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2008年度作文コンクール入賞作品一覧

特別賞 「幸福を抱いて眠れ」

半田市立亀崎中学校 3年 間瀬園子

 私は今年、弟ができました。十一歳上の姉の子供です。私は三姉妹の末っ子で下に誰も居ませんでした。なので弟か妹が欲しくて仕方ありませんでした。姉は二十六歳でとても歳が離れているし、自分より下にどうしても欲しかったのです。特に男の子が良い、男の子が良い!と何度も言っていました。皆は女の子の方が育てやすいし…と言って男の子はあまり望んでいないようでしたが、私は男の子が欲しい!と念を押していました。なので、検査を終えて、姉が
「男の子だってー。良かったね。」
と言ってくれた時は嬉しくて、涙が出そうでした。

ずいぶんお腹の大きくなった姉はどこかいつも辛そうでした。なので家事を手伝ったり、姉の世話もしたりと、私は一生懸命でした。そして生まれた日。姉は深夜、病院に運ばれ無事に産んだ、という連絡を受け、私は心底ホッとしました。それから何日かして病院を訪ねに行きました。姉も弟も本当に元気そうで、また泣いてしまいそうでした。

初めての弟の名は恭矢と名付けられました。恭という字がいいよ!と私がよく言っていたので嬉しくて仕方なかったです。

今では目も見えて、ずいぶん大きくなりました。恭矢は生まれた時から髪が濃くて、よく『毛濃い王子』などと呼ばれています。百日記念の写真にはふてくされたような顔をしていましたが、何故か可愛いなぁなんて、頬が緩んでしまいました。やっぱり自分の弟、となると可愛いもので、いつも考えてしまいます。

私には母が居ません。私が小学生の時に病気で亡くなりました。悲しい、というより、無、でした。お母さん子だった私には母は世界だったし、何よりも大切な存在でした。お母さんが死んだら、私も絶対死ぬ。いつもそう思っていました。お母さんが居なくなった時が私もこの世から居なくなる時なのだと。でも、初めて人の遺体を見た時、まだ生きているに決まっている、もう一度私の名を呼んでくれる・・・!そればかりが頭の中をかけめぐりました。死と向き合うことが出来ませんでした。もちろん死ぬことも出来なかった。あれだけ死のうと誓ったのに、実際には母が死んだという事実さえ認めることが出来ませんでした。お墓参りに行く度、母の居た病室をいつも思い出します。とてもとても切なくなります。一生忘れない記憶です。

母の死から何年もたちました。今年新しい命をみた私は、少しだけ母の事が頭に浮かびました。この子は私より先に逝かないで、と一目見てそんな事を考えました。もう誰かが死ぬ所は見たくないです。きっと無理なのだろうけど。でも、私より下の恭矢には元気いっぱい生きて欲しいです。まだ私の名さえ知らない恭矢が、いつか名を呼んでくれる日を心待ちにしながら、日々願っています。

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