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第18回 高校生福祉文化賞エッセイコンテスト

入賞作品

すべての人が幸せであるために

最優秀賞

自分を見つけて自分を生きる。

佐久間 華香(岐阜県立恵那農業高等学校 三年)

私は私。あなたはあなた。

可愛くならなきゃ。高校生になった私は、髪の毛を伸ばし化粧をした。服装はスカート耳にはイヤリング。赤いリップは欠かせない。可愛いねと言われて嬉しいと思う。一方、違和感も覚えていた。これが本当の自分なのか。自分の個性を自分で潰してないか。「男の子のようにかっこよくなりたい。」

ある日の朝、車の中で私は母に言った。
「制服、スカートよりもズボンがいい。」
「いいんじゃない。あなたが好きなので。」
母はきっと深い意味もなく答えたと思う。でも私は嬉しかった。これをきっかけに肩まであった髪の毛をバッサリ切った。化粧はしなくなり、髪の毛のセットを覚えた。赤いリップはスカートのポケットにしまわれた。かっこいいねと周りに言ってもらえるようになり、本当の自分を見つけることができた。

しかし、こう聞かれることが増えた。
「男の子なの。女の子なの。」
私はこの質問に答えられなかった。この質問に答えはあるのか疑問を抱くこともあった。そんな時、この言葉を耳にした。「人の数だけ性がある。」私はこの言葉に救われた。私は私。誰かと一緒にならないのは当たり前。そう思えた。この言葉を知ってから質問にこう答えるようになった。
「分からない。でも、なんでもいんじゃない。」こう答えると不満そうな顔をする人もいる。でも私は気にしない。

今では、ズボンを履いたりスカートを履いたりして、自分を楽しんでいる。傍から見たらちょっと変わった子かもしれない。でも、それでいい。だってありのままにいられるって素敵だから。

最後にあなたはあなたらしく生きていますか。自分らしく生きることをダメと思っていませんか。自分と一度向きあってください。「人の数だけ性がある。」私は私。あなたはあなた。

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審査員のひとこと

性自認の多様性について、自らの体験をもとに、感じたこと、考えたことが説得力をもって書かれている、完成度の高い作品です。

自分らしく生きることを大切にし、周りの人からの問いかけにも、自分の納得のいく答えを返そうとするところに好感がもてます。

最後の数行で、読者に「あなたらしく生きていますか」と問いを投げかけ、「私は私。あなたはあなた」で締め括っているところも秀逸で、考えさせられました。

優秀賞

差別を受けて学んだ
マイノリティー

渡邉 真生子(日本女子大学附属高等学校 二年)

よく晴れた日の午後。イタリアに留学中だった私は一人で町を散歩していた。向こうから赤い花束を持った男の人が歩いてくる。花売りの人だ。綺麗だな、と思いながらすれ違おうとしたその瞬間、彼が私を見てはっきりとこう言った。「Coronavirus」

私がイタリアにホームステイしていたのは今年の一月から三月である。新型コロナが日に日に勢いを増して爆発的に感染が広がった、まさにその時期だ。私は中国から感染拡大したことを理由とするアジア人差別に直面した。道を歩いていると「コロナ」「中国人」などと叫ばれたり、避けられたり、そんなことが日常茶飯事だった。もちろんごく一部の人の話である。ホストファミリーはいつも私のことを気にかけてくれて、差別を受けたと言うと私よりも怒っていた。公園で男の人の集団に囲まれた時、友達が大声で言い返し庇ってくれたこともある。それでもやはり、家の外に出るのはいつも少し怖かった。

この出来事を通し、私はマイノリティーの立場になる、という経験が出来た。日本にいる限り日本人は多数派で、人種差別の対象とはならないだろう。私も留学するまでは自分の身に起こるなど考えてもみなかった。しかし実際に体験したことで視野が広がり、多角的に、そしてより身近にこの問題について捉えることが出来るようになった。例えば普段の生活で外国人に出会った時、珍しさからじろじろ見てはいないだろうか。私たちにとっては何気ない振舞いでも、視線を向けられると気になるものだ。相手の立場に立つ想像力が大切だと感じる。

留学から帰国した後、私は人種差別を中心とした国際問題について調べるようになり、理解を深めるため模擬国連にも参加した。国際化が進むこれからの社会を担う若者として、まず知識を持つことが必要だと思ったからだ。皆が暮らしやすい社会を実現するために、自分に今何が出来るか考えながら過ごしたい。

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審査員のひとこと

イタリア留学中に、新型コロナの感染が広がる中で、アジア人差別を受けたことをもとに、相手の立場に立ち想像力をもって行動することの大切さについて、説得力をもって書かれている作品です。

