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第21回 高校生福祉文化賞エッセイコンテスト

入賞作品

スポーツ・文化活動を通して 入賞作品

最優秀賞

障がい者乗馬活動を通じ
成長する私

長村 茉唯花(岐阜県立大垣養老高等学校 3年)

愛玩動物の勉強がしたくて動物科学科に入学した私。犬や牛は可愛いが、木曽馬が怖くて仕方なかった。大人しい馬だから大丈夫と言われても、いつまでも慣れない私。そんな私が課題研究活動で、なぜか障がい者乗馬を担当することになってしまった。2年生後期から卒業までの長い期間、馬と関わらなくてはならないことに絶望感を抱き憂鬱になる。さらに追い打ちになったのが、私が担当するRちゃんのこと。小学生のRちゃんは、指定難病の1つ、筋強直性ジストロフィーという重い疾患を患い、車イスの生活だ。逃げだしたいけど逃げられない。葛藤のなか1ヶ月後に迫った乗馬会に向け、毎日の馬の調教と当日の運営について計画実行した。万が一、馬が暴れてはいけない。自分のなかの馬への恐怖心を責任感で覆い隠し奮闘する私。壁にぶつかれば乗馬の専門家にも相談し努力し続け迎えた当日。車イスに揺られた小さなRちゃんを初めて見て言葉を失った。

「こんな大病を患った女の子が馬に乗りたいって・・。馬を怖がっていた私は何なの?」Rちゃんのお母さんからは、
「この子、馬が大好きだから、馬に乗せたいと思ったけど、どこにも受け入れてもらえなかった。本当に感謝してます。」

はっとした。私は感謝されることをやっているんだ。誰かの為に全力で取り組んでいる自分に初めて気付くとともに、少し誇らしく照れくさく感じた。私を含め4人のサポートによって無事10分の乗馬を終えたRちゃんは、本当に満足そうな笑みを浮かべていた。同じく幸せを感じている自分がいた。

Rちゃんは来月も参加予定だ。より安全で楽しめる乗馬会にしていくには、まだまだ課題がある。しかし、今は、その課題が自分の背中を押してくれ、充実した学校生活を送っている。何か大きな壁を乗り越えられた自分。そして乗り越えられない壁などないことに気づけた自分。この活動を通じ、今、体感している。

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審査員のひとこと

乗馬会に向けて馬の調教に取り組み、初めて障害児の乗馬を支援した際の経験を、力みのない自分の言葉で具体的に書いています。障害児との関わりを通して起きた自分の変化をしっかりと受け止め、自身の成長を実感できている様子にすがすがしさを感じました。優しい心で人に接することのすばらしさも伝わってきます。

文章に読み手を引っ張る力があり、心地良い読後感も魅力でした。

優秀賞

本を届ける

蛇口 文利愛(北海道登別明日中等教育学校 6回生)

私たちにとって本はどんな存在か。生活に欠かせないものか、読書感想文のために仕方なく読むものか。きっと人それぞれだろう。

私は本が好きだ。辛いことがあっても、本を読めば物語の世界に没頭できる。読み終わった時には、前に進もうと思える。私にとって本は背中を押してくれる存在だ。

私は学校の探究活動で、本に触れる機会を与える取り組みをしている。そこで、中学2年生が過去に授業で本のポップを作ったと聞き、市内の図書館で本のポップ展示を企画することにした。しかし、そう簡単に進まなかった。2年生に「ポップを入れといて」と頼んだ封筒は空っぽ。何度も説明してやっと6枚集めることができたが、その後も企画の交渉や装飾のデザインと制作、展示の説明文やアンケート作成など、短い準備期間で仕事はどんどん増える。本当に展示を見てもらえるか、私の活動自体意味があるのか、不安が私を容赦なく襲った。

そして、ポップ展示の日。私は恐る恐る図書館の中に入った。すると、展示の前では同じ学校の生徒がポップをまじまじと見ていたのだ。通る人も全員展示に目を向けてくれた。私は不安だった気持ちと嬉しい気持ちでグチャグチャになった。

