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犀川スキーバス事故追悼集会と現地法要を執り行いました

レポート
2025年01月30日

 1985年1月28日早朝、長野県内で「犀川スキーバス転落事故」が発生しました。この事故で亡くなられた25名(教員1名、学生22名、バス乗務員2名)の方への追悼のため、毎年学内での追悼集会と現地法要を実施しています。
 事故から今年で40年が経過し、当時の状況を知る教職員がわずかとなってきました。「当時の状況を学生たちに伝え、引き継いでいく」ことを目的とし、今回初めて、追悼集会に先立ち、原田正樹学長によるオリエンテーションを実施しました。

オリエンテーション

 原田正樹学長は、事故発生時の報道や追悼文集「かなしみをこえて」に触れつつ、当時の状況を説明しました。「文集の中でご遺族は、『娘は福祉を学びたいという強い想いを抱いてこの大学で学んでいました。娘の気持ちを思うと、可哀想で胸が張り裂けそうです。』と記されています。」また、33回忌法要で述べられたご遺族の言葉も紹介されました。「1年生22名の命が、一瞬にして奪われたことに対しての無念な気持ちは、全く変わるものではありません。亡くなってからも『今生きていたら』とその姿を思い、青春真っ只中の10代を経て、20代・30代・40代と過ぎ、本来であれば、今50代となって、「どんなにか活躍していただろう」と思うと、たまらない気持ちも、全く変わるものではありません。」「子や友人を失った悲しみは癒えることはありません。日々を過ごすことや幸せを享受することは当たり前ではないということを時には思い出して、この大学で学んだ知識や経験を活かして社会で活躍してほしい」と話されました。

追悼集会参加学生にオリエンテーションを行う原田正樹学長
追悼集会参加学生にオリエンテーションを行う原田正樹学長

追悼集会

 同時刻に4キャンパスで「犀川スキーバス事故追悼集会」が執り行われました(美浜キャンパス・友愛の丘を配信拠点とし、他キャンパスには映像配信)。同窓生や教職員、学生合わせて348名が参列しました。
 友愛の丘は、亡くなられた方を追悼し事故の教訓を継承していくという想いを込めて、学園創立50周年事業の一環で整備された場所です。また、本集会は亡くなられた先生や学生の「福祉を学び、社会に活かしたい」等の遺志を継ぎ、実りある大学生活を送ることの重要性を再確認することを目的として、毎年実施しています。

 冒頭、丹羽亜瑠人さん(教育・心理学部1年生・美浜キャンパス学生会副委員長)が事故の犠牲者のお名前を一人ひとり読み上げました。

犠牲者のお名前を読み上げる丹羽亜瑠人さん(美浜キャンパス学生会副委員長)
犠牲者のお名前を読み上げる丹羽亜瑠人さん(美浜キャンパス学生会副委員長)
追悼の言葉を述べる原田正樹学長
追悼の言葉を述べる原田正樹学長

 次に、原田学長は「亡くなられた22名の学生の中には私の高校の同級生がいました。彼女とは入学した年の夏に互いの近況報告もしており、また会えることを疑ってもいませんでしたが、それが叶うことはありませんでした。今年、私たちは還暦を迎えます。生きていれば、あなたはどんな人生を歩んだのでしょう。」
 「日本福祉大学が、なぜ『ふくし』を大切にするのか。『ふつうのくらしのしあわせ』が如何に尊くて、有難いことなのか。そっと教えてくれる場所が、友愛の丘であり、今は亡き、あなたたちからのメッセージだと思っています。」
 献花のときには、「亡くなられた一人ひとりの気持ちに想いを馳せながら、かつ能登半島で被災された皆様、そして世界で今も続いている戦争で犠牲になった尊いいのちにも想いを寄せて、合掌していただきたい。」と追悼の辞を述べました。

 続いて、早川恵梨さん(経済学部4年・災害ボランティアセンター副センター長)は「私は入学式の学長挨拶でこの痛ましい事故を知り、帰宅後、時間をかけて調べたことを今でも覚えています。今回の追悼の言葉の作成にあたり、当時の資料が展示されている50周年記念館へ足を運び、資料を拝読しながら、自分が今生きていることは決して当たり前ではないということ、日々の暮らしを当たり前に過ごせていることに対して、感謝の気持ちを持たなければいけないと感じました。
 昨年8月には災害ボランティアセンターの一員として、能登半島地震の復興ボランティアにも参加しました。この事故や災害に共通して言えることは、『風化させてはいけない』ということです。私たちは、この事故や自然災害での教訓を通じて、命の尊さを深く学ぶだけでなく、周りの友人や知人に語り継ぐことで、次世代へと紡いでいきます。そして、『今の自分にできること』を精一杯取り組んでいきます。」と追悼の言葉を述べました。

追悼の言葉を述べる早川恵梨さん(災害ボランティアセンター副センター長)
追悼の言葉を述べる早川恵梨さん(災害ボランティアセンター副センター長)

 その後、参列者全員で黙とうを行った後、アカペラサークルFigaroの歌声が響く中、献花が行われました。

参列者全員で献花を行いました
参列者全員で献花を行いました

また、追悼集会に併せて、友愛の丘に隣接した「50周年記念館」で資料展示も行われ、多くの方にご覧いただきました。

現地法要

 1月28日同日、現地でもご遺族、同窓生、大学教職員、学生ら計26名が参列し追悼法要を行いました。はじめに、事故当時からお世話になっている正源寺での法要が執り行われ、全員で焼香を行いました。
 その後事故現場に移動し、現地慰霊碑に献花を行いました。
 丸山悟理事長は追悼の辞で、「この地に立つと、亡くなられた方々とご遺族の皆様の深い悲しみと無念の思いが強く胸に迫ってきます。事故から40年が経ち、当時のことを知る教職員は、ほとんど大学に残っていません。しかし、この痛ましい事故を風化させず、大学としての道義的責任、道半ばにして突然『学び』に生きることを断ち切られてしまった方々に対する倫理的な『義務』を背負い続ける『精神』もしっかり継承していく所存です。亡くなられた22名の学生の皆さんは、福祉を先導するべく、社会の中で学び続けることを意気に感じ、喜びとすることができる方々でした。私たちが社会と格闘しているとき、ふっと皆さんの面影が脳裏に浮かび、励まされているように感じます。これからも皆さんの遺志を引き継ぎ、次世代に継承していきます」と述べました。

現地法要の模様
現地法要の模様

 最後に、故人への思いを込めてお団子を犀川へ投げ入れました。 当時バスに乗車していた同窓生の香山久子さんは「同級生たちが生きた証を伝えていくのが私の務めだと思っています。生き残った者として、事故を風化させてはいけない。こんな悲しい事故が二度と起きないことを願っています。」と話されました。