自分がマイノリティーの立場になって経験したことを機に視野を広げて、人種差別の国際問題について調べ、模擬国連にも参加するなど積極的に行動したことがしっかりと表現されている点が、審査員に高く評価されました。

優秀賞

共感者

田島 大地(三重県立特別支援学校西日野にじ学園 二年)

私は近所を散歩することができない。唯一近所を歩くのは週2回のゴミ捨てくらいだ。ゴミ捨ての時に近所の人に挨拶されるとビクッとして、足早にその場を立ち去ってしまう。普通に挨拶したいが、私にとって近所とは、脳内に染みついて忘れることのできない過去の呪縛そのものである。

小学生の私は怒りの感情を暴力で表すしかできず、問題児を通り越して、腫れ物だった。毎日のように友だちに暴力を振るい、毎月のように母親と一緒に友だちの家に頭を下げに行っていた。小5の時から約1年半の入院も経験した。淋しい思いもしたが、学ぶことも多く、大きく成長できた入院だった。

ただ、退院後も「腫れ物」であることは変わらなかった。基本的には「支援学級だけですごす」ことが決まりだった。何度も頼み込んで通常学級に戻れたのは卒業間際のことだった。そして、感じたのは「居場所はない」という現実であり、転校して入った中学校でも同様だった。

中3で統合失調症になり、不本意ながら特別支援学校に通うことになった。正直、障がい者のいる学校を下に見ていたこともあり、ここにも私の居場所があるのか不安だった。今は出会ったことがなかったような個性的な仲間と学んでいる。私の話が理解できない仲間もいる。しかし、彼らは一生懸命私の話を聞いてくれるし、共感しようとしてくれる。筆箱を忘れたら自然と鉛筆を貸してくれるし、一人で歩いていると隣に寄り添って歩いてくれるかけがえのない仲間達である。

私は彼らから自分自身がずっと理解者を求めていたことに気づかされた。しかし仲間というのは理解者ではなく、共感者なのだと思う。存在を否定することなく、一緒に過ごすことができることが大切なことなのだ。私はこの学校に通っている生徒全てが仲間であるし、これから出会うであろう全ての人の共感者になることをあきらめないと決めている。

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審査員のひとこと

小学生の頃からの、自分自身の行動やそれに伴って居場所のなさを感じてきたことを包み隠さず描き、現在通っている学校において、「仲間というのは理解者ではなく、共感者なのだ」と気づくに至ったことを力強い文章で表現している作品です。

自分が問題児であった過去を客観的に見つめなおし、今の自分を共感しようとしてくれる仲間を大切にし、「これから出会うすべての人の共感者になる」と考えるようになった自分の成長をしっかり捉えて書かれていることが、審査員の心をつかみました。

入賞

希望の言葉

伴 穂乃香(愛知教育大学附属高等学校 二年)

「育ってくれてありがとう。」当時十三才になった私への寄せ書きに書いてあったメッセージだ。

中学一年生の春、私はNICU(新生児集中治療室)卒業生の会「リトルエンジェル」の仲間たちと新生児看護セミナーに招待された。会で最年長の私は、これまでの成長過程と現在の様子を作文にまとめ、発表した。冒頭の寄せ書きは、その労いにと出生当時からお世話になった医師や看護師さん達からのプレゼントだった。

私は八二〇グラムという小さな赤ちゃんとして生まれた。全ての機能が未熟なまま生まれた私はすぐにNICUでの治療を受けることとなった。二十四時間、呼吸・栄養・体の管理と、看護師さん達や医師の懸命な治療により、私は今、元気に生活することができている。

しかし、退院後の私に待っていたのは、周りの子の成長からの遅れだった。体格も一回り小さく、何をするにも、ゆっくりで「どんくさい子」というイメージで学校生活を送ってきた。

そんな中、セミナーの発表についての声がかかった。はじめは、私には無理と躊躇したが、ちょうど自分を変えたい時期でもあったので思い切って受けた。

あのセミナーから四年、私は高校生になった。発表を機に、どんな子でも輝けるお手伝いをしたいと福祉に興味を持ち、特に高校進学後は心理・インクルーシブ教育について学びたいという思いが強くなった。

今でも時々だが、NICU卒業生の会に参加させてもらうことがある。私の幼少期によく似た小さな子の笑顔は何より私に勇気をくれる。そして看護師さんや医師は大人に少し近づいた私にも変わらず、「育ってくれてありがとう。」と伝えてくれる。今度は私がかわいい後輩、まだ見ぬ未来の後輩に伝えるだろう。
「育ってくれてありがとう。」と。

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審査員のひとこと

未熟児として生まれた作者が中学生になって、当時お世話になった新生児集中治療室の看護セミナーで、自分の成長過程を発表したことを機に、自分のこれからの進路を考えるようになったことについて、素直な言葉で書かれている作品です。

