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第19回 高校生福祉文化賞エッセイコンテスト

入賞作品

ひと・まち・暮らしのなかで 入賞作品

最優秀賞

思い出のかたち

淨慶 栞(立命館守山高等学校 1年)

ぽたん、ぽたん……。静かな部屋に響く雨漏りの水音。天井には広く歪に水が滲み、それを受け止める大きなたらいにはもうすでにたくさんの雨水が溜まっている。落ちてくる水滴が、次から次へと水面に波紋を描く。

私の祖母は築百年を超す木造平屋に一人で暮らしている。広い敷地には古い茶室や枯れた池があり、昔はとても立派なお屋敷だったそうだ。しかし百年の歳月を経て修繕ができない程に劣化や破損が進んでしまった。家屋の倒壊を心配する親族の説得を受け、渋々祖母は生家であるその家を手放す決断をした。

家族で久々に祖母の家を訪れた。「最後になるかもしれないから。」と祖母に誘われ、雨の中二人で敷地内を散歩することになった。

「子供の頃はなぁ、この離れのお茶室にお琴の先生をよんでお教室を開いていたんよ。」ぽつり、ぽつりと祖母は話し出す。「このびわの木は私が植えたんよ。もう切られてしまうんやね。」「年末になるとおとうちゃんとここで一緒にお餅をついたんよ。」「この土間でおかあちゃんが竈に火を入れるのをいつも隣で見ていたんよ。」皺だらけの小さな手で祖母は愛おしそうに優しく家を撫でる。子供時代からのたくさんの思い出の詰まる大切なこの家を手放し、更地になったこの場所を祖母はどんな気持ちで見つめるのだろうか。私は祖母の言葉に頷くだけで精一杯だった。

人は思い出だけで生きてはいかれない。古いものは朽ちていく。家も、人も。私は祖母のおとうちゃんにもおかあちゃんにもなれないし、この家を直すこともできない。しかし祖母のこれからの時間に寄り添い、新しい日日の思い出を一緒に作ることはできる。

写真を撮ろう。家もお茶室も、びわの木も土間も、全て私が写真に残そう。そしてそれを見ながら、これから祖母とたくさんの話をするのだ。祖母の話をもっと聞きたい。

遠くの部屋から、優しく切ない水音が聞こえる。私はカメラを手に取り、立ち上がる。

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審査員のひとこと

長年住み慣れた家を離れることになった祖母への想いや、情景が目に浮かぶような描写とともに綴られ、審査員一同高く評価しました。文章からしみじみとした情感が伝わり、悲しみや希望も盛り込まれていて、いろいろなことを考えさせられます。

起承転結の流れが良く、最後の「写真を撮ろう」という前向きなメッセージも効果的でした。難しい漢字をあえて使っているところにも、作者の意思や豊かな感性、知性を感じました。

優秀賞

おばあさんのゴミ袋

阿部 倖大(栃木県立足利清風高等学校 1年)

夏休みのある朝。友人たちと少し遠くまで出かける約束をしていた僕は、予定より準備に時間がかかってしまい、朝ごはんもそこそこに慌てて家を飛び出した。

駅に向かって自転車を漕ぎ出した時、視界の隅に大きなゴミ袋を持ったおばあさんがゆっくり歩いているのが見えた。近所に住んでいるのは知っているけれど、名前までは知らないおばあさん。片手に杖、もう片方の手にゴミ袋を持つ姿は、何となく昨年亡くなった僕の祖母に似ている気がした。

僕は頭の中でどうしようかと考えた。今急いで集合場所に向かえば、まだ間に合うだろう。でも、おばあさんがあのゴミ袋をゴミステーションまで持っていくのはきっと大変なはずだ。でも、なんて声を掛けたらいいんだろうか。その間はきっと一秒くらいだっただろうが、僕は目まぐるしく考えを変えた。

結局僕は自転車を引き返して、おばあさんに声をかけた。
「おはようございます。良かったらゴミ持っていきますよ。」
おばあさんは少し驚いた様子だったが、すぐに笑顔になって
「ありがとう。助かります。」
と言ってくれた。そして意外な言葉を続けた。
「たまに、あなたのお父さんもゴミを持って行ってくれるのよ。」
僕が驚いておばあさんを見ると、
「顔がそっくりだから、親子だってすぐにわかったよ。」
と微笑んだ。父がそんなことを僕たち家族に言ったことは一度もなかったが、それは誰かに言うほどのことではなく、当然のことだと感じていたからだろう。

僕はゴミ袋をゴミステーションに置き、ネットをしっかり被せると自転車にまたがり、ペダルにグッと力を込めた。背中にかけられた、おばあさんの「いってらっしゃい」の声が、祖母の声と重なって聞こえた気がした。

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審査員のひとこと

近所のおばあさんのゴミ捨てを手伝うまでの高校生の心の揺れが、ドラマのワンシーンのように描かれた作品です。手伝いたいけれど恥ずかしい、という十代特有の気持ちを素直な言葉で表現している点が評価されました。高校生らしいシーンを描いていて、さわやかな読後感も魅力でした。

