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業

「ふくし」と仕事

さまざまに広がる仕事―。 本学の学びや取り組みが活かされています。

卒業生の声

美浜での、あの4年間があったからこそ、
『さんてつ』を描き上げることができた。

漫画家

吉本浩二さん

富山県生まれ。1996年3月、日本福祉大学社会福祉学部第Ⅰ部卒業。手塚治虫氏が遺した不朽の名作「ブラック・ジャック」の制作現場を関係者の証言で綴ったマンガ・ノンフィクション『ブラック・ジャック創作秘話』で、宝島社「このマンガがすごい!2012」オトコ編で1位を獲得した注目の漫画家。代表作に、東日本大震災発生からわずか5日で運行を再開した三陸鉄道を題材にした『さんてつ』、『日本をゆっくり走ってみたよ~あの娘のために日本一周』、『日掛け金融地獄伝 こまねずみ常次朗』などがある。

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漫画家への道に進むことになったきっかけを教えてください。

漫画家になろうと決意した直接のきっかけは、大学卒業後に就職したテレビの制作会社での出来事。映像を撮影する前に、絵コンテというイラストで描いたシナリオのようなものを創るんですね。その業務を僕がやっていると、上司や同僚が「上手いなー。そっちの道に進んでもやっていけるんじゃないか」と言ってくれて。もともと、子どもの頃から絵を描くのが好きで、大学進学を考えるときも、美大という選択肢も検討したほどだったのです。当時は大学に行ってまで専門的に絵を学びたいというほどの強い意志はなく、その道に進むことはありませんでしたが、まわりの人から評価してもらったことで、改めて自分は絵を描くのが好きだということを再認識することになったんです。実際に大学時代には、8ミリビデオで映像作品を創ることに夢中になっていて、やはり心の奥底には何かものづくりをしたいとか、それを通して自分を表現したいという思いがあったんでしょうね。そういった経緯もあり、思いきって会社を辞めて漫画家をめざすことにしたのです。

漫画家としての現在までの歩みを聞かせてください。

何のコネクションもなかったので、まずは出版社などが主催している賞に自分の描いた漫画を送るということからはじめました。運よく、最初に送った漫画が入賞し、出版社の方が僕の担当としてついてくれるようになったんです。驚くほど順調な滑り出しだったので、僕も淡い期待を抱いていたんですが、この世界はそんな甘いものではありませんでした。アルバイトをしながら漫画を描く日々が続きました。もちろん、もう漫画家をやめたいと思ったことも多々ありました。ただ、日本福祉大学という福祉の大学に進学したにも関わらず、親の反対を押し切って東京のテレビ制作会社に入社して、さらにそこも辞めて漫画家になると決意したわけですからね。そう簡単に諦められないという思いもありました。最低でも30歳までは頑張ろうと。それから3、4年が過ぎた頃でしょうか。様々な葛藤を抱えながらも、何とか漫画を描き続けていると、少しずつですが連載の仕事が入ってくるようになってきたんです。生活も安定してきたので、アルバイトも辞めて、漫画を描くことに集中できる状況にはなりました。ただ、それでも自分の中で漫画家としてやっていけると自信が生まれたのは、連載が単行本になって2、3巻ぐらいまで出版されてからですね。連載を続けるということが本当に難しいんです。人気がなくなればすぐに打ち切りになるシビアな世界で、そんな作品をこれまで数多くみてきましたからね。もっと長い下積み時代を経て、ようやく漫画が世に出たという漫画家さんもたくさんいますし、そう言う意味では、僕は恵まれていたのだと思います。

東日本大震災という非常に難しいテーマにも挑戦されましたね。

東日本大震災からわずか5日で運行を再開した三陸鉄道を題材にした漫画を描かせていただきました。出版社の方からこの仕事の話があったとき、正直受けるかどうか本当に悩みました。僕は東北の出身者でもありませんし、ましてや被災者でもありません。そんな部外者がこの大震災を描いていいのだろうかと。ただ、そこで迷っている私の背中を押してくれたのは、被災者のある言葉でした。この話をいただいたとき、まずは自分の目で被災地を確かめたいとの思いから、一人で東北に向かったんです。被災者の方々は本当に親切で、突然訪れた僕にも丁寧に話をしてくださいました。そしてこんなことを言っていたんです。「興味本位のヤジ馬でも大歓迎ですよ。私たちはできるだけ多くの人にこの被災地に来てほしいんです。そして、ここで起こったことを、この光景を目に焼き付けていってほしいんです」と。それを聞いて、僕はこの大震災を漫画という形で記録することに大きな意義があるんじゃないかと強く感じて、この仕事を引き受けることにしたんです。作品が出版された後に、三陸鉄道の方々から御礼の文面が届いて、そこには社長をはじめ登場いただいた社員の方々がこの作品を読んで涙を流してくださったとあったんです。それを見て、この作品を描いて本当に良かったと心から思いました。

(2012年8月11日発行 日本福祉大学同窓会会報109号より転載)

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