少し経ってアンケートを覗いてみると、「読みたいと思った」「楽しめた」という声と企画したことへの感謝の言葉で溢れていた。不安だったことが嘘のように、嬉しさと喜びで胸がいっぱいになった。そんな中、私は1つのアンケートが目に留まった。本を読んで人生が一変した人の話だ。1度罪を犯し、暇な刑務所で仕方なく本を読み、生き方を学んだ。おかげで、現在も再犯をせず過ごしているという。本は私たちの人生を豊かにするものだと確信した。私にとっては背中を押してくれるもの、この人にとっては生き方を教えてくれるもの。誰かにとって本は形を変えて存在する。私は、これからも沢山の人に本を届ける活動を続ける。

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審査員のひとこと

本に接してもらう機会を増やそうと、図書館で本のポップ展示を企画した作者の気持ちの揺れが丁寧に描かれています。気持ちの表現と文体の流れが一致して、最後まで心地良く読むことができました。企画に挑戦して良かったと意を強くしている作者に、この年代ならではの成長を感じます。

これまでにない独創的なテーマで、本の持つ力に気づき、それをきちんと表現していることも評価されました。本離れが進む時代に、本を大切に想う気持ちがうれしかったです。

優秀賞

湊 大地(山口県立徳山商工高等学校 1年)

「カキーン!」

雲一つない青空に小さな白球が舞い上がる。きれいに打ち上げられた打球は、そのままスタンドへと一直線に吸い込まれていった。

当時11歳だった私は、父と甲子園を見にきていた。始めはプロでもない選手のプレーする姿を見るために、貴重な夏休みを使うことに気分が乗らなかった。観戦当日は、チケットを買うために朝早くから行列に並ばされたこともあり、私の不満は最高潮に達していた。しかしながら、気温は35度を超えており、私は怒る気力もなかった。試合を見るだけでは退屈で、「早くクーラーの効いた部屋でアイスでも食べたいなぁ。」と心の中で呟いた。

その時、ある一人の選手が目に付いた。その選手は、野球に興味のない私でも知っている、有名校のユニフォームに身を包んでいた。彼は1年生にもかかわらず、今日の試合で大活躍していた。そして打席には、絶好調の彼が立っていた。試合は終盤に差し掛かり、ホームランが出れば同点という場面だった。私は先ほどまでの不満など忘れ、彼に夢中になっていた。ピッチャーが1球目を投じた。彼は迷うことなく初球を振り抜いた。打った瞬間、4万人の観客がいるとは思えないほど静かになり、彼のバットの音だけが響き渡った。ボールはスタンドに飛び込み、先ほどまでの静けさが嘘のように球場が揺れていた。私とたった5歳しか変わらない少年が、日本中を熱狂させている。笑顔でグラウンドを駆け回る彼の姿は、今でも目に焼きついている。

あれから5年が経ち、私は当時の彼と同い年になった。私は彼に憧れて野球を始めた。彼が今の私くらいの時期には、日本中の子供達に夢と希望を与えてくれていた。私も彼のように子供に夢を見せられるような人になりたい。「夢を見せるのに、年齢など関係ない」。彼があの試合で私に示してくれた。あの日の彼は、今でも私の夢だ。彼の背中を追い、今日もバットを握る。

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審査員のひとこと

甲子園で高校野球の試合を観戦した11歳当時を振り返り、臨場感あふれる表現でまとめ上げた作品です。甲子園でのワンシーンを鮮やかに切り取っていて、作者の経験や興奮が真っすぐに伝わってきました。あのとき出会った憧れの選手をめざして夢を追う自分と野球との関わりが具体的に描かれ、第2分野のテーマにふさわしい作品として評価を集めました。

内容の良さに加えてスピード感のある文章で、最後までおもしろく読ませる表現力もありました。

入選

できる

河西 小春(山梨県立甲府東高等学校 3年)