冒頭と文末に「育ってくれてありがとう」という言葉を効果的に使っていて、シンプルですが奥が深い表現で、読んだ人をあたたかな気持ちにしてくれます。

入賞

叶えたい世界

野尻 亜沙美(日本女子大学附属高等学校 一年)

私には、ずっと叶えたいと思っている夢がある。それは、街を歩き、たまたま見つけた店にふらっと立ち寄ってご飯を食べること。

しかし残念ながら、私が外で食事をするときは、メニューを見て食べたい物を“選ぶ”ことはできない。小さい頃から食物アレルギーのある私は、アレルギー表をもらって食べられるものを“探す”のだ。それかあらかじめ、どの店なら何が食べられるかを覚えておいて、いきなり知らない店に入るのは避けている。私一人なら多少不便なだけだが、何よりも友達といるときに迷惑をかけてしまうのが嫌だった。最近低アレルゲン食品を扱う店が増えてきてはいるが、まだ私の夢である「ふらっと立ち寄る」には程遠い。私はこの前母と入ったヴィーガンレストランで、ほぼ初めて「なんでも選んでいい」という体験をした。私にとっては、なんでも食べられるというのは憧れであり、信じられない事だった。人生初のドリアを食べながら、この感動をもっとたくさんの人に知って欲しいと思った。食べられるものが増える感覚、新しい料理に挑戦できる楽しさを、他のアレルギーを抱える人達にもっと感じて欲しいと思った。

しかし、お洒落な店や有名ファストフード店ほど私の食べられるものが少ない。値段や見栄えなど重視することが違うのだからしょうがない、と言ってしまえばそれまでである。でも、もし私のこの小さな夢が叶えば、喜ぶ人がたくさんいるのではないかと思う。私の他にも、声をあげずに社会に適応しようと頑張っている人が大勢いるはずだ。その人のためにも、より理解が進み、安く美味しく手軽に低アレルゲン食品が食べられる環境になって欲しい。

友達が「食べられるものある?」などと私を気にかけてくれるとき、最近は申し訳なさよりも嬉しさの方が勝る。「知らないお店にふらっと立ち寄れる世界」に、少しでも近づいた気がするからだ。

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審査員のひとこと

食物アレルギーがあることで、作者自身が困っていることや感じていることについて、素直に描かれている作品です。

お店にふらっと立ち寄って食べるというあたりまえのことができないことについて、自分の問題としてだけでなく、これからの社会の問題として提起している点が評価されました。

入賞

一票

富沢 大輝(早稲田大学高等学院 三年)

福祉、幸せが人によって違うものならば、私にとってそれは自由かもしれない。そう感じさせた二つの出来事があった。

一つは知事選の選挙だ。十八歳になって初めての選挙がこの選挙だったが、その時私は忙しく、行くので精一杯だったこともあり、あまり候補者の政策を調べずに投票会場に向かった。友達や家族に話を振ってもあまり選挙に興味がなさそうで、私も特に思い入れもなかったので適当に知っている人の名前を書いて箱に入れた。

二つ目はそれから少し経った頃、香港の民主化デモのことを気になって調べてみたことだ。きっかけはニュースサイトで見た、旗を振って声高らかに革命を叫ぶ香港のデモ隊が格好いいと思ったからである。しかし、デモの様子を撮影した動画で見た悲鳴、痛ましい武力衝突や続々と連行される逮捕者にその考えはすぐに否定された。私は衝撃を受け、今まで気に留めてこなかったこの出来事に興味を持った。デモは六月に可決された香港国家安全維持法や民主的な選挙などが争点で、彼らの人権に対する考え方が変えられようとしているらしい。また香港の行政機関が中国寄りで、民主的でないという主張もあり、香港の学生を含むデモグループは、普通選挙やデモに対する過剰な暴力を禁止するなどの五つの要求を掲げている。

私は選挙で何も考えずに入れた一票を恥じた。私の適当で自由な一票は、香港の若者が怪我をしたり逮捕されたりしても手に入れたかった一票なのだと思った。日本には民主的な投票制度があり、表現の自由も認められている。それなのに何も考えずに他人の意見に従ったり、与えられた折角の権利を無駄にしたりするのはもったいないのではないだろうか。今私が国際社会や政治体制を変えるために出来ることはほとんどないが、話し合って自分の権利をより良い未来のために使うことが大切だと思った。

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審査員のひとこと

十八歳になって初めて選挙に行き投票を経験したことを機に、香港の若者の民主化デモについて調べて、自分たちに民主的な権利や表現の自由があることを大事にし、未来のために活かしていくことの大切さについて、分かりやすく書かれている作品です。

自分の身近な出来事をもとにしながらも、国際社会の動きにも目を向けて、広い視野からこれからの社会について考えている点が評価されました。