#65 親と子、教員と子どもの相互交流への働きかけ
人と人の関係性を科学し、
親と子ども、教員と子どもの関係を改善していく。

看護学部 看護学科
古澤亜矢子 教授
古澤亜矢子教授は、「人と人の関係性を科学する」という大きな枠組みのなかで、PCIT(親子相互交流療法)に着目して研究を推進。PCIT認定セラピストとして活動しているほか、TCIT(教員と子どもの相互交流トレーニング)へと研究のテーマを広げています。古澤先生にこれらの内容や目的について話を聞きました。
社会課題
親子の関係性が注目される背景にある、
さまざまな社会問題。
親子の関係性を改善させる上で有効なPCIT(親子相互交流療法)が、本格的に日本に導入されたのは、任意団体PCIT-Japanが設立された2011年。以来、PCITの実践は全国各地へ急速に広がってきました。
日本でPCITが注目されるようになったのは、親子の関係性に関わるさまざまな社会問題があります。大きな問題としては、少子化、核家族化の進行、そして近隣関係の希薄化です。子どもを支える地域ネットワークが弱体化するなかで、育児の負担は家族だけに任されるようになりました。以前より男性の育児参加は増加してきているものの、子育て期は仕事が忙しく時間をとられる時期と重なってしまいます。キャリア形成・維持という視点においては女性にも同じことが言えますが、まだまだ育児の負担は母親に重くのしかかる現状があり、「ワンオペ育児」という言葉もよく耳にします。
このような厳しい環境のなかで、子育てに自信をなくしたり、イライラする母親も増え、孤独に子育てに奮闘する母親を支援する必要性が指摘されています。一方、子どもにとっても、児童虐待やネグレクト(育児放棄)など深刻な社会問題も生まれています。これらの問題を未然に防ぐ手法として、PCITの普及に期待が高まっています。
INTERVIEW
人間関係におけるメンタルヘルスの問題を予防したい。
最初に、人と人の関係性について研究するようになった経緯を教えてください。
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古澤
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私はもともと精神科の看護師をしながら大学院に進学し、精神看護学について学んでいました。そのなかで、患者さんと看護師の関係や職場の人間関係に関心を持ち、メンタルヘルスの課題を抱えた人たちの事例を研究していました。たとえば、ある看護師とは穏やかに接する患者さんが、別の看護師と関わると攻撃的になったりすることがあって、それはどうしてなのかと思い、最初の研究論文を書きました。その後、患者さんと家族の関係へと視野を広げるようになり、大学院の博士課程では、小児看護学、家族看護学についても学びました。患者さんと家族の関係に着目したのは、看護師として働いていたときの経験がベースになります。私が働いていた精神科では、入院治療を終えた後、お家に帰れる患者さんと帰れない患者さんがいました。その背景には家族の関係性があって、幼い頃のいい思い出のある患者さんはどんなに症状が重くても退院して帰ることができます。子どもの頃からの人間関係、とくに家族の関係性を保つことが重要だと考えました。
そうした関心が、PCITへつながっていくのですね。
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古澤
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はい。研究のなかで、メンタルヘルスの課題を抱える前になんとか予防できないかと思い、問題の大元を辿ると幼少期の家族との関係が大きく影響するのだという考えに至りました。家族は小さな社会であり、その関係がしっかりしていれば、大人になっても社会とつながるベースが保たれると思います。PCITは幼少期から取り組める手法ですし、そこで親子の関係性を改善することによって、将来起こるかもしれないメンタルヘルスの問題も予防できるのではないかと考えました。

親子関係のストレスを軽減するPCIT(親子相互交流療法)。
PCITについて簡単に教えていただけますか。
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古澤
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PCITは子どもの心や行動の問題、育児に悩む親(養育者)に対して実施する、遊戯療法(プレイセラピー)と行動科学に基づいた行動療法とトレーニングです。親子の相互交流を深め、その質を高めることによって、回復に向かうよう働きかけるもので、もともとフロリダ大学で考案されました。親子関係というと、どうしてもお母さんに問題がある、あるいは子どもの特性が問題だということになりますが、そうではなく、お互いの関係性を見直すことでストレスを軽減していきましょう、という考えがベースにあります。

