コミュニティハウス「ひとのま」 代表 コミュニティハウス「ひとのま」 代表

コミュニティハウス「ひとのま」
代表

宮田 隼さん

JUN MIYATA

情報社会科学部(現:健康科学部)
2005年卒業
福岡県/福岡大学附属大濠高等学校

ただ同じ場所で、
同じ時間を共有する。
それだけで救われる人がいる。

2011年、富山県高岡市でコミュニティハウス「ひとのま」は、スタートした。
この小さな一軒家で行われている取り組みを説明することは、実は簡単なことではない。
一軒家を開放しているだけなのだが、なぜか次第にさまざまな人たちが集まってくるようになった。
最初は不登校や引きこもりの子どもたち。
やがては刑務所から出てきた人、DV被害に苦しむ人、多種多様な背景を持つ人が、「ひとのま」に来る。
「ひとのま」は、彼らにとって大切な「居場所」になっている。
なぜ、人は「ひとのま」に集うのか?
やっていることはそれぞれ異なっても、抱えている問題は解決できなくとも、共に、同じ場所で同じ時間を共有する。
ただそれだけのことが、救いになることがあることを、「ひとのま」は教えてくれている。
あらゆる制度やさまざまな人をつなげて、患者や家族の退院後の暮らしを支える。

多様な人々が
ひとつ屋根の下で過ごすということ。

大学時代、僕は美浜町にあった学生寮に住んでいたんですが、そこにはさまざまな背景を持った学生たちがたくさん集まってきていました。身体が不自由だったり、身内に精神疾患を患っている人がいる人だったり、外国人とか、経済的にすごく困窮している人だったり。僕は人と関わるのが嫌いではないし、基本的に寂しがりやで、誰とでも仲良くなりたいタイプなので、彼らにも積極的に話しかけていきました。

思い起こすと、今でも、何人もの寮生の顔が思い浮かびますが、その中に、車椅子の学生がいました。障害のある人に対しては、多くの人が、気を使ったり、配慮したりしようと思う。しかし、実際に彼と話してみると、「いやいやどんどん触れてくれ」、と言うんです。気を使われる方が逆に辛い、と。そこには障害のある人の思いとの乖離があり、その乖離は世の中にあふれているんだろうなあ、と容易に想像できました。また、寮では外国人留学生のグループと日本人の対立が続いていました。しかし、ここでもちゃんと彼らと向き合い、話し合うことで問題は案外すんなりと解決していく。「外国人だから」というイメージだけで、壁をつくっていたのは我々だったのかもしれないと思わされました。

ふだんの生活の中で、健常者と障害者、あるいは価値観や考え方の異なる人たちとのコミュニケーションはどうあるべきなのか、学生寮で自然に考え、行動することができるようになったと思います。イメージだけで決めつけ、壁をつくるのではなく、まず話し合う、仲良くなる、そこがとても大事だなという気づきは、現在のこの「ひとのま」の取り組みにつながっていると思います。僕の大切なベースとなっています。

ヤンキーと引きこもりの生徒たちに何があっても、ブレてはいけない軸。

ヤンキーと引きこもりの生徒たちに
愛されて。

学生時代にはアルバイトで家庭教師をやっていました。なぜか僕の担当する生徒はヤンキーや引きこもりの子が多かった。卒業後、学習塾に就職したものの、ここでも勉強を教えるのはそっちのけで、ヤンキーや引きこもりの子の話ばかり聞いていた。結局、生徒は増えても塾の実績は上がってこないから、本部から睨まれてしまうようになりました。僕なりに反論したいところはあったんですが、愚痴ばっかり言いながら働き続けるのは嫌だったので、すっぱり辞めることにしました。

その時、27歳。大学時代から付き合ってきた女性がいて、結婚。彼女が富山県出身だったこともあって、富山県で学習塾を始めました。もともとヤンキーや引きこもりの子たちの話をじっくり時間をかけて聞きたいと思って始めた学習塾だったんですが、やっているうちに子どもだけではなく、30歳を過ぎて引きこもっている人を預かってもらえないかという相談が持ち掛けられるようになりました。「ああ、いいですよ」と答えているうちに、塾には子どもとそんな大人が半々というようなことになってしまいました。

