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第18回 高校生福祉文化賞エッセイコンテスト

入賞作品

スポーツ・文化活動とわたし

最優秀賞

彼女が星を生けるように

焼山 美羽(開智日本橋学園高等学校 3年)

「じゃあ、私は星を生けてみたいな。」

視覚障がいをもつ子供達に生け花を教えるボランティア。そこで出会った少女は自らテーマを決めて生ける際に言った。まだ見たことのない星へのあこがれを花で表現したいと。

彼女とペアを組んだ私は桔梗や百合といった花材に合わせて、どの花器を使うかなど一緒に選んでいく。最初のうちは「どうしたら伝わるのか。」と頭の中に不安が募る。しかし、星座にまつわる神話を話したり、春夏秋冬と季節によって変わる星空の様子を人の感情に例えて表したりすることで彼女が頷きつつ、手を動かしてくれた。見える世界と見えない世界、二つの世界を行き来する彼女。隣にいる私はさながらその橋をつなぐ案内人になった気分だった。

それから二ヶ月後に、毎年劇場で行っているデモンストレーションの舞台に彼女と立つよう友人から勧められた。当の彼女も以前のように星や銀河への旅をイメージにやってみたいと言ったので準備を重ねた。作品だけでなく、照明の具合や流す音楽にもこだわって素晴らしい公演になるはずだった。しかし、あとは本番を待つだけというところで感染症の大流行。それによって幕を上げることができなくなってしまった。では、一体何ができるのか。二人で考えた末に導き出したのは、デモンストレーションの予行練習の動画を副音声付きで作成することだった。そして、誰に対しても平等に可能性があることを皆に知ってほしい、ぜひ何かに挑戦してほしいと願いを込めて世界に発信した。すると、「私も不自由な体だけど、生け花に興味を持てた。」というメッセージが多く届いたのである。

言葉は使い方一つで人を傷つける武器にもなってしまう。ボランティアを通じて、普段何気なく使っている言葉の力を学んだ私は、もっと言葉にできない光景を言葉にできる光景にしたいと思い始めた。彼女が星を生けるように、私の挑戦も未来に続いているのだ。

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審査員のひとこと

美しいタイトルから惹きつけ一気に読ませる、読後感がさわやかで、審査員全員から高い評価が得られた作品です。視覚障がいのある子どもたちに生け花を教えるという取り組み自体が興味深く、「二つの世界を行き来する彼女」に「その橋をつなぐ案内人」として寄り添う姿が、豊かな表現で描かれています。

コロナにより作品公演の舞台がなくなっても、動画で世界に配信することに挑戦し、届いたメッセージから力を得て、挑戦を未来に続けると決意しているところに、好感が持てました。

優秀賞

描き続ける理由

鎌田 朱羽(大阪市立工芸高等学校 2年)

好きと楽しいがいつもイコールで結ばれていると思っている人。それは大きな間違いだ。

私は小さい頃から絵を描くのが好きで、高校は美術を学べる学校へ進学した。入学してすぐの頃は、毎日「今日はどんなことをするんだろう」とわくわくしていて、とにかく絵を描くのが楽しかった。

ところが、日がたつにつれ、そんな期待は不安へと変わっていってしまった。クラスメイトは全員、私と同じく絵を描くためにこの学校に進学してきた人たち。そんな周りとの実力差を感じる瞬間が増え、いつの間にか、「楽しくないな」と思ってしまう時間ができていた。そう思ってしまう自分が嫌になり、日に日に不安も増していって、冬になった頃のことだった。

溜まっていた不安が、爆発した。家でいつも通り家 族と話している時、突然涙がぼろぼろこぼれてきた。 家族は何の前ぶれもなく泣き出した私に驚いていた。 涙と一緒に私が抱えていた不安を全て吐き出した。私の話を最後まで聞くと、父が言った。
「好きなことを楽しく、って難しいよな。」
はっとした。私は無意識に、本当に好きなことは常に楽しいものだと思い込んでいた。でもそれは大きな間違いだった。楽しくない時があってもいいんだ。楽しむことを難しいと思っていいんだ。そう気づいた。そしてそれと同時に、悔しくても、苦しくても、「好き」が「嫌い」になったことは一度もなかったな、と、思い出した。

きっと本当は、好きなことを常に楽しめるのが理想なんだろう。でもそんな理想を叶えられる程の自信や実力は今の私にはない。自分は天才じゃないんだ。だからそれを手に入れられるまで向き合えばいい。そう開き直ってからは、不思議と不安を感じなくなった。

これからも、「好き」が消えない限り、しぶとく絵を描き続けてやろうと思う。

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審査員のひとこと

絵を描くのが好きで進んだ学校で、だんだん楽しくなくなり不安になった時、父親からの「好きなことを楽しくって、難しいよな」の言葉が印象的でした。父の言葉で、「好きなこと=楽しいこと」と思い込んでいたことは間違いで、「楽しくない時があってもいいのだ」とはっと気づくに至ったことが、素直に表現されています。