自分の父親も同じように手伝っていたことを知るエピソードや、おばあさんと亡くなった祖母を重ね合わせる場面に、作者の家族が持っている温かさも伝わってきました。

優秀賞

盲導犬を育てたその先に

中垣 志伊奈(日本女子大学附属高等学校 1年)

「あなたが育てた犬を貰ってごめんね。可愛い子をありがとう。」そう伝えるためだけに片道二時間をかけて会いに来てくれた人がいる。盲導犬ユーザーの蛭田さんだ。私は小学生の時に盲導犬候補の子犬を預かるパピーウォーカーというボランティアをした。一緒に暮らしたのはたったの十ヵ月だが、一日たりとも怠けず育てて送り出した大切な子だ。だからこそ、蛭田さんがかけて下さった温かい言葉を私は忘れないと思う。

蛭田さんは八歳の頃から徐々に視力が弱くなり四十代で全盲になられた。その中で仕事・結婚・子育てをなさった方であり、また旅行が好きで盲導犬と一緒に飛行機や新幹線で北海道から関西まで沢山の友達に会いに行った、とさらりと言う。落ちていく視力を恨む節は一切なく、受け止めてきた潔さがある蛭田さんは「これからをどう生きるのか」ということにエネルギーを集中させている。私はこの生き方が印象に残った。人に自分からすぐに会いに行く行動力がある。だから自然と友だちが増えるのだろう。蛭田さんがよく使う言葉は「心配しても自分ではどうにもできないことで悩まない。」確かに自分が思う通りに環境を作り変えることはできない。くよくよするにもエネルギーを使う。同じエネルギーがいるなら、それは自分が前に進める方向に使おうとする考え方、そして必要な人に自分から会いに行くという生き方があると知った。パピーウォーカーを通して犬を育てたことだけがゴールではなく、犬を通して蛭田さんに出会い話すことで「人としてどう生きるのか」考えて、学ぶ時間を貰っていた。

これらは今の私の高校生活における勉強、係の仕事、クラブでも同じだ。技術の習得や得点に重きを置くだけでは勿体ない。活動を通して人と関わり、人の生き方を知る。その上で自分はどう生きるのかを考え、選択したい。私が盲導犬を育てたのではない、育てられたのは私の方だったのだと気付いた。

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審査員のひとこと

盲導犬候補の子犬を育てるパピーウォーカーというボランティアを通じて、盲導犬ユーザーと出会い、その方の言葉や生き方から学んだことが素直に書かれています。具体的な内容を上手にまとめていて、貴重な経験をしっかりと受け止め、自分なりに考えを深めているところが評価されました。

ボランティア活動で感じたことだけではなく、そこでの出会いから学んだことを自分の生き方にどう反映させようかという気持ちも伝わってくる、とても良い作品でした。

入選

気持ちが伝わる文字

近藤 夏梨(西宮市立西宮東高等学校 1年)

幼い頃、私が朝起きればテーブルには母の書き置いたメッセージがあった。仕事で早朝に家を出ることも多かった母が、私に日々の連絡をするためだった。毎朝メッセージを見るたび嬉しかったのを覚えている。しかし、次第にそんなこともしなくなり、私が小学校高学年になる頃には私はスマホを持ち、家族との連絡もLINEなどを通してするようになった。

ある日のことだ。いつにも増して母が忙しく、私も部活や塾で互いになかなか顔を合わせることができなかった時。私が塾から帰宅しキッチンに向かうと、一枚のメモがあった。
「冷蔵庫にご飯あるよ」
久しぶりに書かれた母からの手書きのメッセージだった。普段ならLINEで済ますような連絡なのだが、その時の私の心には響くものがあった。いつもより少し形が乱れた文字。家を出る直前に料理をし終え、急いでメッセージを書く母の姿が目に浮かぶ。特徴的な丸い文字や誤字を消した痕の一つひとつに、忙しい中、夕食を用意してくれた母の優しさがギュッと詰まっているような気がして、なんだかホッとした。

近年、デジタル化により文字を書く機会が減っていると言われている。時間をかけて字を書くより、スマホやパソコンでメッセージを送る方が便利だ。しかし、手書きの文字にはそれらにはない不思議な力があると思う。手で書かれた文字は書く人や状況によって全く違う形になる。誰が打っても変化のない画面上の字より、書く人の気持ちやその人らしさが伝わるのが手書きの文字ではないだろうか。私が母の文字を見て嬉しくなったり安心したりしたのは、きっと文字に母の気持ちを感じたからだ。便利さにとらわれすぎず、相手のことを想って伝えようとすることは、とても大切なことだと思う。この母のメッセージを通して感じたことをこれからも忘れないようにしたい。

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審査員のひとこと

塾から帰ったらキッチンに母のメモがあったというエピソードを軸に、手書きの文字に関する想いが綴られています。スマホやSNS全盛の時代に、手書きの文字の温かさを大切にしたいという作者の豊かな感性や人間性が浮かび上がり、多くの審査員の心を動かしました。少し乱れた文字を見て、そのときの母親の状況を想像する眼差しに、作者の成長も伝わってきました。

