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2015年度作文コンクール入賞作品一覧

日本福祉大学生涯学習センター長賞 「命」の大切さ

大府市立大東小学校 6年 山本千尋

今年7月に岩手県の中学二年生の男の子がいじめを苦に自殺するという痛ましいニュースがあった。死を選びたくなるほどのことがあったかと思うと胸が苦しくなった。それでも、生きていてほしかったと思った。死んでしまったら、楽しいことが待っていたかもしれない未来もいじめた子にうばわれることになる。そんなのはあんまりだ。

私は、今まで死を身近に感じたことはない。大きな病気になったこともない。

でも、私は生まれるまでは、死ととなり合わせだった。母は妊娠初期から流産の恐れがあり、安静を言い渡された。妊娠後期にいたっては、入院して管理しなくてはならなくなった。母は、私を産む前にも流産を経験していた。私の時も、医師から覚悟してくださいと言われたそうだ。

その話を聞くまでは、「命」は生まれてからのことしか考えていなかった。しかし、生まれるまでの間も「命」であり、その間はどうなるのかわからない。生まれることは奇跡だと思った。

私は、この夏休みに改めて「命」が奇跡だと感じた。それは夏休みの自由研究で戦争について調べようと祖父母から戦争の話を聞いたからだ。

戦争は今から70年前、祖父が今の私と同じ年令の時に起こったことだ。祖父はまるで昨日のことのように話をしてくれた。12才のことを何十年も経って、はっきりと覚えているのにおどろいた。それは、祖父の身に起こったことが「命」を失ってもおかしくなかったからだ。こんなに恐ろしいことはもう起こらないだろうし、起こってほしくない。

その恐ろしいことは、祖父が家にいた時、すぐ近くに、ばくだんが投下されたのだ。そのばくだんは、奇跡的にばく発することなく、不発だんとなった。もし、そのばくだんが、ばく発していたら、祖父はもちろん家族全員死んでいたであろう。そう、もし12才の祖父が死んだら、父は生まれることはなく、私もまた生まれることもないのだ。私まで「命」がずっとつながっていた。どこかで途絶えてしまったら、私はこの世に存在していないのだ。やはり「命」は奇跡なのだ。

しかし、「命」は奇跡だという言葉だけで言い表せるのだろうか。祖父母の話をもう一度思い返してみる。戦火をくぐりぬけ、戦後の苦しく、貧しい中を必死で生きぬいてきた祖父母の姿がうかんでくる。  父、母、祖父母、ご先祖たちが「命」をつないできてくれたから、今ここに私がいるのだ。私だけの「命」ではないとわかった時、胸が熱くなり、とても心強くなった。

私の大切なものは「命」だ。

私の中にあるたくさんの「命」とともにしっかりと歩んでいきたい。

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