知り合いの精神科医がいるんですけど、その病院を受診している患者さんが「実は宮田さんとこに行くようになって、だいぶ調子がいいんです」なんてことを言う。それを聞いた先生が、病院に来る患者さんに「宮田さんとこへ行くといいかも」と言っていただくようになりました。それで学習塾にはちょっと不似合いな大人が増えてきたのかもしれません。

ヤンキーと引きこもりの生徒たちに何があっても、ブレてはいけない軸。

「配慮しない」のは、
そこに「信頼」があるから。

いろんな人が集まるようになって、「ひとのま」を開設しました。スタートした時、いろんな人が来るだろうから、とりあえず、いろんな配慮をした方がいいのかなと思っていました。また集いの場にふさわしく飲み物やお菓子を用意したりもしました。いわゆる「おもてなし」というやつです。しかし、蓋を開けてみると、誰もそういうものは求めていなかったんです。

結局、僕はここに来る人たちに対して「配慮すること」というのは、「配慮しないこと」だと気づかされたのです。おもてなしの気持ちをすっかり忘れ去った頃、人が集まってくるようになりました。管理もしない、おいしいものを用意するわけでもない、僕はただそこに「場」をつくっただけなんですね。ここで好きにやれよ、思い思いに過ごしていいよ、もう開き直りに近いですが、しかし、それは実はここに来るすべての人たちを最大限に信頼しているという気持ちの表れなんだと気づきました。その信頼は、ここに来る人にとって、社会では得難いものだったのかもしれません。

「配慮しない」のは、そこに「信頼」があるから。

寄り添う人がいる、
という安心感を提供しているだけかも。

開設後8年経って、今では予想もしなかった人が集まるようになっています。たとえば刑務所から出てきた人が「行くところがないから身を寄せたい」と言ってきたり、「食べ物がないから」「DVを受けているから」といってやってくる人もいます。うちは、そういうさまざまな人の相談や困りごとに対応していますよ、なんてことは一度も言ったことがありません。とにかく来る人に対して、「いいよー」と言い続けていたら、こうなったんです。多くの場合役所や社会福祉協議会、警察などから来るんですけど、だからといって役所などを非難する気もありません。そうやってみんなが仲間のようになって、結果的に困った人が少しでも救われれば。

しかし、引きこもりや不登校の子たちのことはそれなりに分かっているつもりだったんですが、さすがに刑務所を出てきた人だったり、DVだったり、そういう人の話を直接聞いたこともなければ、対応したこともない。でも、「イメージだけで判断するのはよくない」と言い続けてきた僕ですから、いつもと同じようにとにかく話してみようと考えました。なぜ、こんな状況に陥ったのか、どうして罪を犯すことになってしまったのか?聞いてみると、その人の抱えている背景がわかってきて、もちろん暴力や犯罪はよくないけど、やむにやまれぬ事情があって、そこに至っている。そのことを理解するだけでも、その人の人生にちょっとだけ近づくことができる。問題を解決することはできなくても、その人に寄り添うことができると思うんです。寄り添う人がいる、という安心感を僕は提供しているだけかもしれません。

僕はここにいる子どもたちにも、ここへ来た人たちの背景をきちんと話します。分かってくれます。あるいは大人である僕たちよりも素直に受け止めてくれます。ここの子どもたちを僕は誇らしく思います。おそらく同世代の子どもたちよりもはるかに多様な人々と接していて、さまざまな考え方があることを、勉強するのではなく、リアルに体験的に知っていて、イメージだけで人を見ないということができるのですから。

押し付けない、
不必要に手を差し伸べない。
もちろんできることはする。

そんなことを言っているからか、「宗教じゃないか」と勘ぐられたこともありました。どこか他所から来て、人を集めて、何をやっているのかよくわからない、これはもう宗教だろうということでしょうね。

お寺のご住職などを集めた会合で講演をしたときのことです。終わったあと、一人のご住職が立ち上がって、こんなことを言ってくれました。「お寺以上にお寺のやるべきことをやっている。私は僧侶としてそれなりにやってきたつもりでしたが、そう考えていた自分が恥ずかしい」と。

たしかに多くの人は救いを求めて「ひとのま」に来ています。ただ宗教と決定的に違うのは、僕には布教したいことは何もありません。立派な信念とか、教えとか(笑)。ただ、みんなそれぞれに好きなようにやっていいという場所を提供しているだけですから。こうした方がいいよと思うことはあっても押し付けたりしない。困っている人がいたとしても、不必要に手を差し伸べたりしない。もちろんできることはします。

あらゆる制度やさまざまな人をつなげて、患者や家族の退院後の暮らしを支える。

寛容さが失われつつある社会で
人はどう生きるか?

