INTERVIEW

浅賀ふさ先生(成人期)役

竹下 景子 さん

KEIKO TAKESHITA

― 主人公の「浅賀ふさ」に関して、どのような印象をお持ちですか。

 ふさ先生は、日本女子大学附属高等女学校から日本女子大学校に進学され、それからまたお兄さんと一緒にアメリカに行かれソーシャルワークを勉強されたということで、自身の手で自分の世界を大きく拓いていかれました。そういった意味で一人の女性として、頼もしいというか、目覚ましい働きをなされた方だと思います。
 この時代、女性が高等教育機関に進学することは、まず余程の環境が整っていなければ出来なかったことですし、まして海外で勉強したいという勇気もお持ち合わせでいらした、大変先駆的な方だと思うんですね。
 海外ではいろんなアルバイトもしたというふうに書かれていますが、自分は何をすべきかということを真摯に考えられて、いつもいつも前向きに、「自分は何ができるんだろう」「自分は何がしたいんだろう」ということから始まって、まっすぐ歩いてこられた方なんだなというところに、まずは大変感銘を受けました。

― 役柄を演じられるうえで、何か意識されたことはありますか。

 偶然にも私は、日本福祉大学と同い年です。70周年というこの記念ドラマで、ふさ先生を演じさせていただくことを大変嬉しく思います。そして、ふさ先生と比べてみると、70歳は、まだまだ若輩者だなと思いました。(笑)
 ふさ先生は、80歳まで現役で後進の方々を育て、その中で教えることより教えられる方が多かったと言われる、そういう瑞々しい気持ちを持ち続けられました。とても素敵だと思います。また、女性参政権の話に関しても、市川房枝さんのことは記憶にありましたが、ふさ先生もかかわっていらしたことは初めて知って、そういう方々とも肩を並べてお仕事をされ、女性の地位向上のために尽くされたことも、素晴らしいと思いました。
 一人の女性として、ソーシャルワーカーとして 全ての人たち、特に当時、女性や子どもたちなど弱い立場の人たちこそが救われないと、日本の国全体が良くならない、という思いを常にお持ちでさまざまな活動をされた、ブレることのないふさ先生の志を胸に、演じていけたらと思っています。

― このドラマは日本における社会福祉の黎明期のストーリーですが、「これからの福祉」に期待することなどありましたらお聞かせください。

 日本の社会においても今、ワーキングプアの問題とか、一人親家庭の問題とか、さまざまな課題があり、困難な状況を抱えている方々がたくさんいらっしゃいますよね。ふさ先生が言われた「知らねばならぬ、あらねばならぬ、なさねばならぬ」という言葉の通り、私たちも、まず「知る」ところから始めていくことが大事なのではないかと思っています。
 そして、ふさ先生のような方に光を当てていくことは、一つの希望というか、これからに繋がっていくのではないかと思います。
 社会のあたりまえに疑問を持ち、矛盾や課題を見つめ、自らその解決に向かって行動を起こしていったふさ先生の後に続く方が、これからも出てきてほしいと期待していますし、私たちもそれぞれ自分ができることに、関わっていくことが求められているように思います。

― 今回のラジオドラマを通してリスナーの皆さんに伝えたいことやメッセージなどがありましたらお聞かせください。

 今は、情報社会で、SNSなどを使って、あらゆる情報が瞬時に手に入って、何でも世の中のことが分かるように、つい思いがちになってしまいますよね。そんな中で、今とは随分違う明治という時代に生まれて育った女性が、自分の意思でどんどん道を切り拓き、「世の中のために自分は何ができるのかを、追求をしていく。実践していく。」-ものすごく私自身勇気づけられました。
 ぜひこれからの方たちには、どんな分野の方であっても、自分の身体全体で見たり、聞いたり、感じたりーそういう意味では、海外へ行くということは一番わかりやすい例だと思いますけれどもーふさ先生のように羽ばたいて、どんどん自分の夢とか目標に向かって進んでいただきたいなと思います。この物語を聴いてくださると、きっとそういうふうに思わせてくれると思います。そして、いくつになっても、ひたむきに、前向きにという気持ちが大事だということも、思い起こしてもらえるのではないかと思います。

PLOFILE

竹下 景子

愛知県名古屋市出身。
NHK「中学生群像」出演を経て、1973年NHK銀河テレビ小説『波の塔』で本格デビュー。映画『男はつらいよ』のマドンナ役を3度務め、『学校』では第17回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。
また、2007年に舞台『朝焼けのマンハッタン』『海と日傘』で第42回紀伊國屋演劇賞個人賞、2015年に第66回日本放送協会放送文化賞を受賞、2019年には文化庁長官表彰を受ける。
テレビ・映画・舞台などの他、2005年の日本国際博覧会「愛・地球博」日本館総館長をはじめ、国連WFP協会親善大使など幅広く活動している。