「あなたならできる」私はこの言葉が嫌いだった。何もかも上手くいっていない時にこの言葉をかけられて、頑張っても報われない自分に嫌気がさしてしまったからだ。

高校2年生の秋、私は職業体験のために特別養護老人ホームへ行った。そこで実際に身体が麻痺している高齢女性の介護を手伝った。人間の身体は私が想像していた何倍も重く、私一人の力ではまともに介護をすることができなかった。その時に「あなたならできる」という言葉がふと脳裏に浮かんだ。私はここでも何もできないのかと、彼女の力になれない自分に嫌気がさした。しかし、彼女は私に「ありがとう、助かるよ。」と満面の笑みで言い、私を励ましてくれた。本当に嬉しかった。それからたわいもない話をしたり、福祉関係の職業に就いてみたいという相談をしたりする仲になった。

この老人ホームで体験をさせていただいて数日が経ったある日、いつものように施設に入ると施設長から、彼女が亡くなったというお知らせとともに彼女からの手紙をいただいた。そこに書かれていたのは、ここ数日間の私の働きぶりへの感謝と「この仕事はとてもあなたに向いている、自信を持ちなさい。あなたならできる」という言葉だった。今までマイナスに捉えていたこの言葉が、とても素敵で前向きな言葉だったことに気づかされた。何事も最初から否定して諦めるのではなく、報われるまで必死に頑張ってみようと思えた。

この経験から、介護の大変さをたくさん知ったけれど、それと同時に素晴らしさを身をもって感じることができた。施設を利用している方は積極的に私と関わろうとしてくれて、このような事のおかげで大変な中頑張ることができたし、幸せな気持ちになった。私も介護というやりがいのある職業を通して彼らを幸せにしたい。福祉関係の進路、色々な不安はあるけれど、今の私はもうあの言葉に恐れる必要はない。絶対、「私ならできる。」

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審査員のひとこと

「あなたならできる」が「私ならできる」へ。特別養護老人ホームでの介護体験を機に、考え方が変化した過程がつづられています。支援する側・される側の逆転が起きていることへの作者の気づきが、とても良いメッセージになっています。

素直な良い文章で、入所者の体重の重さ等の実感も伝わってきて言葉が生きていると感じました。高校生らしいポジティブな姿勢が伝わる内容で、今後への希望にあふれ、読む人を温かい気持ちにさせてくれました。

入選

自分を超える

吉田 美貴子(茗溪学園高等学校 1年)

自分に出来ない事や知らない事を聞くことは、勇気がいる。でも、自分だけで乗り越えることには限界がある。自分のちっぽけなプライドは必要ない。プライドを捨てて、勇気を出すことで、今までの自分を超えられる。

私は中学生になって初めて、部活動で剣道を始めた。防具をつけるのも、竹刀を持つのも初めて。怖かったけど、すごくドキドキした。初めて試合に出られた時は、緊張よりもワクワクした。そして、それ以上に、小さい時から剣道をやっていた経験者と初心者の自分の差を大きく感じて悔しかった。なんとか差を縮めたい、選手として選ばれたいと思って頑張った。でも、中学2年の総体では、下の学年の経験者が選ばれ、私は選ばれなかった。自分が今、何をすれば強くなれるか、誰に聞けばいいかもわからなかった。強くなって、私もあの場所に立ちたい。

目の前で、経験者の後輩が練習していた。「何をしたら、強くなれる?どんな練習をすれば良い?」

「吉田さんは体力があるので、いろんな方向に足を動かしたら良いと思いますよ。」

「打つ力をもう少し強くした方が良いので、素振りをもっとすれば良いですよ。」

初心者の私の良いところも含めて、教えてくれた。それからは、気が付いたことを練習後にも伝えてくれるようになった。私も、練習試合の動画を見てもらって、アドバイスを貰った。

先輩にアドバイスをすることは、きっと勇気が必要だったと思う。私も後輩に聞くことは勇気がいった。でも、後輩に聞くことは恥ずかしいことではない。先輩だから後輩に教えてもらう事は恥ずかしいと思う自分の小さなプライド。それを捨てることで、今までの自分を超える自分になれる、そう思っている。

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審査員のひとこと

中学生になって始めた剣道の部活動を舞台に自分の成長を描いています。不要なプライドを捨て、部活の後輩にアドバイスをもらうことは難しいことだと思いますが、それを実践し素直に表現している点に好感を持ちました。

