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第18回 高校生福祉文化賞エッセイコンテスト

入賞作品

ひと・まち・暮らしのなかで 入賞作品

最優秀賞

手紙

桑山 涼花(北九州工業高等専門学校 二年)

「大丈夫」。このたった三文字が、私を強くする。

私が小学校四年生のとき父が死んだ。末期の癌で、判明したころにはもう手遅れだった。いつも堂々としていて、曲がったことが大嫌いな人だった。そんな父は、よく手紙を書いてくれた。入院していたので、いつでも会うことができなかったからだ。「かけ算九九のテスト頑張れよ」「ピアノの発表会、応援しているよ」。些細なことでも手紙をくれた。父がくれた手紙には、最後に必ず、「大丈夫、涼花ならできる」と綴られていた。

父が亡くなってから数日後、机の上に一枚の紙が置いてあった。明らかに、まっすぐと置かれていたその紙に私は引き寄せられた。手に取って見てみると、そこには見覚えのある文字が並んでいた。不格好だけれど、力強いその文字は、いつも見ていた父の字だった。私の涙で滲んでいく父の字は、悲しい色をしていた。手紙の最後には、やっぱりあの一文があった。

父からの手紙は、その後も母に何度か渡された。二分の一成人式の日。小学校の卒業式の日。中学校の入学式の日。高校入試の前の日。どの手紙も最後の一文は同じだった。父の手紙の字は、私が歳を重ねるごとに、弱々しくなっていった。父の涙で滲んだのであろう文字も多くなっていった。

私は辛いとき。悲しいとき。寂しいとき。何度も何度も手紙を読み返した。どの手紙を読んでも必ずある「大丈夫」の文字。私はこのたったの三文字にたくさんの勇気や元気をもらった。

高校の入学式に渡された手紙。母は「これが最後の手紙だよ」と私に伝えた。私は最後の手紙を読んだ。やっぱり最後に書いてあった「大丈夫」の文字は、不安でいっぱいだった私の心に、希望を与えてくれた。だから私は、不安なとき、困ったとき、必ず心の中でこう叫ぶ。「大丈夫、私ならできる」と。

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審査員のひとこと

父からの「大丈夫」で始まり、文末で「大丈夫、私ならできる」と自分の言葉で締め括っているところにエッセイとしての巧みさが感じられました。父からの手紙で成長したことや父への感謝の気持ちが素直な文章で綴られていて、読み手の胸を熱くさせます。

起承転結がよく、言葉の使い方がうまい作品で、審査員の多くが高く評価しました。

優秀賞

自分らしく生きる

杉山 鴻希(岐阜県立揖斐特別支援学校 二年)

「一生、不自由なままだ」そんな風にずっと思ってきた。僕は生まれつき歩けず、手にも麻痺があり、車椅子で生活を送っている。小学生の頃、近所の子に「何で歩けないの?」と聞かれて、嫌な気持ちになった。「なりたくてなった訳でもないしそんなの分からないよ」「なんでそんなこと聞くの!?」とも思った。そんな経験から、自分を語ることや人と関わることも最低限になった。「やりたいことをやる=助けが必要だから迷惑になる」「やってもできない=努力しても無駄」だから、我慢して、そこそこ楽しければそれでいいと思っていた。そんな風に当時の僕はネガティブで自己肯定感が低かった。

ある日、重度の障害をもち、訪問介護を利用しながら一人暮らしをしている女性の講演を聞く機会があった。講演の中で「障害のある人の自立とはなんだと思いますか?」「私が考える自立は、自己選択、自己決定、自己責任を大切にして自分と向き合って生活を送ることです。」それに続けて「自分を知り、できることに精一杯取り組み、できないことは人に頼むことが重要です」と語っていた。僕は「自立=自分一人でやること」「それができない=不自由」だと決めつけていた。自分より困難なことが多いはずなのに、障害を受け入れて堂々と生きている姿に感銘を受けた。

考え方を変えて「人生をもっと楽しむ」と決めた僕は、学校生活や趣味を通して同世代と関わることが増え、人と関わることの楽しさを実感した。話したり、人の相談に乗ったりすることが好きだということにも気付き、大学に進学して、もっと多くの人と関わりたいと思った。そして福祉について学び、過去の自分のような人たちの悩みに寄り添い、背中を押せるような仕事に就きたいと思うようになった。僕に大きな夢と希望をくれたその女性に心からの尊敬と感謝の気持ちを送りたいと思う。そして最後に、この言葉を伝えたい。「自分らしく生きる」って最高。

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審査員のひとこと

車いすで生活を送っている作者が、重度の障害をもち自立した暮らしをしている方の講演を聞いたことで、「人生をもっと楽しもう」と前向きな気持ちに変化する様が、素直に表現されている点が評価されました。

