名称 |
桜井梅室の句碑 |
所在地 |
半田市有楽町1-36 荒川邸 |
区分 |
句碑 |
詠者 |
桜井梅室 |
揮毫者 |
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建立者 |
荒川八世 寄陽 |
創立年月日 |
嘉永5年(1852) |
高さ |
117cm |
幅 |
80cm |
材質 |
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碑文 |
綾むしろ地に敷く月の蘇鉄かな |
意味・出典 |
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由来 |
桜井梅室(1769-1852)は、全国的に名を知られた文政から天保にかけての流行俳人で、天保の三大家の一人である。 荒川家は、先祖代々医業を業とし、天正年間、当地を旅した家康の腹痛を治した褒美に七代目の当主が蘇鉄を賜った。 そして、京都に出て医学を修める傍ら、俳諧を桜井梅室に学んだ八代目当主・荒川寄陽は、師の梅室と親交を続け、梅室の没年に、師の追福としてこの句碑を建てた。この蘇鉄は当時有名だったらしく、文人墨客がしばしば訪れていたようだが、現在は主幹が枯れ、ひこばえが往時の面影を留めている。 |
参考文献 |
新修下p27 |
備考 |
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交通 |