今の世の中に対して、寛容さがなくなっているんじゃないかと思います。自分のことで精一杯なのかもしれませんが、もうちょっと他者を受け入れる必要があるんじゃないでしょうか?自分には関係ないと、断ち切ってしまうのではなく。

大阪へ行った時のこと。梅田駅で夜の8時に若者が倒れていました。でも誰一人として気に止めようともしない。繁華街のことだから、酔っぱらいが倒れていることなんて、日常茶飯事なのかもしれないけれど、僕は気になって仕方がない。近寄って見てみると、彼のカバンの中にはウイスキーの瓶と睡眠薬がいっぱい入っている。慌てて警察に連絡したんですが、考えてみると、このような人に対して誰も声をかけないというのは、とても怖いことだと思いませんか?

そうかと思うとマスコミの不倫報道やSNSの記事に対して過剰に反応したりしている。誤解をおそれずに言えば、人の不倫やSNSの発言なんてどうでもいいことですよね。それよりも、自分の目の前にいて苦しんでいる人に手を差し伸べることの方がどんなにか大切なはずだと僕は思います。

寛容というのは、ゆるすということかもしれませんが、少なくとも自分の目の前で苦しんでいる人の苦しみや痛みを、自分のこととして引き受けるという「広い心」のことでもあると僕は思います。別に偉そうに言うわけではありません。駅前で倒れている一人の青年を救うことができなくて、人間であると言えるでしょうか?

社会を変えるための一歩は、
決して難しいことじゃない。

こういう社会を変えることって、難しいことではないと僕は思います。自分の目の前で困っている人を見かけたら、まず声をかけてみる。話を聞いてみる。たったそれだけで社会は変えられると信じています。

僕のやっていることだって、特別難しいことでもなんでもありません。難しい本を読んだわけでもなければ、研修を受けてきたわけでもありません。ただ、小さな一軒家を開放しているだけです。おもてなしが得意なわけでもありません。日本福祉大学を卒業していますが、他の誰よりも福祉について学んだというわけでもない(笑)。何も大げさなことではなくて、ちょっとした一歩が、あるいは話を聞くことが、社会を変える。みんな難しく考えすぎです。優しさは、みんなが持っている。その優しさにちょっとだけ行動力を与えてみればいい。誰にでもできる、それが「ふくし」なんだと思います。ちょっとでも誰かの役に立つこと、それができていればそれは「ふくし」だと思います。決して特別なものではない。肩肘はってどうこうするものでもないと思います。 だから、いつも僕は言っています。
「誰でもできるよ」。

あらゆる制度やさまざまな人をつなげて、患者や家族の退院後の暮らしを支える。

Editor’s Note

ある日の、ひとのま。

「ひとのま」には、今日も笑い声があふれていた。
3月のとある金曜日の午前中。
ゲームに夢中になっている子、旅行から帰ってきて土産物を広げている子、小学校低学年と思われる小さな子もいれば、聞いてみると30歳の誕生日を迎えたばかりという物静かな女性もいる。ときには50代、60代の人もいるという。
また見知らぬ来訪者である我々を、とくに歓迎するわけでも物珍しそうに見るわけでもない。
誰も干渉しないし、ここで何かをしなければならないという決まりもない。
ただ、ここにいる限り、人は一人ではない。
「ひとのま」という名前には、「人と人との間」という意味が込められている。
つまり、「人間」は一人ではない、二人以上いるから「人間」なんだ、と。
そんな思いが、この場に集う人たちに、やすらぎを与えている。

※掲載内容は2019年3月取材時のものです。

僕は4歳児と2018年9月に生まれた0歳児の親。この二人と遊ぶ時間が僕にとって至福のとき。縁ノ助と寅次郎といいますが、縁ノ助は人との縁に恵まれますように、という思いを込めて名付けました。今年の夏には彼も5歳になるので一緒に魚釣りをするのが今から楽しみです。
祖母が長崎県の島に住んでいて、その頃からずっと魚釣りを趣味にしてきました。釣った魚をさばくことはお手の物、というのは密かな自慢です。

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