阿智村役場 地域経営課
井原 吉貫さん
YOSHIYUKI IHARA
経済学部
2016年卒業
長野県/阿智高等学校
村長になる。
僕を救ってくれた阿智村のために、
まっすぐ、尽くそうと決めた。
長野県下伊那郡の西部に位置する。
人口は6,197人、過疎化が進み高齢者の比率も高い。
このままでは少子高齢化の波が、いずれ村を覆い、経済も衰退するかもしれない。
それは日本の多くの村が抱える問題でもある。
この村を救い、もっともっと多くの人々を惹きつける村にしたい。
そのために、できることは、「村長になる」こと。
そう、考えたのは、まだ20代の若手阿智村役場職員の井原吉貫さんである。
阿智村の人たちが見せてくれた、
未来への希望。
もう、どうなってもいいや。大学も辞めよう。野球で大学に入ったのだから、野球ができなくなった以上、当然大学を続ける意味も無いと思いました。
小学校から野球を続けてきました。誘われて日本福祉大学へ入学したものの、入学直後、肩を壊してしまいました。「この肩で投げることはもうできない」という思いは僕を苦しめました。今思うと、高校3年の夏の大会が頂点だったのかもしれません。
監督に相談すると「打者としてやっていけばいい」と言っていただきましたし、先輩やコーチからも、ずいぶん引き止められました。
阿智村に帰って、親や友人とも話し合いました。みんな「大学辞めるなよ」と言ってくれました。ずいぶん気持ちがラクになりました。また、このまま大学を続けてもいいんじゃないかとも思えるようになりました。
しばらく阿智村で過ごした後、僕は大学へ戻ることにしました。
阿智村というふるさと、そして阿智村の人々が、僕を救ってくれました。この人たちへの感謝の気持ちをカタチにすることが、僕の新しい目標となったのです。地元のために働く。そして阿智村をもっともっと素晴らしい村にする決意が芽生えたのです。
「村長になる」、という目標。
「阿智村のために、自分に何ができるだろうか」。阿智村は、人口わずか6,197人の小さな村です。面積は広いですが、耕作地は少なく、決して豊かとは言えません。高齢化も30%を越えていて、このままでは衰退の一途をたどる、と多くの人が考えていたと思います。
その阿智村の問題は、阿智村で生まれ、育ち、今阿智村で暮らす、僕自身の問題でもある。人任せにせず、自分の仕事として、阿智村を変えていくこと。その答えは、「村長になる」ということでした。それが僕にできることだと考えました。
大学へ入るときは、専門職をめざすよりは、幅広い分野について学ぼうと考え、経済学部を選びました。経済学を学ぶことは、衰退の道を歩み始めている阿智村を救うための知識を身につけることにつながるかもしれない、と考えました。もっと経済学を深く学びたいと思い、ゼミを担当してくれた遠藤秀紀先生には、2年の終わり頃、「勉強を教えてください」、と頼み込みました。先生は驚いたような顔をしていましたが、それでも渋々了解してくれて。1対1の個人授業が、1年か1年半くらい続いたと思います。本当に先生には今でも頭の下がる思いです。こんなめちゃくちゃな要望を受け入れてくれるなんて。経済学や統計学などはもちろん、通常の授業では学べないこともたくさん教えていただきました。知識のすそ野が広がったと思います。
就職のことも遠藤先生に相談しました。先生のゼミに所属する先輩で、尾鷲市役所に勤務している方を紹介していただき、公務員の業務や使命などについて、いろいろ聞かせていただいたのも、大変参考になりました。
卒論は「リニア中央新幹線と定住」をテーマにしました。阿智村と隣接する飯田市にリニア中央新幹線の新駅が設置されます。リニアが来ると、人はどのような動きをするのか。飯田市に出向いて資料を探したり、市役所で話を聞きました。また、都会から飯田市に移り住んだ方にも話を聞きました。自分のふるさとに近い飯田市を卒論のテーマとしたのは、やはり、阿智村について研究したいという強い思いが背景にあったからだと思います。
「村長になる」という目標に向けて、一つひとつ大切に積み重ねることで、ぶれることなく、目標に近づけているという実感を得ることができました。
温かかった。日本福祉大学という環境。
日本福祉大学の4年間には、ほんとうにいろいろな人との出会いがありました。ゼミナール、アルバイトなどを通じて出会った人たちが、僕を成長させくれました。
日本福祉大学には、もともと障害のある人を積極的に受け入れています。だからキャンパスを歩いていても障害のある人、車いすの人が普通に行き来していますし、ゼミにもいました。障害のある人と向き合うと、どうしても意識してしまう。でも、ゼミで一緒になった学生は、少しもハンデを感じさせない、ごく普通に接してくる人でした。
また、子どもが好きだったので、2年次の後半からアルバイトとして学童保育の手伝いをしたこともあります。大学の4年間、子どもからお年寄り、障害のある人……、そんな環境ですから、当たり前のようにふだんの暮らしの中にあるのが「福祉」なんだと思えるようになりました。僕の中に知らず知らずの間に「福祉」の心が育まれていったんですね。その「福祉の心」は、職員として働く今も強く生きています。
日本一の星空が見える村から。
観光の仕事は、簡単に答えが出ない仕事です。それでも入職前から希望していた部署だったので、楽しみながら仕事ができました。東京や名古屋、大阪へ出向き自治体のPRをしたり、また長野県とJRがタイアップした大きなイベントの運営なども、3年間続けて取り組みました。観光の仕事は、一見派手な感じがしますよね?でも、結果がなかなか見えてこない。パンフレットを配ったり、駅にコーナーを設けて村の観光PRをしたりするんですが、誰も受け取ってくれないし、聞いてくれない(笑)。「これって意味あるのかなあ」と思ってしまいましたけど、続けていくうちにいろいろと工夫するんですね。「こういう風に声をかければ聞いてもらえるんじゃないか」、とか。そうやって人に伝えるチカラや話す力が身についていきました。
阿智村と言えば、「日本一の星空」って、ご存じですか?