好きなことは楽しいことばかりではなくても「しぶとく絵を描き続けてやろう」と力強い言葉で締めくくっているところもよかったです。

優秀賞

私の奇跡

内匠 ほのか(宮崎県立明星視覚支援学校 3年)

100mを走り切った。先生の声が聞こえた。涙があふれた。15秒91の自己新記録だった。最初で最後の高校総体だった。運動なんて大嫌い。一人がいいと思っていた中学の私が今の私を見たら、きっと驚く。これは奇跡だ。

生まれつき視力の悪い私は、中学まで体育の授業がある度、「目が悪いからできないよね。」「遅い」「邪魔」などの言葉に傷つき、苦手だった運動が益々嫌いになった。自分の障がいを認めるようで、視覚支援学校に入学するのも抵抗があった。そして、入学して間もなく「陸上やってみない?」と体育の先生に声をかけられたが、当然何度も断った。それまですべてに自信が持てずにいた私だったが、先生の熱意に陸上が私を変えてくれるかもしれないと思い、やってみることにした。練習を始めたころは、走ると息が苦しく、翌日は筋肉痛に襲われ、毎日のように心が折れそうになり、弱音を吐いていた。「自分に負けるな!」「頑張れーっ!!」とグランドに響く先生の大きな叫び声がうれしく、走ることが好きになり、楽しいと思えるようになっていた。しかし、コロナでほぼ大会はなくなり、高3の高校総体が最後の大会となった。総体にむけて、つらく、苦しいハードな練習が続いた。それまで、苦しいことやつらいことから逃げていた私だが、走ることで、「苦しい」「つらい」の先に「楽しい」「好き」があることに気づいた。いよいよ総体当日、「走ることが大好きだから、楽しんで走る!」と決めていた。そうして走った100mは、自分の中で1番の走りだった。

陸上は、私を大きく変えてくれた奇跡だ。大嫌いな運動が大好きになった。一人だと思って心を閉ざしていた私の周りには、たくさんの人がいてくれた。一緒にゴールを目指した先生、応援してくれた家族、友達の存在にどれだけ励まされたことか、これを奇跡といわずに何というのだろう。私は、自分を変えてくれた奇跡を胸に、これからも走り続けたい。

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審査員のひとこと

書き出しの一文が、後の文章に勢いをつけていて、効果的でした。走ることをはじめすべてに自信がなかった作者が、先生の熱意、家族の励まし、友達の存在により、最後の大会で100mを走り切った達成感につながったことを、わかりやすく表現しています。

運動が嫌いだった自分が、陸上競技に取り組む中で、「苦しい」「つらい」の先に「楽しい」「好き」があることに気づいたことを、タイトルにある奇跡と表現していることが印象的でした。これからも走り続けたいという前向きな姿勢に好感が持てます。

入選

子供たちと成長して

花木 ロブ(静岡県立川根高等学校 3年)

スポーツは幼い頃から私の近くにあった。それは自分自身を鍛えるためのものであった。私は小学生の頃からフェンシングクラブに通っている。中学生までは人から教えてもらう立場だったが、高校生になると、クラブに小学生の生徒が多くなったこともあり、自分は教える立場に回ることが多くなった。今まで人に教えるという経験をしたことがなかったため、初めは戸惑った。どのように小学生に接すればよいか、どのように教えたらできるようになるのかわからなかったからだ。やる気があまりない子もいて、集中させるだけでも苦労したが、徐々に技を教えたり、ミニ試合を体験させたりして、フェンシングの魅力を伝えるように努力した結果、小学生のやる気も日々増していた。私自身も教えるコツを掴み、剣の握り方にさえ苦労した子が様々な技を覚えていったときには、教える立場としての達成感を覚えた。人に教えることをとおして、技の細かいところまで意識するようになり、自分の技術も磨かれていった。

小学生に教えるようになってから約一年が経ったある日、一人の子が「お兄ちゃんと試合がしたい」と言ってきた。試合はいつも小学生同士で行っていたため、小学生と高校生とではさすがに無茶だろうと思いながらも試合を始めたところ、最初の一点を相手に取られてしまった。それも、練習で一番力を入れていた技で取られてしまったのだ。フェイントを入れ、相手が反応した瞬間に逆をつくという非常にシンプルな技。普通ならこれだけで相手を崩すのは難しいはずなのに、私は完璧にやられてしまった。

正直、小学生に点を取られた恥ずかしさで、しばらく顔を上げられなかった。しかし、ふと我に返ると、私は喜んでいる自分に気がついた。この小学生がやったことは私の努力があったからだと思えたからだ。私は人にものを教えるということをとおして、人と共に成長できる喜びを知った。

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審査員のひとこと

人にものを教えることで共に成長できることについて、自分が小学生の頃から通っているフェンシングクラブでの体験を通して、わかりやすい文章で書かれている点が評価されました。最初は、小学生にどのように教えたらよいかわからなかったが、工夫をして取り組む中で、小学生の上達とともに自分の技術も磨かれていったことが描かれています。

小学生と試合をして負けてしまったことを恥ずかしいとしつつも、力を入れて教えた技で負けたことに喜びも感じているところに好感が持てました。

入選

顔も知らない、誰かの声

原田 夕華(大阪府立狭山高等学校 2年)

