ヒトとカワウ タイトル

飛ぶカワウ小さなイラスト


天然記念物
<鵜の山>
鵜繁殖地

■天然記念物、<鵜の山>鵜繁殖地■

昭和9年(1月22日文部省告示第16号)により、 鵜の池約4haを含む地域一帯、12ha(12町1反7畝22 歩)が、鵜ノ山鵜繁殖地として天然記念物に指定された(写真1、図1)
明治―大正にひき続き、なお糞を肥料に利用しカワウを保護した共栄の努力が評価されたのである。
(図1)天然記念物、<鵜の山>鵜繁殖地、指定区域 鵜の山の現況
カワウ棲息域、 採糞の場所、大日山(鵜 の山)の西から南の麓の平坦な曽木廻間27のマツ林、約2ha、なお南知多道路、愛知用水など池周辺の状 況は空中写真(1947)とは異なる
(写真1)空中写真(国土地理院、1947)
鵜の山の現況
採糞の場所が白く見える、の地域

 懐 古

調書によれば、<年内季節ニヨリ増減アリ最大三千最小一千ノ鵜は字曽木廻間 27番にアタル町餘歩 ノ松樹林(図2)ヲ塒トシ>、樹下に白砂(ヤマジ)を敷き、4ー7日毎に掻き集め、糞小屋に集めた。ウ ノトリの糞は水分が多く、ジョレンで薄く撒いた砂に吸わせた(写真2−4)
 小屋は小道を挟んで2棟あ り、約1坪ずつ仕切られ、糞−砂を貯え堆肥にした。別に約15坪の1棟が、コロニーに入ってすぐの所に あった。中央に炉がきられハソリを囲み食事をし、あるいはビクなど農機具の収納にあてた。
 作業中、ウノトリが飛び立つことはなかった。雨降りで急に集まり採糞したこともあった。採糞場は臭う こともなく、広々とした砂場はよい遊び場だった。またマツを軽く叩きウの吐く魚を拾った。ゴイサギの巣 から卵を取ったりしたが、ウを追うとひどく怒られた。子供の頃の懐いは今も新しい。
(図2)天然記念物、<鵜の山>鵜繁殖地、
版画(新見忠 治郎)
鵜の山の現況
向こうに大日山(鵜の山)が見える、手前 山麓、曽木廻間27のマツ 林
(写真2)<鵜の山>の入り口、作業の開始(美浜町誌) 鵜の山の現況
砂を牛車で運ぶ、右手に2棟、糞収納の小屋
(写真3)採糞の作業(美浜町誌) 鵜の山の現況
ジョレンで糞−砂をビクに集め、また砂を薄く敷いた
(写真4)休憩(美浜町誌)
鵜の山の現況
お湯を湧かし談笑の一刻、ウノトリは逃げず

 観 光 

昭和26年(1951)には、<鵜の山>を含む地域が、県立南知多自然公園に指定され、昭和33年に は、三河湾国定公園、特別保護地域に指定され、遊歩道オレンジラインや休憩場などが整備された。観光バ スで人が訪れた時もあった。春ともなれば、山菜取りやオレンジラインを楽しむ人が多い。

 終 焉 

昭和30年代、農業の規模拡大、省力化が叫ばれた。化学肥料の普及とともに、労力を要するウ糞の 利用者が減り、昭和41年、入札高10,000円をもって入札は終わった。昭和39年の頃から、カワウが東隣 の布土に移り始め、個体数が減り糞の収量も減っていた。
採糞の停止は樹勢を弱め、マツクイムシによるマツ枯れ、伊勢湾台風による倒木、愛知用水、南知多道路 の工事など、コロニー内外の環境劣化により、昭和45年には<鵜の山>のカワウ0羽。当時、布土にいた 2,000羽が、わが国のカワウの大部といわれた(表1)。全国的にも、高度成長、環境汚染などによる水鳥 類、受難の時期であった。
しかしながら、その後カワウは次第に個体数が増え、コロニー域が拡大し、1980年にはさらに南  の菅苅池の周辺に広がっていった。<鵜の山>からカワウが去って20年後、1990年に<鵜の山>がコロ ニーとして復活した(次回)。

  表1 <鵜の山>年表 大正−昭和期 
大正2年 1913 禁猟区、187.6ha
11年 1922 営巣、塒域の 拡大、禁漁区237.9ha
昭和8年 1933 知多のカ ワウコロニー、<鵜の山>と日長の調査(梅村)
9年 1934 天然記念物、指定(文部省告示第16号)
20年 1945 終戦を契機として採糞の入札法を改める 
26年 1952 三河湾国定公園、駐車場の整備、観光バス
34年 1959 伊勢湾台風、マツの倒木
35年 1960 愛知用水、鵜の池サイホン工事
36年 1961 愛知用水通水
39年 1964 布土にカワウ移住開始、<鵜の山>に植林、擬木、営巣台設置
41年 1966 最後の採糞入札、10,000円 
43年 1968 南知多道路工事、遮光トンネル設置
45年 1970 坊之奥に営巣、個体数2,000羽、<鵜の山>0羽
49年 1974 鵜の池にカワウ70-80羽泳ぐ< /td>
50年 1975 ウナギ、ボラ、アユなどの被害、苦情、増加
55年 1980 営巣域が菅苅に拡大、個体数8,000羽、<鵜の山>0羽
58年 1983 県、環境庁、調査
60年 1985 上野間、布土、圃場整備
61年 1986 個体数13,000羽(8月)、<鵜の山>0羽、標識調査開始(佐藤)
62年 1987 鵜の池、菅苅池、水干す、浜名湖周辺にカワウ数千羽、美浜標識カワウ
63年 1988 鵜の池周辺の整備完了、池にカワウを見る、環境庁、害性調査
64年 1989 鵜の池の岸辺の木々にカワウが止まる
 明治10年から終戦時まで、採糞は3年毎、組入札、鵜肥金(昭和7年)壱万余円、  
大正−昭和期、鵜肥金は教育費、公会堂、社の新築、営繕などに支出


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