STORY / ON AIR
-
第1話
アメリカ物語
12/1 FRI 21:10~21:40 ON AIR
少女時代はおてんばで理屈屋で不公平なことが大嫌いだったふさ。 日本女子大学を卒業したふさはある日、兄の常太郎が三井物産の飛行士に雇われ渡米することを知り、ふさの人生は転機を迎えます。
父親を懸命に説得し兄と一緒に渡米したふさは、住み込みでメイドの仕事をしながら自分の進むべき道を模索していきます。 -
第2話
孤軍奮闘物語
12/8 FRI 21:10~21:40 ON AIR
当時のアメリカで始まったばかりの「医療ソーシャルワーカー」と出会ったふさは、その道を志し、アメリカの大学で勉学に励み、さらに、幼児教育についても学びます。渡米して10年たったふさは帰国を決心し、聖路加病院のトイスラー院長に手紙を書き、自分をソーシャルワーカーとして使って欲しいと直談判をします。
やがてふさは日本に戻り、1929 年、日本初の医療ソーシャルワーカーとして活動を始めます。しかし、ソーシャルワーカーへの理解がほとんど無かった日本では、ふさは様々な苦労を味わうことになったのです。 -
第3話
子ども支援物語
12/15 FRI 21:10~21:40 ON AIR
ふさは、子どもの支援に力を入れるようになり、人形劇などを通して子どもたちに病気の予防の大切さなどを伝えていました。そうやって多くの子どもや母親と関わっていくようになると、日本の母子にまつわる深刻かつ残酷な問題を目の当たりにすることになります。当時の日本では婦人参政権が認められておらず、ふさは日本における「母子保護」の確立を志し、市川房江さんらと共に婦人の権利獲得のための活動を始めるのです。
-
第4話
名古屋で教育者に
12/22 FRI 21:00~21:40 ON AIR
終戦後、ふさは地方における社会福祉の担い手を育てていくことの重要性を感じ、1953年、日本福祉大学の前身、中部社会事業短期大学で教育者として働くことを決意。その後80歳まで教壇に立ち後進の指導にあたるとともに、生活保護受給金額の見直しや老人医療無料化の実現など、多くの人を支援し続けました。
ふさはその半生で「知らねばならぬ、あらねばならぬ、なさねばならぬ」という信念を持ち
社会活動や後進の育成に取り組みましたが、
その精神は、70年経った今も日本福祉大学に脈々と息づいています。