PCITの対象となるのはどんな人ですか。
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古澤
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子どもは2歳から7歳(7歳以後の年齢については、現在研究中)ぐらいが適用範囲になります。障害児のお子さん、双子のお子さんなどが多く、問題行動としては、すぐにかんしゃくを起こす、落ち着きがない、乱暴や暴言がある、すぐに泣く…などがあります。一方、親の方は、育児に自信がない、つい叩いてしまう、怒鳴ってしまう、子どもに関心がもてない…などの問題を抱えた方です。親御さん以外に、里親、児童養護施設の職員でもいいですし、今後は、貧困層で社会的支援につながっていない家庭の親子、LGBQT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルなどの性的少数者)のカップルの家族にも広げていきたいと考えています。
PCITを行うと、どんな効果が得られるのでしょうか。
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古澤
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PCITを行うと、難しい子どもをしつけられるようになると思われがちですが、しつけというのは、今の若い人の感覚には合わないと思います。PCITは単なるしつけでも、親の教育でもなく、親御さんに子どもに対してのリーダーシップのとりかたを学んでいただくことが目的になります。親御さんが適切なリーダーシップをとることによって、親子の温かい関係が深まり、お互いに良い方向へ向かっていきます。具体的な治療効果については、アメリカで多くの研究が行われていてエビデンス(この治療法が良いといえる根拠)が確立されています。たとえば、子どもの問題行動の減少、虐待の再発防止なども実証されています。こうしたエビデンスに基づく療法であることも、PCITの大きな特徴だと思います。
教育現場で行われる、TCIT(教員と子どもの相互交流トレーニング)。
PCITから、TCITへ関心を広げるようになったのはどうしてですか。
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古澤
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それまでPCITを用いて親御さんにトレーニングをしてもらい、行動の変化を促すことに必死になっていましたが、それでは親御さんに負担を与えていたかもしれないと気づいたんです。もっと社会も一緒になって、子どもと良い関係をもち、関わることができないかと考えていたときにTCIT(教員と子どもの相互交流トレーニング)と出会いました。これも米国の大学等で考案されたもので、幼稚園、保育園、小学校などの教員を対象に実施します。PCITと同じように、先生と子どもの関係性から子どもの良い行動を増やしていきます。
TCITを行うと、どのような効果が得られるでしょうか。
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古澤
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私たちの研究結果によると、たとえば小学生のクラスで、以前は授業中に椅子から立ち上がることが多かった子どもがしっかり着席できるようになり、先生に体を向けて集中して話が聞けるようになりました。さらに、そういった行動について先生から丁寧に褒められることにより、自信がついて、自分の気持ちを言葉で表現できる姿も見られるようになりました。このように子どもの問題行動が減り、教員の困り感も軽減させる効果があります。

トレーニングの効果を高める、ライブ・コーチング。
PCIT、TCITは実際、どのように行うものですか。
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古澤
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どちらも、お話を聞いてカウンセリングするのではなく、ライブでコーチング、指導するところに特徴があります。たとえばPCITでは、遊ぶ部屋に親と子どもが入り、その様子を撮影していきます。セラピストは離れた場所からその動画を観て、インカム(イヤフォンとマイクを使って会話ができる通信システム)で親御さんと連絡を取り合います。親子の様子を観ながら、「こういうふうに伝えてください」「今すごくいいところまで来ていますよ」などと、リアルタイムで直接指導することで効果的に学んでいただくことができます。最終的にはお家でもできるように、家庭でもトレーニングを続けていきます。

最後に、看護師にとって、PCITやTCITの知識はどのように役立つのでしょうか。
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古澤
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看護は、今のところ、看護の役割を規定している法律と医療の診療報酬の枠組みのなかで必要とされる専門職ですから、PCITやTCITは実際の看護の仕事に直接は結びつかないこともあるかと思います。ただ、看護の本質から考えると、看護は患者さんに癒しを提供したり、長期療養している患者さんや家族を支えたり、患者さんの生活の質を高めるところでこそ専門性を発揮するものだと思います。そういう意味で、親子の関係性、人と人の間にあるメンタルヘルスの問題について知識を得ることはとても意義があると考えています。現在、看護師の活躍ステージは医療分野だけでなく、福祉分野まで広がってきており、今後はより自立した専門職として活躍していくことも想定されます。そうなったとき、こうした社会問題の解決法に取り組む仕事も、看護師の役割の一つになっていくことも期待できます。そんな看護の未来も見据えながら、これからも人と人の関係性について研究を深めていきたいと思います。
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