2006年に環境省の「全国星空継続観察」で、もっとも星の観測に適した場所として最高点を記録したことが発端です。後に「日本一の星空ナイトツアー」が企画されて、今では何十万人もの観光客が訪れる目玉企画になっています。これは民間の方たちが始めたもので、行政の力というよりは、民間の皆さんの力と言えます。
この他にも、地域経営課は、商工業とリニアを管轄しており、2027年に予定されているリニア中央新幹線のトンネルが阿智村を通るので、その関係の調整の業務もあります。そして環境政策。太陽光やバイオマス、水力発電などの自然エネルギーを生かした環境政策ですね。地域経営課は決まった業務が少なく、次から次へと目まぐるしく新しい仕事が飛び込んできます。
阿智村の未来。
今、「日本一の星空」に続く新たな阿智村の観光資源を考えなくてはいけないところに来ています。このため、観光局と行政が一体となって、国内有数の温泉地である、昼神温泉郷の将来構想を考えています。人口も減少し、地域経済も衰退している中で、阿智村の将来をどうするのか、村としてもきわめて重要な課題です。観光によってたくさんの人に阿智村に来ていただき、地域内での消費を活性化し、さらには農業や林業などの産業の立て直しも考えていく。いわば村としての大方針を作るところに関われるのは、とても幸せです。
今は「ユニバーサルツーリズム」にも力を入れています。外国人も障害のある人も、どんな方でも旅行に参加していただけるという取り組みです。これなどは、やはり日本福祉大学で4年間過ごした経験が、生きていると思います。だから、ただ障害のある方や外国人の方を特別扱いするのではなく、誰もが普通に、特別意識して旅行に行くのではなく、阿智村を訪れて、ふつうに幸せな気持ちになれる、そんな旅行にしたいと思います。
障害のある人も含めてたくさんの人とともに過ごした4年間の記憶が、今、バリアのない社会に向けて一緒に向かって走る原動力になっています。
「村長になる」目標は、まったく変わっていません。周りの人からは、「大変なだけだからやめたほうがいい」と言われます。しかし、職員として阿智村の現在に関わり、さまざまな人と出会って、話を聞くうちに、その思いはより強いものになっていきました。
今は、「村長になる」と、だれかれ構わず言い続けています。そうすることで、自分の中でも気持ちが高まってくる、と思うので。今、20代後半ですが、できれば30代には村長になる目標を実現したいと思います。村長となって阿智村を少しでもいい村にすること。それは、阿智村の人々に救われた僕の使命です。
阿智村を訪れると、その豊かな自然に圧倒される。人工物に囲まれた都会にはない、豊かさがある。しかし、そこで暮らす人にとっては、我々には想像できない辛さや苦しさもあるのだろう。そんなこともすべて引き受けて、井原さんは、村長をめざしている。野球をあきらめ、大学をやめようとすら考えた井原さんを引き留めた村への恩返し。村長という目標に向けて、できる限りの努力を続ける姿勢は、一貫して変わることがない。周囲の人からは「期待の星」などと声がかかる。井原さんのような若者こそ、阿智村に輝く希望の星、なのだろう。
※掲載内容は2019年11月取材時のものです。
僕にとって、I love youのyouは、もちろん家族です。2人の子どもがいます。だから子育て支援などについては、行政としてもしっかりやっていきたいと考えています。
それから、今までもこれからも僕に関係する人すべてが僕にとって大切な人です。
バリアのない世の中の実現に向けて、そういう人たちとの絆を生かして、一緒に未来に向かっていけたらいいと思います。