自分の殻を破ることで学びの幅も広がる、という前向きなメッセージが良かったです。第2分野のテーマに沿い、スポーツ活動ならではのすばらしさも伝わってきました。1年生ながら上手に書けている点も評価されました。

入選

輝ける場所

加藤 奏(日本女子大学附属高等学校 3年)

私は6歳の時劇団四季と出会い、その世界に一気に魅了された。私の夢や憧れ、理想、全てが詰まっていて、生きていく中で大切なことを教えてくれる。

中学校に入学すると、偶然ながらミュージカルクラブという部活動が存在した。自分の夢を叶えられる場所だと確信し、すぐさま入部した。毎日が充実した日々で幸せな3年間だった。高校でもミュージカルクラブに入部し、夢を膨らませた。しかし、高校特有の上下関係の厳しさ、完全なる実力主義に苦しんだ。周りより大した実力もなく、努力の仕方も分からないような自分に限界のようなものを感じた。しかし絶対に後悔すると思い、舞台に立たないという選択肢は私にはなかった。

1年生の3月、体調不良に突然悩まされた。部活動に参加するどころか学校に通うのも厳しくなった。やむを得ず舞台を降板することとなった。その時、なぜかほっとした。重い荷が肩から降りたような気がした。決して後悔はなかった。そして、2年生からは裏方となった。仕事といえば本番の着替えの手伝い程度だが、舞台に立つ仲間たちの精一杯頑張って演じている姿がとにかくまぶしく、この舞台に微力ながらも関われたことに誇りを感じた。1年生の時にはなかった感覚だった。

上級生が引退し、私達がトップに立つことになった時、私は中学生の時からの得意分野である裁縫や手芸をこのミュージカルクラブで活かしたいと思い、衣装を製作することになった。参考資料を集め、デザインを考え、型紙を作り、実際に衣装を製作することは、ミュージカルへの愛と裁縫への愛を同時にぶつけられ、この上なく幸せだった。さらに舞台に大きく関わっていると実感できた。そして「この舞台は私が欠けてはできない舞台だ。」と思った。と同時に「ここが私の一番輝ける場所だ。」と実感できたのだ。思わぬところに幸せは潜んでいる。また不幸は決して不幸とは限らない。きっとこれが人生なのだろう。

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審査員のひとこと

6歳の頃に劇団四季と出会い、ミュージカルに憧れて部活動を続けてきた作者の成長が描かれています。ひとつのことにずっと打ち込む姿や、舞台に立つ演者ではなく、舞台を支える裏方として自分が輝ける場所を発見していく様子に頼もしさを感じました。

文化活動を通して学んだことがストレートに伝わり、エッセイとしてうまくまとめ上げられています。裏方になると決意するまでの作者の気持ちの変化を、もっと知りたくなりました。

佳作

日常の中にある福祉

石吾 奏子(青稜高等学校 3年)

「先生、何とかお願いします」私は顧問の先生に懇願した。ダンス部は毎年、1年間の集大成として発表会を開催しているが、開催場所として例年借りていた区の大ホールが、改修工事の影響で小ホールに変更されてしまったのだ。部員も保護者も先輩方も心待ちにしていた発表会なので、部員たちのモチベーションは下がり、その後の練習は目に見えて集中力を欠いてしまった。

私は部長として、全員が全力で練習と向き合えるようにしたいと思い、予算や立地を考慮しながら別の大ホールを探した。私には大ホールに拘るもう1つの大きな理由があった。それは「部員全員で舞台に立つ」という夢だ。普段、全学年が1度に踊るという機会は少ないが、発表会ではそれが実現できるため、引退前の最後の舞台でどうしても実現させたかったのだ。私はこの想いを顧問の先生にぶつけた。先生からは当初、「気持ちは分かるが、予算やスケジュールのことを考えると厳しい」と一蹴された。

しかし、私は諦めなかった。そして部員たちの想いや熱意を繰り返し説明した結果、先生も協力してくれて学校や保護者への説明を引き受けてくれた。こうして他のホールへの会場変更が実現し、私たちは本番に向けて前向きに、そして楽しくダンスを練習できるようになった。私は部員に対して言った。「例年以上にお客さんに楽しんでもらい、舞台で精一杯の感謝を伝えよう」と。こうして発表会は大成功を収めた。

