menu
第19回 高校生福祉文化賞エッセイコンテスト

入賞作品

ひと・まち・暮らしのなかで 入賞作品

最優秀賞

じいちゃんと桜

石谷 実佐(皇學館高等学校 2年)

桜の前で撮った祖父の写真がある。この一枚の写真は、私に元気をくれる。

「じいちゃん腕相撲しようよ。」私は小学生の時、祖父に何度も勝負を挑んだ。だが、祖父のしわくちゃになった大きな手から溢れ出る力は、驚くほどに強かった。そんな祖父の力の源は、鍛冶屋を営んでいた頃に鍛え上げられたものだ。家中に響く溶接の音と力強い金槌の音。この音に不思議と心が落ち着いた。「おおきんな。」と嬉しそうに帰って行く人を見ると、私は誇らしかった。

しかし、祖父は突然立ち上がることができなくなった。医師からは、手術をしても今後は車椅子生活になると言われた。長い長いリハビリが始まり、家には電動式のベッドとスロープが設置された。祖父の退院後、一緒に桜を見に行った。幼い頃、祖父の押すベビーカーに乗せてもらっていた私が、今は祖父の車椅子を押している。元気だった祖父の姿を知っているだけに、本当に寂しくてたまらなかった。

車椅子生活になって二年、鍛冶屋で鍛えた腕相撲の強い祖父は、そのままでは終わらなかった。自分の足で歩くことを諦めなかったのだ。そして今年の春も、桜を見に行った。写真を撮ろうとした時、「じいちゃん立つわ」と言った。私は慌てて手を貸そうとした。入院当初の状況からすると信じられないことだったからだ。曲がった腰をグッと伸ばし、地面を力強く踏んで立つ姿は、祖父の努力の賜物だと感じた。私には、元気に鍛冶屋をしていた頃よりも、かっこよく見えた。

この夏には、家から車椅子がなくなり、歩行器がやってきた。歩行器を使用して歩けるまでになったからだ。もう歩けないと思っていた医師も驚いていた。私の自慢の元気な祖父が戻ってきたようで、胸が熱くなった。

私は今から春が待ち遠しい。祖父と一緒に写真を撮ろう。桜並木の中をじいちゃんと手を繋いで歩いている様子が目に浮かんでくる。

アイコン
審査員のひとこと

鍛冶屋だったおじいちゃんと家族の愛情ある日々が伝わってくる読後感のよい作品です。桜の前で撮った1枚の写真の書き出しが印象的で、車椅子生活になったおじいちゃんが元気を取り戻していく場面が情景としてよく伝わってきて、「じいちゃん立つわ」の言葉が効果的でした。

文章の流れがよく構成もしっかりしていて、桜並木の場面設定、タイトルにも工夫がみられる点など、審査員一同高く評価しました。丁寧に清書されている点も、よかったです。

優秀賞

ささやかな交流

渡邊 さくら(日本女子大学附属高等学校 3年)

私には近所に顔見知りのおばあさんがいる。実の祖母は私が生まれる前に他界しており、その方は私が赤ちゃんの頃からよく面倒を見て下さったそうだ。成長した後も年に数回一緒に食事をし、顔を合わせる機会があった。しかし、昨年感染拡大が始まった新型コロナウイルスのせいでそんな状況は一変した。年に数回あった親戚の賑やかな集まりは無くなり、疎遠になった。そしてそれはそのおばあさんも例外ではなく、その方と一度も会う機会の無いまま約一年が過ぎた。

