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第19回 高校生福祉文化賞エッセイコンテスト

入賞作品

わたしが考えるこれからの社会 入賞作品

最優秀賞

私が進む道しるべ

柳 優恵(日本福祉大学付属高等学校 3年)

「なんで私だけ。」

私は六年間ほど祖父を自宅介護していた。祖父は脳梗そくの後遺症で左半身がほとんど動かず、歩くにも立つにも座るにも介護が必要だった。そして、次第に認知症の症状も出始めていた。祖父を介護するために、朝から晩まで付きっきりの生活。トイレの手伝い、オムツもはかせて、ご飯を食べさせ水を飲ませる。夜中に大きな音がして目が覚めると祖父が転んでいて、それを起こして…。そんな毎日でいつのまにか私は「なんで私だけこんな思いをして生活しているのだろう。」と考えてしまうようになった。

そんな毎日だったが、祖父がようやく老人ホームに入所することになった。正直ホッとした。「やっと皆と同じ条件で学校に行ける、祖父がいるからと遊ぶのをためらわなくていいんだ。」と思ったら泣けてしまった。だがこの瞬間、私と同じ思いで学校に通っていた人がいたのかもしれない。介護に疲れているのに誰にも相談することができない人がいるのかもしれない。

私はこの時の経験から、辛い、困っている、生活が難しいと感じている人を手助け出来るような仕事に就きたいと考えている。また、子供の虐待や鬱の人を助けられるような人になりたいとも思っている。

もしも祖父に介護が必要でなくて、元気に過ごしていたのであれば、私は辛い思いをせずに済んだのかもしれない。だけれど、祖父には介護が必要で、私がそういう日々を過ごしたから今の私が、これからの私ができたのだ。祖父は今年の二月に亡くなった。コロナ禍であまり施設に行けなかったけれど、私のことを最後まで覚えていてくれた。もう伝えられないけれど、はっきりと言いたい。

「じじがいたから、私は自分の道を開けたよ。あの経験が、私の進む道しるべになったんだよ。本当に心からありがとう。」

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審査員のひとこと

祖父を六年間にわたり自宅で介護してきた経験から感じたことをもとに、自分の将来を見つめ、切り開いていこうとする姿が綴られています。大変な経験をマイナスではなくプラスに転じている点を高く評価しました。

ケアを担う当事者の気持ちがしっかりと描かれ、具体性のある内容は説得力もありました。文章も素直で読みやすく、エッセイとして大事な要素がおさえられている点も評価されました。

優秀賞

幸せになる思考

鈴木 すみれ(中央大学高等学校 3年)

私がすべての人が幸せである社会に向けて実践していることは、「少し立ち止まってよく考える」ことです。

情報化の進む現代では、ちょっとスマホをいじれば様々な情報が飛び込んできます。日々のニュース、好きなバンドのライブ情報、簡単なレシピ、ちょっとしたライフハックなど……。ポジティブで役立つ情報だけでなく、ネガティブなものが流れてくることもあります。そしてその中には、正確な情報もあればそうでないものも多いでしょう。全ての情報を鵜呑みにしてしまうと、根拠のないことで悩んだり、間違った知識で人を傷つけたりしてしまうことがあります。情報を目にしたら一度立ち止まってよく考え、それが真実なのか自分で調べ直してみる必要があると思います。

また、特に人気のあるSNSのひとつに、インスタグラムがあります。自分の生活の一コマを撮った写真を文章とともにアップするシステムで、自分の興味がある人の生活を気軽に見ることができます。その一方で、綺麗な写真と自分の生活を比べて落ち込んでしまうこともあります。「映え」という言葉を使えば、なぜ自分はこんなに映えない日々を送っているのだろう、と暗い気持ちになってしまうこともあるかもしれません。しかし、SNSに載っている写真は、生活のよい部分だけが切り取られ、それが全てかのように語られているという場合もあります。「何となくきらきらしていていいな」と視覚だけに捉われるのではなく、もっと視野を広げて自分の幸せについて考えるべきではないでしょうか。

人には人それぞれの幸せがあります。映えているか映えていないかよりも、自分は何が好きで何を大切にすべきなのか、よく考えて情報に惑わされない姿勢を取ることが必要です。他人のものさしで自分の幸せを測るのではなく、自分自身で自分だけの幸せを追求する。それが幸せな社会への一歩だと考えます。

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審査員のひとこと

少し立ち止まって良く考えることの大切さを訴えた作品です。雑多な情報やインスタグラムの「映え」に惑わされない生き方について素直に書かれていて、好感が持てます。話の筋が通っていて、文章も上手です。自分の意見を明確に言葉にできている点がすばらしいと、多くの審査員から高い評価を集めました。

一般論が多かったので、身近な事例を挙げる等、具体的な描写を加えると、より説得力が増して、さらに良い作品になったと思います。

優秀賞

福祉(ふくし)」は「福知(ふくし)」だ

船生 美帆(日本女子大学附属高等学校 2年)