自ら行動すること。また困難な局面でも仲間を信じてともに目標に向かうこと。私は、これらの大切さを実感した。思い返せば、私の行動の源は「部員と支えてくれる人たちの幸せ」を何より大切に考えていたことだった。私は、こうした皆の幸せを考える気持ちをこれからもずっと大切にしていきたい。なぜならば、それは私にとっての幸せでもあるからだ。福祉とは、こんな日常の小さな幸せの積み重ねから始まるのかもしれない。

佳作

聞き上手になる

佐藤 由菜(香川県立坂出高等学校 2年)

私は高校生になって、ボランティア活動に積極的に参加するようになった。その理由となる出来事がある。

小学校3年生の子に算数の図形を教えるボランティアに参加した時のことだ。参加のきっかけは単に子供と仲良くなりたいとか、成績に反映されるからだったと思う。内容も簡単だから大丈夫、と思っていたが、実際は集中力の続かない子に図形の描き方を説明してもほとんど聞いてもらえる事はなく、とても困った。そんな時、ボランティアの係りの人が突然ジェンガを持ってやって来て「疲れただろうし、1度休憩しよう」と声をかけた。私は子供がまだ理解できていないのに遊ぶのはどうなのかと思っていたが、一緒に遊んでいると自然とジェンガから図形の話になり、その後はスムーズに勉強が進んだ。

活動が終わってから係の人に「どうしてあの場面でジェンガを持って来たんですか」と聞くと、「あの子は興味のある事にしか集中が続かないと思ったから、最初に気を引くことをするのがいいと思って」と言い、続けて「1番大切な事は相手の様子をよく見て、相手の気持ちに寄り添う事だ」と教えてくれた。

この言葉は当たり前の事かもしれないが、私の心にとても残った。自分の事だけ考えていたのではおそらく気がつけなかっただろう。

私は今もボランティア活動を続けている。一見、何不自由なく子育てをしているように見えるお母さん方でも、いざ声をかけてみると苦労ばかりだと言って話をしてくれたりもする。高校生の私に出来ることはその話を聞くことくらいだろう。だが、ボランティアを始めとする社会生活での人との交流を通して、まずは相手の様子をよく見て寄り添う。この事だけは私は今後も大切にしていきたいと思う。

佳作

頑張る時は いつも今。

酒井 みつは(日本女子大学附属高等学校 1年)

「頑張る時はいつも今。」

私は、突然思い出した。ハンドボールで関東大会に行けるか否かを決めるとても大切な試合で。

いつ最後になるかわからない夏の大会。私たちは全国大会出場を目標にたくさん練習し、都大会ベスト4まできていた。関東大会出場のための初戦。相手は簡単には勝てない相手だ。試合が始まる。最初に相手に4点の先制をされながらも取り返し、前半は、同点で終わらせた。後半が始まるが、1点取れば、1点取られ、1点取られたら、1点取り返すと点差がなかなか広がらず、体力もなくなってきていた。何度も「今なら少し休める」「今、力を抜けば負けるかもしれないけどつらいのは終わる」など考えてしまった。後半残り5分。また相手に1点を取られ、少し諦めかけた時に突然、「頑張る時はいつも今。」という言葉を思い出した。この言葉は、1年生の時の担任でお世話になった先生の言葉だ。この言葉を思い出し、「今、頑張ればいい」と思った。今の一瞬だけでも頑張れば勝てる。そう思い、私は走った。パスをつなぎ、同点に追いつき、さらに残り1分のところで追加点を取った。そのまま試合は終了し、勝利で終わることができた。

私はこの経験を通して、頑張らずに挑戦したり、結果を残せたりすることはありえないということを学んだ。頑張れない時、諦めてしまいそうな時は、誰にでもいつでもあると思う。しかし、頑張る時をいつまでも先に回していると絶対に結果は残せない。「頑張る時はいつも今。」今、頑張ればいいという思考に変えてみれば良い。

