ヒトとカワウ タイトル

飛ぶカワウ小さなイラスト


ヒトとカワウ
そのかかわり


■ヒトとカワウ、そのかかわり■

肯定

鵜はに示したように、ヒトと肯定一否定、正負二面をもって関わっている。肯定的な場合は、一般に理解され易く共生は容易である。知多ではカワウは日常の風景の一つであり、いわばカワウを頂点にした生態系が維持されている。カワウの生活、繁殖状況により、指標生物としてすなわち、<鵜の山>のカワウは、東海地区の環境汚染の監視の役をも果たしている。

<表> ヒトと鵜、そのかかわり
肯定されるかかわり
神事、伝承 猿賀神社(青森県)、さるかさまのウ、サギ一神の使い

鵜祭*、気多神社(石川県)、神の御贄、豊農豊漁

安産の霊鳥、ウは産むに通ず、ウガヤ草葦不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)、日本書記

鵜飼、神へ食饌の宗教行事に始まる

謡曲「鵜飼」、石和川(山梨県)、日蓮上人の鵜飼石

鵜飼 漁法として古来から全国的に普及、150ケ所、鵜飼い部、古事記、日本書紀、放ち鵜飼、中国、アジアに普及
肥料(糞尿) 大厳寺(千葉県)、檀家26戸いよる採取、利用(江戸時代中期−末期)

日長(愛知県)、周辺農家の個人的利用(江戸時代末期−昭和中期)

<鵜の山>(愛知県)、村の共同事業(江戸時代末期−昭和中期)

壁島(山口県)*個人による採糞、販売(江戸時代末期−明治末期)

竹生島(滋賀県)、販売の計画(明治初期)

グアノウ**鳥糞燐鉱(南米ペルー)インカの伝説、肥料として輸入(1898)

観光 見せ鵜飼*長良川(岐阜県)他11ケ所
天然記念物 <鵜の山>(愛知県)(1934)、三河湾国定公園

猿賀神社(青森県)(1935-1983)、大厳寺(千葉県)(1935-1974)県指定

壁島(山口県)*(1934)、照島(福島県)*(1945)

指標生物 地区の環境監視、生態系の象徴

否 定

1)植物
カワウは1日約200g/kg(体重)の糞尿を排泄する。尿酸は水に溶け難く、葉の表面を覆い、葉は光合成や呼吸が妨げられる。また表土を固めリッターが失われ、糞尿の窒素やリン酸の過剰は根系を傷め樹木を損じる。さらに巣造りのためカワウが枝を折ることも樹勢を弱め、木は活力を失い枯れていく。
木の枯れは樹種(写真1)にもよるが、カワウの固体数密度(糞尿の量、濃度)、コロニーの型(繁殖一塒、一時一周年)(糞尿の作用期間)、丘陵斜面の向き、気象条件(日照量、湿度など)などによって異なる。林相を空中写真で調べると、丘陵北斜面のコロニーは、南斜面のコロニーに比し緑がはるかに豊だった。おそらく、この差は日照量の多寡による湿度の差に起因すると推測される。
(写真1)カワウの営巣=木が枯れる       鵜の山の現況
枯れない木もある
2)動物
カワウは一般に大食漢のイメージが強く、釣り情報などに「カワウは体重の2一3倍」魚を食べるなどと報ぜられているが、カワウの採食量(262g/kg体重)は、平均体重2kgとして1日、約500gの魚を食べる。この量はアユやフナなら十数尾、愛知県の平均的なアユ釣り師の20一30尾より少ない。
養殖魚や放流魚の被害の実態は必ずしも明確ではない。アユの被害が叫ばれた矢作川の剖検例でも、アユよりもフナ、ニゴイ、オイカワがより多く食べられていた。
(写真2)便利さ追求、いつまで耐えるか 鵜の山の現況
カワウ、営巣、坊之奥、美浜
否定されるかかわり
植物 木の枯れ、景観の劣化、浜離宮(東京)、竹生島(滋賀県)、三つ島(三重県)
動物、食害 放流アユの被害、東京都、静岡県、愛知県、三重県、和歌山県、石川県

養殖のボラ、ウナギの被害


共 生 の 途

しかしながら、たとえカワウによる被害が過大に伝えられたとしても、被害のあることも事実である。<鵜の山>以外のコロニーが消滅したように、直後、動物に接している地元が敵視した時に、共生は画に書いた餅である。日長のカワウは、GIの銃に追われたが、<鵜の山>では将校に抗議して止めさせた。地元のカワウに対する思い入れが、カワウ絶滅の危機を救った。

カワウによる被害の実態に応じ、忌避、捕獲、コロニーの誘導など適切な手段を選ぶ。効率本位、便利さ追求のツケをカワウに負わすキョウセイは競生にしかならない。復活した<鵜の山>を砂上の楼閣足らしめず、自然観照、花鳥風月を心情とした。かつての生きざまを、どう現代に活かすかが今後の課題である。(写真2、3)

(写真3)いずこに飛ぶや、シロカワウ 鵜の山の現況
全身白色のカワウ、1991、1992、1996、計3羽、巣立ちしたが、美浜に回帰せず、巣立ち2−3年後、幼鳥が生き残り成熟する率は25%程度に過ぎない。

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