私は悩んでいた。絵を描き、SNSに投稿しては反応を気にする毎日。好きで始めたはずなのに、描きたい絵より「フォロワーが好きそうな絵」を模索する日々。どうして絵を描いているのか、今なんのために絵を描いているのか、わからなくなってしまっていた。
「もう、絵を描くのはやめてしまおうかな。」
そう思いはじめたときのことだった。

ある日私が描いた絵は、私の中でなかなか良くできたものだった。久しぶりに自分の描きたい絵が描けたことが嬉しかった。なのに、いつものようにSNSにアップしながら、反応が貰えなかったら嫌だな、フォロワーは気に入ってくれるかな、なんて思ってしまう自分に嫌気がさす。そのとき、通知音がした。載せた絵にコメントがついたらしい。ドキドキしながらSNSを開き、私は見た。「感動しました。」の六文字を。自然と涙が出た。私がずっと忘れていた、絵を描きはじめた理由。そのとき、やっとそれを思い出した。

私は、あるイラストレーターの人に憧れて絵に目覚めた。私の人生は、その人に変えられたのだ。その日から、私はその人を目指して描き続けた。その人みたいに誰かを感動させられるような、人生さえ変えてしまうような絵が描きたかった。ようやく気づくことができたのだ。

その日から、私は周りの評価を気にせず絵を描けるようになった、かというとそうでもない。だけど、「いい反応が貰えそうな絵」ではなく、「自分の描きたい絵」に評価をしてほしいと思えた今、反応に囚われすぎず絵を描くことができている。

私にそのことを気づかせてくれたのは、顔も名前も知らない誰かだった。純粋に私の絵だけを見てくれた人だからこそ、その感想は心に刺さった。インターネットの交流は怖い反面、誰かを救うこともできるのだ。今はもうアカウントを消してしまったその人に今でも感謝をしながら、今日も絵を描いている。

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審査員のひとこと

誰でもSNSを通じて自分の表現を発信できる時代ならではの作品です。SNSの反応を気にして表現することは、今どきの「あるある」ですが、あまりに気にし過ぎて、絵を描くのをやめてしまおうかと思っていたところ、知らない誰かからのコメントにより、自分で描きたい絵を描いていこうと気づいた、心の動きがよく伝わってきました。

「いい反応が貰えそうな絵」や「自分の描きたい絵」がどのようなものか、気になりました。絵の具体的な描写があると、さらによくなったと思います。

入選

色とりどりの

南 心結(鈴鹿工業高等専門学校 1年)

私は十年程前からボランティア活動をしている。祖母が慰問グループの代表をしている事もあり、最初はついて行くだけだったが、いつの間にか自分も参加するようになった。演歌や昔の歌を覚えて一緒に歌ったり、手を握ってお話したりしていた。次第に笑顔を返してくれるのが嬉しくなり、学校に通うようになってからも長期休暇などを利用して車で片道三時間かけて祖母の元へ行き、年間に十回程老人ホームなどの福祉施設に顔を出した。

私の場合、少し遠かった事もあり、同じ施設へは年に一度ぐらいのペースでの訪問になった。そうすると、去年お話したおばあちゃんにまた会えるかな、と楽しみにして行っても、姿を見られない時もあった。「元気で過ごしてね。また来年来るね。」と言って別れても、再会が叶わない事もある。その意味がわかってからは、目の前の方とは笑顔で接しながらも、心の中では寂しさを感じていた。特にそういう事が続くとつらい時もあった。

それでも私は訪問を続けた。それは、何か伝わるものがあると信じているからだ。ある時、施設に来てからずっと寝たきりだというおじいちゃんのそばに寄り話しかけると、言葉にならない声を上げてくれた。それを見た施設の方が、初めて声を聞いたと驚いていた事があった。またある時、車イスのおばあちゃんに目線を合わせたら手を出してくれたので手を握ってお話していると、横でご家族が、もう随分手が上がらなかったのに自分から震えながらも精一杯手を伸ばす姿を見られて嬉しかった、と涙を流して喜んでくれた事もあった。その一瞬だけでも刺激になっているのなら、生きる活力になるのなら、きっと意味があるはず。それに、返してくれた笑顔にいつも元気をもらっていたのは私の方だった。

だから私も一つ一つの出会いを大切にしようと、折り鶴を一人一人に手渡すようになった。楽しいひとときを思い出し、少しでも生活の彩りになってくれればとの想いも込めて。

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審査員のひとこと

片道3時間の老人ホームに十年前から通い、ボランティアを続ける中での、おじいちゃん、おばあちゃんとのふれあいについて、素直な文章で書かれていることが評価されました。「精一杯手を伸ばす姿を見られて嬉しかった」と家族が涙を流す場面など、細かな描写から、あたたかく交流する情景がよく伝わってきました。

長くボランティア活動を続けているからこそ、お互いに通じ合うものがあり「少しでも生活の彩りになってくれれば」と願う想いに、好感が持てました。