「綺麗に髪を伸ばしましたね。」
と美容師さんが声をかけてくれた。高一の冬、「ヘアドネーション」をした時の事だ。病気や事故で髪を失った子どもたちの、医療用ウィッグを無償で提供するために、自分の髪を寄付したのだ。それで、私は人の役に立てたと思いこんだ。けれど、それは勘違いだった。

その年の春になり、身近な人が抗がん剤治療を始めた。薬の副作用は、脱毛、爪が割れる、口内炎、吐き気・・・と多岐にわたり壮絶だ。その人は体調も悪く、
「暑いし、ウィッグを着けるのも煩わしい。外に出るのも面倒臭い!」
と、呟いた。そうか!私はその時、小児がんの子どもたちだって、きっと同じように思っているよね。と気づかされた。その出来事は、「ヘアドネーション」の意義を考え直すきっかけにもなった。

それは、幼い私が街の募金箱に、僅かなお金を入れて、人の役に立てたと思っている、自分の姿と重なっていた。私はあの時の、自分のままではいけないのだ。街の募金箱は、「何故」必要で、どんな「支援」に使われるのかを「知り」、「行動」出来る人にならなければいけない。来年には成人し、社会を支える立場になるのだから。そこで、改めてウィッグを必要としている子どもたちのことを考え直していた。

脱毛した子どもの中には、小児がんで、生と死の狭間で闘病している子もいる。あまりにも高い壁だ。闘病は本人の頑張りだけど、乗り超える壁を低くするのが「社会」であり、「福祉」である。例えば、病気で髪のない姿でも「どうして髪が無いの?」と不思議に思わない社会を作れば、ウィッグ自体を着けても着けなくてもいいよ、と言える世の中に生まれ変わる。二人に一人が、がんになるこの国の脱毛に対する偏見が減るのだ。誰もが幸せになれる社会の福祉は、相手の立場を考えることから始まる。「福祉(ふくし)」は「福知(ふくし)」だ。

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審査員のひとこと

ヘアドネーションを行った自分の体験を起点に、がん患者の声を聞いて、社会で良いと言われていることをもう一度自分で批判的に考え直している点が良かったです。いろいろな気づきに至るまでのプロセスがしっかりと描かれていて、その考察を読者に伝わる文章にできている点も、高く評価されました。

きちんと知ることが大事だという思いを「福知(ふくし)」という言葉で表現したタイトルも、良く考えられています。

入選

公共の福祉とは

塩田 千裕(香川県立丸亀高等学校 2年)

中学校で習った「公共の福祉」という言葉。私の印象としては中学の定期テストや高校入試で頻繁に問われる言葉というところだろうか。だが、ふと思う。公共の福祉とは一体なんだろう。一言で言えば、社会全体の幸福と利益のことだ。しかし、全員が幸福になれることなど本当にあるのか。勝利の裏には敗北があり、誰かの笑顔の裏には誰かの涙があり、誰かの成功の裏には支える人の苦労と流した汗がある。これが世の常ではないだろうか。

私の身近にいつも幸せそうだった人物がいる。私の祖母だ。祖母は料理が大好きな人だった。自分の畑でたくさん野菜を育てては調理してご近所さんに配ったり、私達に送ってくれたりした。汗水流して一生懸命作った野菜をほとんど皆に配ってしまう祖母は私から見れば聖母的な存在である。美味しかったと伝えると
「そりゃあ良かった。作りがいがある。幸せじゃ。」
とクシャッと笑って答えるのだった。そんな祖母ももう亡くなってしまった。葬儀に集まった人の話を聞けば、祖母の人柄の良さはすぐに分かった。祖母は私達だけではなく、そこに集まった多くの人達を幸せにしていたようだ。葬式場は祖母への感謝エピソードで溢れ、流れる涙にはほっこり心が温まる何かが含まれていた。多くの人に幸せをお裾分けしてきた祖母は誰よりも苦労してきたと聞いていたが、私は祖母の辛い顔を見たことがなかった。見せないようにしていたのかもしれないが、本当に祖母は幸せだったのだと私は思う。他の人のために努力することも祖母にとって幸せだったからだ。

ここで私はハッとする。誰かの幸せの裏にある努力はたとえ苦労であったとしても幸せにもなり得るのだ、と。他人のための努力を幸せと思える人が増えればこの世界はきっともっと明るくなる。本当の公共の福祉を求めて、私達は変わらなければならない。

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審査員のひとこと

「公共の福祉」という言葉から誰もが幸福になれる社会について思いを巡らせ、たどり着いた気づきを作品にまとめ上げています。いつも幸せそうだった祖母のエピソードを通じて社会を考え、勝ち負けではない社会、それが福祉のありようではないか、という自分なりの発見に繋げているところがすばらしかったです。