人と関わることや人の相談に乗ることが楽しく好きだ、という自分を発見したことが描かれていて、「自分らしく生きる」ことの喜びがよく伝わってきました。

優秀賞

お客さんからの届け物

池谷 麻菜(Kalani High School 二年)

英語、日本語、中国語、タガログ語、ミクロネシア語。私が働くおにぎり屋さんには毎日様々な言語を話すお客さんが訪れる。日本語と英語しか話せず、言語の壁と毎日戦いを繰り広げる私の前にある日、新たな壁が突如として現れた。「声」の壁だ。

お店の前に行列ができ、従業員がピリピリせかせかとしてくるお昼時、小さな男の子を連れた若いお父さんがやってきた。一つしかないレジで接客を担当していた私は元気に「ハロー」と声をかけるが、ん?「声」では無く、「ハロー」と読み取れる大きな口の動きだけが返ってきた。

耳が不自由なお客さん。言葉では無く、言葉を伝える「声」が届かない。戸惑いながらも笑顔をキープし、アメリカ手話を全く知らない私にはジェスチャー、表情、口を大きく動かして意思疎通を図るほか出来なかった。お会計をやっとの思いで完了させ、商品を渡すと、お客さんは顎から投げキッスをするような動作を残して素早く去っていった。意思疎通がうまく出来ず、不愉快な思いにしてしまった気がして、申し訳なく思った。

「手話を習得すれば、次こそは耳が不自由な人にもちゃんとした接客が出来るかも。」帰宅後私はすぐにアメリカ手話の簡単な日常会話の動画を見始めて、はっとした。
「ありがとうは顎に手を置き、投げキッスをする動作をします。」
「へー・・・ぇ、あ!あのお客さんは『ありがとう』って伝えてくれたんだ!」

真心を込めた一生懸命な接客は、「声」が届かなくてもちゃんと伝わっていた。手話が出来なくても伝えようとする気持ちと行動で人と人は通じ合える。これはきっと外国語でも同じだろう。時間差で届いた「ありがとう」は目の前の声と言語の壁にとらわれ過ぎて、すっかり忘れていた自分の気持ちの大切さを気づかせてくれた。あの時のお客さん、大事な気づきをありがとう!

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審査員のひとこと

多言語文化のハワイで暮らし、おにぎり屋さんで働いているなかで、自分の知らなかったアメリカ手話にふれた体験をもとに書かれた作品です。気持ちと行動で人と通じ合おうとすることの大切さに気づいたことが分かりやすく書かれていて、読んだ人をあたたかな気持ちにさせてくれます。とくに、「時間差で届いたありがとう」が表現として光っていると、審査員から評価されました。

入賞

優しさの成分

工藤 有紗(女子学院高等学校 一年)

一人の女性を避けて道を急ぐ人々。不自然にぽっかりと空いた空間から駅のホームの天井に向かって上に伸びる白杖。そして、私の体はしばらくの間動こうとしなかった。しばらくの間、と言っても数十秒間だったと後から思い返して自身の記憶を訂正したが、とにかくその時の私にはそれがとてつもなく長い時間のように思えたのだ。地面に付けてではなく上に上げられた白杖が何を意味するか、私は分からなかった。知らなかった。だから、自分が何をすべきなのかも分からず突っ立っていたのだった。白杖の方向に向かって足を少し踏み出して、それから踏み出した以上に後ずさることを数回繰り返す。もし余計なお世話だったらどうしよう。しかし、自分が背を向けていた側のホームに到着した電車のドアが開く音で漸く目が覚め、私は電車から降りてくる人々を背にまっすぐに歩き出した。もう、迷わなかった。

その女性は駅の構内で迷子になっていた。目が見えない状態で誰かに体を触られるのは十分恐怖に値すると思い声をかけると、私は自分から出た声が思ったより上ずっていたことに赤面し、その人は安心したように「ありがとうございます。」とまだ何もしていない私に何度も頭を下げた。その人の目的地まで一緒に歩いて行った後、別れ際に
「優しい方ですね。」
と言われ、私は思わず口ごもった。自分が優しい人間だとは到底思えなかったからだ。現に、その人は私がどれだけ話しかけるのに時間を要していたかを知らない。「いえ、白杖を上げられていたので、」と返すと、その人はそれが白杖SOSシグナルと呼ばれるものだと教えて下さった。その時私は気付いた。優しくなることは知ることなのだ。より多くの事を知る程、私たちは手を伸ばせる。そう思うと、気付けばこう口走っていた。
「こちらこそ教えて下さりありがとうございました。これで私も、少し優しくなれます。」

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審査員のひとこと

天に向けて伸びる白杖が目に浮かぶように表現されていて、その光景に接した作者が、ためらいを感じながら声をかけた体験を通じて気づいたことを「優しくなることは知ることなのだ」という短い言葉で印象的に書かれていました。

