNPO法人化)をつくり、多世代に対応する総合的な相談事業を受託するようになりました。毎日、たくさんの人がSOSを発信する相談現場で、相談支援に明け暮れました。
その中で、とくに問題意識を持つようになったのが、「若い子たちがとても生きづらい社会である」という現実です。厚生労働省のデータでも15~34歳の死因第1位は「自殺」です。しかも、日本の若者の自殺は、他の先進国に比べて、とても多い。
自分が関わった若者の中にも、残念ながら自殺してしまった子はいました。そんな若い子たちの相談に応じていくと、社会のゆがみを背負ってしまっている姿が浮かび上がってきます。
心を病み、「死にたい」と訴える、ある若者にじっくりと話を聞くと、その根本には、幼少期、戦時中のトラウマを持つ祖父による家庭内暴力の問題が潜んでいることがわかりました。彼は、子どもの頃に、そういう家庭のゆがみを一身に背負って大人になり、心の病を発症していたのです。
ただ単に一人ひとりの相談に応じて、何らかの支援につなげるだけでは解決することができない、根深くて大きな問題を、相談者の人々は僕に教えてくれたのだと思います。
もし、あなただったら、
誰に相談する?
日本では自殺やいじめ、虐待などの現実に対して、国や自治体が相談窓口を設置するなど、さまざまな取り組みを始めています。しかし、問題の根本は、相談窓口をつくれば解決するわけではありません。社会のゆがみを背負っている若者たちは、そもそも大人や社会を信用していません。「自分たちを大事にしない大人、あるいは社会」であることを、身にしみて知っているようなところがあります。
若者たちが相談窓口を利用しなかったり、仮に相談したとしても、うまく問題を解決できないことも多いと感じています。データによれば、相談者の7割以上が相談してから亡くなっています。そうした中で、今必要なことは、「相談する側」「支援する側」という立場の垣根を越えて、一緒に社会を変えていく仲間として、あらためて「出会いなおす」という支援のカタチではないかと感じています。
僕には、「希望」がある。
今、若者向けの相談事業を受託して、若者に特化した相談支援を行っています。その事業の中で、今僕がチャレンジしていることがあります。相談者と同じように苦しんできた同じ世代の若者に、支援者として関わってもらうということです。
手伝ってくれている若者たちに、「自殺したいと思ったことある?」と聞いてみると、100%の子がyesと答えます。そういう苦しみを経験した子たちだからこそ、死にたいほど苦しんでいる若者の声に耳を傾けることができる。
苦しんでいる人の話を聞くと、相談に応じる側も、同じ苦しさを抱えることがあります。似たような体験を聞き、自分の体験と重ね合わせて、より切実に感じられるからでしょうか。そうやって人の話を聞くうち、自分の悩みや抱えている問題も見えてきて、自分を救う手がかりが得られることもある。若い子たちが、今、たくさん手伝ってくれているのも、ひょっとするとみんな自分を救いたい、そんなふうに思っているからかもしれません。
今、手伝ってくれている若い子たちも、日に日に成長しています。自分のことに気づき、自分を救い、そしてまた違う他の人の救いになっている、そういう姿に僕は頼もしさを覚えます。それまでは絶望することもたくさんありました。福祉や支援の現状を見るにつけ、こんなことでいいのか、と憤りにも似た思いに駆られることも少なくなかったから。でも、今は違う。苦しみを知っている若者たちが、ひょっとすると今までとは違う支援のカタチを見せてくれるのでは、と思うのです。
若い仲間たちが、新しい支援者像を見せてくれるかもしれない、それが現在の僕の「希望」であり、ひょっとするとこれからの社会にとっての「希望」であると思います。
元島さんの手伝いをしている大学生のワカちゃんに、
お話を聞きました。
支援を求めている人に対して、
自分がどう動くか、どう考えるか、
その大切さを元島さんが教えてくれた。
1年ほど前から元島さんを手伝うようになりました。上田市にある大学の社会福祉学部の先生に、「こういうところがあるぞ」と聞いて、来てみたんですけど。初めて元島さんにお会いした時、年上の社会人というだけでちょっと緊張していたんですが、実際に話してみると、変な大人だなあって。社会に縛られていない感じ、自由な感じがしました。対等に話せる雰囲気を持っていて、なぜだか、自分のことを話すときにも、ありのままの自分をさらけ出すことができたし、元島さんも、やっぱりありのままを話してくれました。普通なら、相手が年上だったり、先生だったり、上司だったりすると、言葉を選んだりして、ちゃんと話せないことも多いんだけど。元島さんは違いました。
実は私も、過去いろいろあって、悩んだ時期がありました。そんなとき、誰も助けてくれなかったという思いがあった。だったら、自分で福祉を学べば、知識がついて自分で自分を助けられるかもしれない。資格を取れば、自分と同じような境遇、苦しさを持つ人を救うことができるかも、と思いました。ただ、ある時、元島さんにこんなことを聞かれました。「大学で学んだ知識を生かして、昔悩んでいた時期の自分に対してどんなふうに支援してあげられる?」。
その時の私には答えられませんでした。勉強して資格を取れば助けられる、そんな簡単なものではないのかもしれません。行政の政策や制度、福祉に関する知識なども大切ですが、それよりも目の前の困っている人に対して、自分がどう動くか、どう考えるか、その大切さを元島さんに教えてもらえたような気がします。
「誰も救ってくれない」と感じていた、あの頃の自分のような「誰か」を支援することに、今ちょっとだけ近づけたのかもしれません。
※掲載内容は2019年4月取材時のものです。
ありのままの自分でいるための「音楽」。
音楽をやっています。たまに小規模なライブを開いたり。高田渡さんというフォークシンガーが大好きで。音楽をやっているときが一番正直でいられる時間だと思っています。
なんか、生きていると、嘘ついたり、カッコつけたりしてしまうし、お金を儲けたり、偉い人になりたいというような上昇志向ってすごく疲れますよね。そんなとき、歌ったり、音楽をつくったりすると、ほんとうに癒されます。音楽は辛いことも、疲れも忘れさせてくれる。ありのままの自分でいるために、音楽は欠かせないものだと思っています。