■<鵜の山>の復活■
1964年頃から、カワウは指定区域<鵜の山>から姿を消し、
1970年にはまったくのゼロ羽となった。一方、東隣の布土の丘陵地に塒したカワウは、当初2000羽だったが、
しだいに増加し、坊之奥から菅苅にかけてコロニー域を拡げた。1980年代には約8000羽といわれた。
1989年、鵜の池の改修がすみ、池に遊ぶカワウが増え、岸の木々にとまるカワウも見られた。
翌年2月、<鵜の山>にカワウが営巣した(写真1)。場所はかつて採糞の行われた山麓の平坦な地域と対岸の森だった。 その年、巣の数103個、ヒナの数193羽を数えた。繁殖期が過ぎてもカワウは去らず数百羽が塒した。まさにカワウが去ってから、
20年ぶりに<鵜の山>がコロニーとして復活した。図1に美浜における個体数の推移と、コロニーの形成についてまとめた。
(写真1)<鵜の山>の山麓における営巣 ▼ 1990年2月12日
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(図1)カワウの個体数の推移と
コロニー域の変遷
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以来、<鵜の山>に住むカワウは増え、営巣域も麓一帯に広がり、
1992年には上池(東寸田池)の両岸にも営巣した(表1)。坊之奥のコロニーは規模が凝縮したが、一方、
1994年に管田池の岸にコロニーが形成された。昨年はさらに、坊之奥に行く道沿いの林にコロニー域が拡大した(表2)。
1980年代、布土一菅苅の民有林が荒れ、地元にとってカワウの<鵜の山>への回帰は、長い間の希望であった。 町当局は植林し、営巣台などを設け復活を待った。 |
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表1 <鵜の山>年表 平成期
平成元年 |
1989 |
鵜の池、岸の木々にカワウを見る |
2年 |
1990 |
<鵜の山>復活:THK 放映、岩本池、青尾にコロニー形成、アオサギ繁殖 |
3年 |
1991 |
白カワウ誕生―<鵜の山>:NHK ほか放映、美浜個体数8,113羽(12月) |
4年 |
1992 |
白カワウ誕生―菅苅、上池両岸に営巣、不忍池標識カワウ発見、美浜個体数9,165羽(12月)、
ふるさとの自然、NHK 放映 |
5年 |
1993 |
菅苅池の岸に営巣、美浜個体数8,400羽(7月)、9,886羽(12月)、 中部空港環境調査開始、南知多道路拡幅工事開始 |
6年 |
1994 |
美浜個体数7,700羽(7月) |
7年 |
1995 |
美浜個体数9,800羽(7月)、 菅田池両岸に営巣域拡大、THK 放映 |
8年 |
1996 |
美浜個体数8,400羽(7月)、 白カワウ誕生―菅苅、野鳥百景<カワウ>、NHK 放映 |
9年 |
1997 |
愛知県カワウ調査、美浜個体数9,526羽 県内総個体数19,552羽(12月) |
10年 |
1998 |
菅田のコロニー域、坊之奥側に拡大、菅苅標識カワウ、相模原市下溝の貯水池で発見 |
11年 |
1999 |
カワウウォッチング(美浜町) |
<鵜の山>の放棄は、原因として営巣樹、止まり木の喪失(マツ枯れ、台風)と土木工事の影響などが挙げられた。
当時のカワウは、マツやコナラなど樹冠の明るい樹種を利用し、葉の密なしかも低木の広葉樹は利用しなかった。
しかし、現在のカワウは、ウバメガシやヒサカキなど、後者に属する樹種に多く営巣している。パイプで造られた営巣台も利用した(写真2)。
すなわち、水域環境の改善による餌(魚)資源の増加とともに、カワウのもつ適応性の広さが個体数を増やし、種絶滅の危機を脱し、
コロニーの復活をもたらしたのであろう。
1990年は、<鵜の山>の復活のみならず、岩本池(尾張旭市)、青尾(田原町)にもコロニーが形成された。
また野鳥園(弥富町)には、秋―冬季に多数のカワウが集合する(表2)。 |
(写真2)パイプ台におけるカワウの営巣
<鵜の山>1993年3月
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表2 美浜個体群と関連する三重、愛知、静岡3県におけるカワウコロニー
三重県 |
愛知県 |
静岡県 |
コロニー |
美浜個体群 |
岩本池(尾張旭市)
野鳥園(弥富町)
青尾(田原町)
ほか |
中之郷(新居町)
ほか |
風早池(久居市)
ほか |
<鵜の山>
坊之奥
菅 田
菅 苅 |
個体数 |
個体数 |
個体数 |
個体数 |
8,500羽 * |
10,000羽 |
10,000羽 |
3,000羽 |
*
いずれにおいても、菅苅で標識したカワウが発見され、あるいは相互に行き来する個体も確認された。
また県外の三重、静岡においても、個体数が増えコロニーが形成され、美浜個体郡との関連性がうかがわれた。 |
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