「白杖SOSシグナル」はまだ普及しておらず、使われていない当事者もいらっしゃることから、白杖が上げられていなくても困られている様子を察知して声をかけることも必要だということも、考えさせられました。

入賞

5人で傘2本

山本 彩佳(桜美林高等学校 二年)

「あの人達、どうかしたのかな」
信号待ちの車の中で、父が指差した。大柄な男性が膝を押さえ、うずくまっている。横には小柄な年配の女性が周りを見渡して、オロオロしているように見えた。雨が降っているのに、二人共傘を差していない。誰か気付いてくれないかと辺りを見たが、雨のせいか、誰もいない。

信号が青になった。「降りて、どうしたか聞いてみよう。」父が少し離れた場所に車を停め、母が様子を見に行った。しばらくして、息を切らして母が戻ってきた。「息子さんが転んで立てないみたい。うちの車椅子があれば、助けられる。一度、家に戻ろう。」

急いで車椅子を持って戻ってみると、別の女性が、二人に声を掛けていた。そして、母とその女性が付き添って親子を近くの病院に連れて行くことになった。私と父は車の中で待つことにした。男性が車椅子に乗り、私の母がそれを押す。二人が濡れないようにと、女性が自分の傘をその二人に差した。続いて男性のお母さんが濡れないようにと、通りがかったお婆さんが後ろから自分の傘を差しかける。なんとも不思議な光景だったが、親切の連鎖が生んだ姿に温かさを感じた。しばらくして、母が帰ってきた。グループホームに入所していた息子さんを連れて帰ろうとしていて、転んでしまったという事だった。幸い息子さんの怪我はたいした事が無かったようだ。ほっと心が軽くなった。

私は筋肉の難病で、平坦な道でも、すぐ転んでしまう。そのため、私が転んで困っているとき、何度も他の人に助けてもらった事がある。声を掛けてもらえるだけで、痛さも和らぐ気がする。私は日常的に色々な場面で多くの人の力を借りている。今日は私の車椅子が役立った。今度は私自身の力で、人の役に立てるような事ができたらと思った。

気がつくと、外の雨はいつの間にか上がって、明るい光が射していた。

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審査員のひとこと

タイトルの意味が、謎解きのように明かされていく、ユニークな作品です。作者のお母さんをはじめ、通りがかった人たちの親切が次々とつながっていく場面が、美しい絵のような描写で印象的に表現されていました。

難病で日頃から他の人に助けてもらうことがある作者が、この体験を通じて、自分も人の役に立ちたいと思う、やさしい気持ちが伝わってきました。

入賞

言葉のないハグ

辰澤 奈緒子(学習院女子高等科 二年)

私の祖母は中国人である。国境を越えないと会えないから会えるのは一年に一度だけ。祖母は会う度決まってハグをする。言葉が通じないから、言葉のない、強く、そして長いハグ。祖母の身長は小さく、私の胸のあたりまでしかないので周りからは逆に私が支えるようなハグに見えていると思う。でもその小さなハグに涙が出るようになってしまったのはここ数年のこと。最近になって分かってきた。言葉がなくても祖母の腕から伝わってくる「おかえり」「会いたかったよ」っていう思い。そして毎年毎年徐々に弱くなっている祖母の力。痛いほど強かったハグがこんなにも弱くなってしまったのかと痛感する。そして私は二週間ほど滞在する。なるべく祖母に寄り添うように過ごす。いつも私達の間に会話はなく静かだけど、目が合うと、何かを伝えるように笑いかけてくる。私も笑い返す。それくらいしか「大好きだよ」って伝えられない。日本に帰る時もお別れのハグをする。やはり、言葉のない静かなハグである。私は決まって泣いてしまうのにそれを見た祖母は笑ってもう一度ハグをしてくれる。弱々しく長いハグは「また会おうね」って伝えてくる。私は小さい祖母を強く、強く、「元気でいてね、大好きだよ」って抱きしめる。私より小さいのに大きな、大きなハグ。あと何回できるのだろうと考えてしまう。もう八十八歳だから会える時は限られてくるのだろう。

「言葉がなくても伝わる。」私達がこの現代を生きているとどうしても忘れてしまうことだと思う。例えば、些細な笑顔、目線や唇の動き。普段のたわいもない動きに実は、沢山の言葉が詰まっていたりする。

そんなことを教えてくれたのは祖母の言葉のないハグである。私も後悔のないように伝えようと思う。来年は泣かないように、とびきりの笑顔で、強く、ハグをしよう。

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審査員のひとこと

一年に一度しか会えない異国の祖母と、言葉ではなくハグで通じ合っている様子がよく表現されています。ハグする力の変化を通じて、祖母が年老いてきていることを感じ、元気でいて欲しいと思って強く抱きしめる作者のやさしい気持ちが伝わってきます。

ハグだけでなく、笑顔、目線、唇の動きなどによる祖母との言葉以外のコミュニケーションの様子も描かれているとさらによかったと思います。