だが、令和三年を迎え、流行開始から約一年が経とうとする時、私は思った。皆が口にする「コロナが落ち着いたら」はいつ来るのだろう。そもそも感染症の流行に“終わり”はあるのだろうか。私達はその日を“待っている”だけで良いのだろうか。そこで私は、心に引っ掛かっていたおばあさんの存在を思い、思い切って電話をかけてみた。突然の電話に驚きつつも、食べ物などを持って行って迷惑でないかと伺うと、快く承諾して下さった。そして、そのやりとりから数ヶ月が経とうとする現在も、一~二週間に一度手作りのお裾分けを携えてお宅を訪ね、少しの間お話をする交流が続いている。焼いたパンを貰って頂いたり、一方でお手製のおかずを頂いたり。とても嬉しいことに、おばあさんは私が作ったどんな食べ物も喜んで受け取ってくれる。それに、心なしか会う回数を重ねるごとにおばあさんは生き生きと元気になったように見えた。復活したそのおばあさんとの交流は、私に誰かを想ってものづくりをする張り合いや自分の行動で他の人を笑顔にできる幸せを与えてくれる。「いつもありがとうね。」毎度おばあさんが言う“いつも”という言葉。パンデミックというイレギュラーな状況下においても、“いつも”の何気ない人間の営みが存在することに、私はたまらなく有難みと幸福を感じる。ささやかな交流が私の心の糧となっている。

アイコン
審査員のひとこと

コロナ禍で家に閉じこもり、孤立している方がたくさんいる中、日常の中にささやかな交流が生まれたことを題材にした、ほほえましい作品です。コロナを機に気づいたことや自分が考えたことを描いた作品は他にもありましたが、なかなか行動に移せないことを実践し、感じたことを表現している点が評価されました。後半の「毎度おばあさんが言う“いつも”という言葉」の“いつも”が印象的で作品を生かしています。おばあさんとの交流が続く日常に幸福を感じているところに好感が持てました。

優秀賞

シアワセのお手紙、しあわせの牛乳アイス

水内 結菜(立命館慶祥高等学校 2年)

「おばあちゃんは、シアワセ!」新しい年が始まろうとする時に、私宛に一通の手紙が届いた。九十歳になった、曽祖母からのお手紙だった。誕生日じゃないのに、私のために肩が悪い右手でお手紙を書いてくれた。

十年以上前に曽祖父が亡くなり、一人で広い一軒家に暮らしていた。温厚篤実でやさしい曽祖母が大好きで、時間を見つけては家族で訪ねた。弟の好きなボール遊びを一緒にした後は、決まって手作りの牛乳アイスをご馳走してくれた。リビングには、私たちひ孫の集合写真を飾ってくれた。「今はね、学校でこれを勉強してるんだよ。」「そろばんの大会で入賞したよ。」そう言うと、やわらかい声で「そうなの、すごいねえ。」とほめてくれた。

少し大きくなってボール遊びをしなくなっても、牛乳アイスだけは食べたいとおねだりした。あのやさしい味がほしくて、そうしたら満面の笑みで「あらそう、いっぱい食べてね。」と食べさせてくれた。

中学生になると、テストに部活に習い事に忙しくなり、会う回数は減った。それでも牛乳アイスは、いつでもあった。

高校生になると、新型コロナウイルスが流行し、会いに行けなくなった。いよいよ曽祖母は思い出いっぱいの家を離れ、老人ホームで暮らすようになった。牛乳アイスは、もうなかった。

会えなくても、たくさんほめてくれた。一生懸命書いてくれた字が、あのやわらかい声に、やさしい笑顔に、似ていた。「ゆうなちゃん、すばらしいパパとママの子で本当にしあわせ…。おばあちゃん、そんな貴方達が孫とひ孫なんて勿体ない幸せ。」電話でもメールでもない、手書きのお手紙は、私の心にずっしりと刻まれた。

嬉しくて、涙がとまらなくて、すぐにお返事を書いた。今度は、私が牛乳アイスを作ってあげる番だ。「おばあちゃんがいて、私もしあわせ!」

アイコン
審査員のひとこと

曽祖母から届いた一通の手紙を核に、アイスという具体的なモノを介して、幸せな関係を浮かび上がらせて、素直な文章で描かれている点が評価されました。手紙の字が、「やわらかい声」「やさしい笑顔」に似ていたという表現から、おばあちゃんのあたたかい心が伝わってきました。

