ヒトとカワウ そのかかわり
肯定
鵜は表に示したように、ヒトと肯定一否定、正負二面をもって関わっている。肯定的な場合は、一般に理解され易く共生は容易である。知多ではカワウは日常の風景の一つであり、いわばカワウを頂点にした生態系が維持されている。カワウの生活、繁殖状況により、指標生物としてすなわち、<鵜の山>のカワウは、東海地区の環境汚染の監視の役をも果たしている。
鵜祭*、気多神社(石川県)、神の御贄、豊農豊漁
安産の霊鳥、ウは産むに通ず、ウガヤ草葦不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)、日本書記
鵜飼、神へ食饌の宗教行事に始まる
謡曲「鵜飼」、石和川(山梨県)、日蓮上人の鵜飼石
日長(愛知県)、周辺農家の個人的利用(江戸時代末期−昭和中期)
<鵜の山>(愛知県)、村の共同事業(江戸時代末期−昭和中期)
壁島(山口県)*、個人による採糞、販売(江戸時代末期−明治末期)
竹生島(滋賀県)、販売の計画(明治初期)
グアノウ**、鳥糞燐鉱(南米ペルー)インカの伝説、肥料として輸入(1898)
猿賀神社(青森県)(1935-1983)、大厳寺(千葉県)(1935-1974)県指定
壁島(山口県)*(1934)、照島(福島県)*(1945)
否 定
養殖のボラ、ウナギの被害
共 生 の 途
しかしながら、たとえカワウによる被害が過大に伝えられたとしても、被害のあることも事実である。<鵜の山>以外のコロニーが消滅したように、直後、動物に接している地元が敵視した時に、共生は画に書いた餅である。日長のカワウは、GIの銃に追われたが、<鵜の山>では将校に抗議して止めさせた。地元のカワウに対する思い入れが、カワウ絶滅の危機を救った。
カワウによる被害の実態に応じ、忌避、捕獲、コロニーの誘導など適切な手段を選ぶ。効率本位、便利さ追求のツケをカワウに負わすキョウセイは競生にしかならない。復活した<鵜の山>を砂上の楼閣足らしめず、自然観照、花鳥風月を心情とした。かつての生きざまを、どう現代に活かすかが今後の課題である。(写真2、3)
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