この言葉を言ってくれた先生は今、別の学校で働いており、私も高校生になり、会う機会がなくなってしまった。しかし、この経験は、今の高校生活でも活かされている。「頑張る時はいつも今。」この言葉を私はずっと大切にしていきたい。

佳作

1番に輝く夏に

花井 遥(日本福祉大学付属高等学校 3年)

「輝く」

全国の高校3年生のうち、どのくらいの人がこの思いをするのだろうか。最後の大会、予選で負ければ、すぐにそこで幕は閉じる。長い夏に、熱い夏にする為に、私も戦った。

私の役割は、毎日一生懸命に泳ぐ選手を支えることだ。いわゆる、マネージャーである。高校では絶対にマネージャーになろう、と思い、水泳部のマネージャーになった。毎日、必死に練習に励む選手の為に、何か少しでも手伝えるこの仕事が本当に好きだった。どんどん先輩が引退し、あっという間に私たちの代へと移り変わった。「最後」というたった二文字に、私はとても引け目を感じていた。

とにかく1日でも、1分でも、1秒でも長く皆と一緒に居られるように、全力で控えから声援を届けた。皆の努力が結果を結び、ほとんどの選手が県大会出場を決め、女子は史上初の総合二位を獲得した。

「本当におめでとう。」

この言葉が1番似合う瞬間だったと思った。しかし、この場所にあるのは喜びだけではない。予選を突破できず、県大会に進むことができなかった3年生の泣き声が、私の耳へと自然に入った。その瞬間、私は反省をした。これが決して当たり前ではない、ということに。この2年半の中で、1番大切で、きっと1番輝ける舞台だと、私は思う。私はマネージャーであって、選手のように表彰台に立つことはできない。当たり前だが、選手が誰1人として県大会に進むことがなければ、私の夏も幕を閉じる。全力を出し切って、それでも県大会に行くことができなかった選手の分の思いも背負って、私はまた戦う。次に待っている、もっと上の大会へ行く為にも。

水泳に限らず、どの部活も同じ想いがあるだろう。結果が全てではない、しかし、負けられない熱い、熱い戦いがそこにはあった。共に戦ってくれた仲間、全員に伝えたい。

「最高の輝きを、本当にありがとう。」

佳作

音が繋げてくれた人と人

飯田 美佳子(日本女子大学附属高等学校 3年)

ある夏の日。幼かったにも限らず素敵な出会いをした。それは夏の風物詩とも言える、夏を感じられる盆踊りでのことであった。母と一緒に散歩ついでに訪れた地元の盆踊り。櫓の上から響いてくる和太鼓の音色に、私は一瞬で心をつかまれた。小学2年生だったにもかかわらず、その場で即座に、その和太鼓チームに入ることを決めた。そのチームは地元の小学生が集って組んで構成されるものであった。学校が地元ではなかったため、周りに知っている友達がいなかったのに即決で参加したことに私自身も驚いている。私の地元では和太鼓が文化として残っている。私たちはまた個人競技ではなく、チームとして活動している。入ってすぐの3月にはコンクールを控えており、私は必死になって練習に参加した。

夏祭りも無事に終了し、いよいよコンクールに向けての練習が始まる。チームに加入して4年目の春のことだ。子供の部への出場権が最後となる6年生の時である。私はいつしかチームを引っ張っていく立場となり、センターで叩けることになった。どうにか良い成績を残したいが故に、毎日バチを持った。ただガムシャラに、ひたすら叩いた。手はマメだらけになり、ボロボロになった。週に2回の皆で集まって叩けるときには自分達の目指すものは何か悩み、1人で葛藤したこともあった。けれども、私には仲間がいた。心強い友達がいた。頼れる同級生の相方がいた。下の学年の子も私たちについて来てくれた。地元の友達が0だった私に友達ができた。

そして迎えた3月。今までの全てを本番で出しきった。結果は総合3位で終わった。チームの皆でつかみ取った3位である。今まで先輩達が繋げてきた好成績を私達も出せた。和太鼓という地域文化で私は人と人との繋がりの本来の意味を知った。仲間がいるというのはこんなに良いものか、と。一緒に成し遂げる事は最高なんだ、と。私は今でも時々あの時の仲間たちと一緒に太鼓を叩いている。