おばあちゃん手作りの牛乳アイスがどんなやさしい味なのか、知りたくなりました。タイトルにもなっている牛乳アイスについて、読者の想像を膨らませるところにも、魅力を感じました。

入選

私のまち

高橋 未歩(筑紫女学園高等学校 2年)

「散歩に行こう。」それは新型コロナウイルスの影響で休校中、妹が私に言った言葉だった。コロナ禍で退屈な日々を過ごしていた私はその案に乗った。それから私は妹と定期的に町内を散歩するようになった。まず歩いたのは小学生の時の通学路。高校生になってからはバスを使っての通学で、ゆっくりと町を歩くことなんてなかった。懐かしさを感じながら歩いていると、目に入ったのは桜の木。小学生の時は怪獣くらい大きく感じていたが、今は少し小さくなったように感じる。桜の花は何年も経った今でも綺麗に咲き誇っていた。目まぐるしく変わるこの世の中で、変わらずに咲き続けていることに自然の強さを感じた。次に歩いたのは行ったこともない森の中。新しい道を見つけて、まるで探検隊の気分だった。土や葉っぱ、花で溢れている道は歩くだけでわくわくした。普段の通学路ではアスファルトの硬い道を歩くだけである。森の道は私をすべて包み込んでくれるかのような温かさを感じさせた。森の中を歩くと様々な音が聞こえてくる。鶯の鳴く声や葉っぱの揺れる音。それらはコロナ禍で沈んでいた私の気持ちを晴れやかにしてくれた。

今まで私が住んでいる町は田舎で、都会に比べてとても不便だと思っていた。実際、そうであるし都会に憧れることもある。しかしその不便が実は心地良いのだと気づいた。一時間に一本しか来ないバスも。夏の夜に眠れないくらいうるさい蛙の鳴き声も。挙げようとすると切りがない程、この町には不便なところがある。しかしその不便によって変わらない自然を感じたり、自然の声を聞いたりすることができる。その声は実は都会でも聞こえるのかもしれない。しかし変わりゆく日々の中では、それらをゆっくり聞く暇さえ与えられていない。そんな安らぎを与えてくれる声が、町が、自然がやはり大切なのだと思う。だから、私は今日も妹に声をかける。

「今日はどこに行く?」と。

アイコン
審査員のひとこと

町内を散歩してみたことで、身近なものに発見があり、自分の町を見直すという、コロナ禍でも思いがけないプラスの体験ができたことを素直な文章で表現している点がよかったです。身近な自然を五感で感じ取り、晴れやかな気持ちになっている様子がよく伝わってきました。探検隊という表現も新鮮で、楽しんでいる様子を表すのに効果的でした。

不便だと思っていた自分の住む町が、自粛生活を送る中ではじめた散歩を通じて、「その不便が実は心地良い」と気づいたことに、好感が持てました。

入選

過度な心配ではなく、「力になるよ。」という意思表示

荻野 美羽(淑徳与野高等学校 2年)

私は頭痛持ちで、乗り物酔いも酷い。おまけにアレルギーを複数持つというなかなか厄介な体である。特に困るのは食物アレルギーである。どうしても周囲に前もって伝えなければならず、嫌だ。過度に心配されると申し訳ない気持ちになるし、かと言ってアレルギーの食品を食べてしまうと大変なことになる。