メッセージの内容や文章の展開の良さが評価されました。

入選

距離があっても

南 心結(鈴鹿工業高等専門学校 2年)

去年の夏、新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、多くの人がそうしたように、私も悩みに悩み、新型コロナウイルスワクチンの職域接種を受ける事を選択した。

副反応も心配だったが、それ以前に、「極度の方向音痴の私」が一人で知らない会場へ行き、「病院を一人で受診した事のない私」が自分で問診を受け、一人で予防接種を受ける事にもとても不安を感じていた。今まで初めての事には大抵誰かが傍で付き添ってくれていたからだ。それが叶わないのも新型コロナウイルスの憎いところだと思った。

緊急事態宣言下で迎えた一回目の接種の時、親切な案内や丁寧な説明のおかげもあり、接種までは驚く程スムーズに終える事ができた。一安心して待機していたが、待機時間が終わる頃、急な緊張に襲われた。それは、「自己判断で退室する」という事を思い出したからだ。それまでが丁重だっただけに、係員の確認なしで本当にもう帰っても大丈夫だろうかと不安になってしまい、私は思わず辺りをキョロキョロと見渡した。すると、それに気づいた同じ時間帯の男性が目を合わせてくれ、マスク越しに微笑み、親指を立てるサムアップポーズをして合図を送ってくれた。さらに、目線で誘導しながら、呼吸を合わせるように一緒にゆっくりと立ちあがってくれたのだ。距離があったにも関わらず、まるで目の前で手を差し伸べてくれているかのような温かさを感じた。自由に会話をする事も憚られる状況の中、言葉を交わさずに届けられた優しさに思いがけず胸を打たれた。一カ月以上家に籠り、誰にも会えず、漠然とした閉塞感で息苦しさを感じていた私にとって、久々に誰かと心の交流があったと感じた瞬間だった。

できなくなった事に囚われ過ぎていたかもしれない。距離があっても、言葉を交わさなくても、気持ちに寄り添う事はできるのだ。私も小さな気づきを大切にし、サインを見逃さないようにしたい。さぁ、前を向こう。

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審査員のひとこと

今のコロナ禍の状況を、実体験を通して豊かな描写で書いている作品です。ワクチン接種会場で、「言葉を交わさずに届けられた優しさ」に胸打たれたというエピソードを軸に、距離があってもできることはある、と話が展開されていきます。コロナ禍の中の一場面を切り取った、時代を反映する作品として残していく意義があると感じられました。

素直な文章で内容も良くまとまっていますし、何より良い気づきがあります。その気づきで最後を結んでいる点も大変良かったです。

入選

私たちが障害を「特別」にする

半田 果歩(北杜市立甲陵高等学校 2年)

「どうして今まで言ってくれなかったんだろう。」私は、友達が障害を持っていると知った時、そう思った。もっと早くそうと教えてくれていたら、違う対応ができたのに、と。しかし友達は私にこう言った。「障害者だと周りに話したら、誰も同じようには扱ってくれない。」

もし、今親しくしている人から障害を持っていると打ち明けられたら、あなたはどう思うだろう。そんなことは関係ないと口では言いながら、心のどこかで一線を引くようになりはしないか。中には「障害を持っているのだったら特別優しくしなければ。」と考える人もいるだろう。「もっと違う対応ができた。」と私が思ったように。しかし、その一見気遣いのようにも見える「特別扱い」が障害を持った人たちにとっては苦になっているのではないかと私は思う。それは、そのような行動はどこかで私たちが、障害を持つ人のことを「かわいそう」と思い憐れんでいる表れであるからだ。私は前に、パラリンピックテニス選手のインタビューを見たことがある。その選手は「金メダルを取っても、日本ではテニス選手としてではなく、障害者が車いすテニスをしてまで頑張っているのが偉い、感動する、と言われてしまう。どこかで同情の対象なんですね。」とメディアに話した。その時私は胸が苦しくなった。そして同時に、初めて無意識に私たちが障害者に向けている同情の目線に気づいた。

障害を持っているということは、何も特別なことではない。しかし今の私たちは障害者を「例外」として見てしまっている。そのことこそが障害者にとっての社会で生きる「障害」になっているのではないだろうか。私たちがすべきなのは特別扱いではなく、配慮であり、障害者と健常者を区別しないことであると思う。そして、私自身も障害を持った人たちにとって本当の「障害」がない社会を創る人でありたいと心から思う。

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審査員のひとこと

自身と障害のある友人との関係を出発点に、普通と特別という見方を考え直し、特別視や同情のない社会をめざそうと決意している様子が良く伝わってきます。特別扱いと配慮という言葉の違いに目を向けて、その奥にある意味を良く考えてみようという社会に対する問題提起になっている点が評価されました。

高校生がそれをきちんと考えている点も評価したいと思います。