入選

「大丈夫?」の一歩先

座間 耀永(青山学院高等部 1年)

「大丈夫?」と聞かれたら、たいていの人は、大丈夫でなくても「大丈夫。」と答えるだろう。しかし、それでは、本当は大丈夫じゃない人が救えないのではないか。

昨年、元気だった父が突然のステージⅣ宣告を受けた。検査をしても風邪と言われ半年後に判明した癌は、治療が難しい種類のものだった。動揺している父に、私は安易に「大丈夫?」と聞いてしまった。父は「大丈夫だよ。」と笑顔を私に向けた。本当は全然大丈夫なんかじゃなかったのに。

私はその一年前に大きな手術をしている。手術前、背中にコルセットをしなければならず、体育を見学していると友達が「大丈夫?」と聞いてくる。もちろん「大丈夫。」と答えるしかない。でも、当時の私は、病気のことを話したくない、話して同情されたくない、話したところでその人は私を助けられない、と思っていた。しかし、元気になった今思うと、素直にあの時、「辛い。」と吐露してもよかったと思う時もある。話すことで気持ちが軽くなっただろうし、友達もどうやって私に声をかけたらいいかわからなかっただけだと思うのだ。

先日、母が雨の日に傘を扱いづらそうにしている松葉杖の人に、「大丈夫ですか?」と聞き、「大丈夫です。」と答えられて手伝えなくなってしまった、「お手伝いします。」と声をかければよかった、と言った。私は、これだ、と思った。相手がしてほしいだろうという気持ちを汲んで、互いに行動を起こしやすい言葉がけをすることが必要なのだと。

今、私は苦しい治療をしている父に、気持ちが明るくなるように応援の言葉をかけ続けている。父は辛い時は、辛いと言うようになったし前向きに毎日を生きている。

「大丈夫?」という気持ちに一歩先の優しい工夫を添える。それが相手の心に届き、行動ができる。私はこれからもそうやって人に寄り添っていく。

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審査員のひとこと

父親が重い病気になり、どのような言葉をかければいいのか、と戸惑う心情が素直に書かれています。「大丈夫?」と聞くのではなく、その一歩先の優しい工夫を、というまさにタイトル通りのすばらしい気づきに至る過程が描かれ、自分の心の変化を作品としてしっかりまとめ上げている点を評価しました。

実際、お父さんにどんな応援の言葉をかけているのか知りたくなりました。書き出しと締めくくりに具体的な描写を入れると、さらに良い作品になったと思います。

入選

祖母との16年、そしてこれから

小島 結充(四日市メリノール学院高等学校 2年)

「今日は、鬼饅頭ね!」今日も祖母の元気な声が、帰宅した私を出迎えてくれる。幼い頃から、いつも祖母の元気な声に支えられてきた。祖母は、天真爛漫で、人と喋ることが大好きな明るい性格。初めて知り合った人ともすぐに打ち解け合い、楽しい時間を過ごせる人だ。私は、そんな祖母が大好きだ。

「ばあば、やっほー!」当時、私は祖母の家に遊びに行ってお菓子をもらうことが日課だった。祖母の元気な笑い声に包まれながら一緒に過ごす時間は、私にとって至福の時なのだ。けれども、ある日、祖母の元気な笑い声と明るい笑顔が消えた。こんなに幸せな日常が、突如病魔に奪われてしまったのだ。

乳癌。今まで一度も大病を患ったことがない祖母は、片方の乳房を全摘し、さらには抗癌剤治療で髪が全て抜け落ちた。今でも鮮明に覚えている。祖母は別人のように表情は暗くなり、元気を失っていた。幼かった私はただ悲しかった。

あれから月日が経ち、私も高校生になった。今は分かる、祖母の苦しみや悲しみを。体の一部を失うことがどれほど辛く、絶望的であったか。きっと、「死」という一文字が頭をよぎっただろう。

今の祖母は、元気を取り戻しつつあるが、今でも病気の再発の不安は抱えたまま。しかし、そんな気持ちを感じさせないかのように、明るく元気に振舞ってくれる祖母。私が学校での出来事を話す時には、いつも真剣に耳を傾けてくれる。自分のことのように喜び、ときには悲しみ、そして励ましてくれる。そんな祖母にいつも私は救われ、支えられてきた。だからこそ、今度は私が祖母を救いたい。不安や辛さをかき消すくらい、たくさん喜ばせたい。そう心の底から強く思う。

「おかえり!」玄関の扉を開けると、元気な祖母の声が聞こえてくる。おやつを用意して待っている祖母に今日も伝える。「ただいま!テスト、自己ベスト更新!」

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審査員のひとこと

三世代家族の中で、幼い頃から面倒を見てもらった大好きな祖母のことを思いやる気持ちが、とてもよく伝わってきて、温かな気持ちになる作品です。文章は全体に勢いがあって、書き出しも日常のやり取りが生き生きと描かれ、最後まで一気に読ませる表現力があります。

病気の不安を抱える祖母を喜ばせたいと明るく交流している様子や「おかえり!」から始まる最後の段落が明るい未来を感じさせ、強く印象に残る締めくくりとなっています。タイトルも素敵です。