だから、楽しいはずの学校の宿泊行事が一番憂鬱だった。しかし、中三の時に私がいつも通りアレルギーの事を伝えると、友達が「了解!何かあったらいつでも言ってね!」と言ってくれた。決して過度に心配することもなく、でも何かあったら手伝うという気遣い。私の気持ちはすっと軽くなっていった。さらにその子は、
「どんな食べ物が食べられるの?」
とあえて「何が食べられないのか。」と聞かずに食べられる物を教えてほしいと言ってくれた。マイナスイメージの無い質問である。私はいつも「食べられない食品がいっぱいで、かわいそうだね。」と言われてきた。いつも何だか悲しかった。しかし、この友達の言葉で、言い方ひとつで印象が大きく変わることを知り、私も以後、手助けをする時は必ず
「手、足りてる?いつでも呼んでね。」
と声を掛けつつ、少し距離を取っている。私が感動したあの子のように。

高齢者の方の多くも、妊娠している方も、障がいを持っている方も私と同じように「過度な心配はしてほしくないけれど大変な時は手を借りたい」と思っているのではないだろうか。

過度の心配ではなく「力になるよ。」という意思表示。「出来ない事」ではなく、「出来る事」を。そんな風に声を掛けていきたいと思った。また、このように声を掛ける人が社会全体で増えていくようになったら、よりよい「様々な人が共に生きる」社会が作られると私は考えている。

アイコン
審査員のひとこと

自分が抱えている状況を踏まえながら、いろいろな方が持つ課題にも想いをはせて書かれたところが評価できます。とくに、言い方が違うだけで、受ける印象が大きく変わると気づいた点がよかったです。文章も自然体で、背伸びしたところがなく、感じたままを言葉にしているところに好感が持てました。

最後を空欄にせず、自分の思いを強調する言葉で締めくくると、さらによくなったと思います。長いタイトルについては、審査員の間で賛否が分かれましたが、本文のよさには異論がありませんでした。

入選

「支援」とともに生きる

橋爪 柚希(富山県立高岡高等支援学校 2年)

「なんで支援学校なんて行くん?」

みんなが進路を悩んでいる中三の頃に、友人に言われた言葉だ。私には、学習障害があり、書くこと、読むことにみんなより時間がかかる。黒板をノートに写すこと、みんなの前で教科書を読むこと、決められた時間内に問題を読み、答えを書かなければいけないテスト…どれも私にとっては大変な作業だ。だから私は、家族や先生と相談し、小学校を卒業する頃には、この高校に進路を決めていた。しかし、友人のその一言で自分の進路に自信をもてなくなっていた。私も心のどこかで「支援」と名のつく高校に行きたくないと思っていたからだ。

無理なことは分かっていたけれど、頑張れば友人と同じ高校に行けるかも、と親に相談したこともあった。沢山悩んで沢山泣いた。だけどこの先を進んでいくのは友人ではなく私だ。誰に何と言われても、どう思われてもいい。私にとって最善の道を進もうと思った。今、この高校に入学して一年がたったが、全く後悔はしていない。なぜなら支援という言葉の本当の意味を知れた気がするからだ。手話や、点字があるように、障害にはそれを乗り越えるための様々な支援がある。私にとっての支援は、タブレットやスマホ、何より周りの人の障害に対する理解だ。自分に合った支援を自分で選べることが大切だと思う。

学習障害があるからこそ出会えた新しい仲間がいた。気付けたことが沢山あった。きっと支援や障害という言葉に対する偏見がなくなるまでには、まだまだ時間がかかると思う。そして私自身、この先も自分のことで悩む時が何度もあるだろう。そんな時、自分で決めた道を、自信をもって歩いてゆける人になりたいと思う。時には「支援」という手を借りながら。

アイコン
審査員のひとこと

進路の選択は、誰もが直面する問題ではないでしょうか。友人からの言葉をきっかけに、たくさん悩んだけれど、自分にとって最善の道を進もうと思うに至ったことが、わかりやすく表現されていました。「この先を進んでいくのは友人ではなく私だ」という言葉に、強い決意と自覚が感じられます。

自分が決めた進路に後悔はなく、「障害にはそれを乗り越えるための様々な支援がある」ことを覚知し、支援の手を借りながらも自分が決めた道を、自信をもって歩む、というメッセージに好感が持てました。