#64 アートとふくし
アートを媒体にして
一人ひとりの幸せを実現する。
PICFA(ピクファ)施設長
(2000年3月 日本福祉大学 社会福祉学部 社会福祉学科卒業)
原田 啓之 さん
日本福祉大学卒業生である原田さん。2017年7月、医療法人清明会きやま鹿毛医院内にPICFA(ピクファ※)を設立。福祉と医療のマッチング、福祉と創作活動、社会とのつながりを独自の発想で推し進めています。原田さんに、アートを通じて、障害者と社会をつなげる取り組みについて話を聞きました。
※PICFA(ピクファ)は、PICTURE(絵画)+WELFARE(福祉)からとった造語で、アートと福祉の両方を追い求めるという意味が込められています。
社会課題
先入観を捨てて、障害者の創作活動を評価する重要性。
近年、障害者の芸術活動の機運が高まっています。厚生労働省では2017年度から、障害者の芸術文化活動に対して、より身近な拠点で支援が受けられるよう障害者芸術文化活動支援センターの設置をスタート。2018年には、障害のある人が文化芸術(音楽、映画、絵など)を鑑賞・参加・創造するための環境整備や、そのための支援を促進することを目的として「障害者による文化芸術活動推進に関する法律」が成立しました。
障害者にとってさまざまな創作活動は、社会参加を促す手段となります。障害者は作品を通して、自己表現の機会を得、地域の人々や社会と関わりをもちながら社会的存在になっていきます。同時に、障害者は創作活動の対価として収入を得て、生きる力を養うこともできます。ここで重要なポイントとして、原田さんは「ハンディキャップをもつからこそ独創的な表現ができる、といった先入観をもったり、障害者が描いた作品だから素晴らしい、と決めつけないことです」だと指摘します。障害者という理由で優先することなく、一つのアート作品として評価し、仕事としての価値を認めていくこと。そこから、真の意味での障害者の自立や社会進出が進んでいくのではないでしょうか。
INTERVIEW
福祉の概念を変えたいという強い思いで、福祉の道へ。
最初に、福祉の道へ進んだ経緯について教えていただけますか。
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原田
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私には知的障害のある兄がいて、幼少期からさまざまなボランティア活動に参加していました。そのなかで、幼いながら「福祉とは何か?」「幸せとは?」「家族の想いとは?」といったことに思いを巡らすようになりました。その後、高校生になって進路を決めることになり、やはり兄のことが頭に浮かび、福祉を学ぼうと決意しました。日頃から兄の生活を見て、どうして障害者は安い工賃でしか働けないのかと疑問を抱いていたので、そんな福祉の概念を変えたいと強く思って、西日本短期大学から日本福祉大学へ進みました。
大学卒業後の経歴について簡単に教えていただけますか。
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原田
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卒業後は音楽とアートを仕事にする「社会福祉法人JOY明日への息吹」に就職し、障害福祉サービス事業所「JOY倶楽部」の立ち上げに参加。アート部門の現場に入り、生活支援やイベント立案、渉外担当など務めました。そこに2017年3月まで勤めて、一旦区切りをつけ、次の道を模索していました。福祉と創作活動、社会とのつながりを独自の発想で推し進めたいと考えていたんです。そんなとき、医療法人清明会から打診を受け、2017年、きやま鹿毛医院内に「PICFA(ピクファ)」を設立しました。
アートとの出会いは「好きなことなら集中できる」という発見。
そもそもアートと福祉を結びつけようという発想はどこから生まれたんですか。
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原田
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学生時代に障害のある子どもたちの療育を行う場でアルバイトをしていました。そこで、自閉症の子どもに出会ったんです。その子は多動性障害があり、同じ場所に1分と座っていられません。あるとき、その子が「トランプをつくる」と言うので、紙と書くものを用意して自由に描いてもらうと、あっという間に30分経ちました。「まだやる」と言うので、続けてもらい、結局2時間も夢中になって絵を描いて、紙を切って、全部ジョーカーの絵が描かれたトランプを完成させました。それから「トランプで遊ぶ」というので、一緒にババ抜きをしました。同じ絵を2枚ずつ組み合わせていくので、すぐ終わってしまうのですが、自分のつくったトランプが余程うれしかったんでしょう。何度も繰り返して、結局30分も夢中になって遊びました。何かをつくったり、壊したり、自分の好きなことならこんなに集中できるんだ、という大きな発見でした。それから、障害種別に関係なく障害のある子どもたちに創作活動を試したら、みんな集中できるんです。とても驚かされました。
なるほど、好きなことなら夢中になれる、という発見ですね。
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原田
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そうです。たとえば、障害者のための就労継続支援事業所では、パンづくりや箱折りの単純作業など、やれる作業は限られますよね。それに、箱折りなどの単純作業には「こういうふうに折りなさい、角が曲がっちゃだめですよ」などという正解があって、正解に近づけるために、利用者は繰り返し訓練します。ただ、箱折りの好きな人、決まったことじゃないとできない人もいますから、単純作業を否定するつもりはありません。でも、もっと自由度が高くて、本人のやりたいことをすることもできます。これは、重度の方でも取り組みやすい。正解がない活動、それが創作活動なんです。福祉と創作活動をつなげれば、いろんな可能性が広がると考えました。
創作活動は、障害のある人にどんなメリットをもたらすのでしょう。
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原田
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障害のある人は創作活動を通じて、生活する力を培うことができると考えています。たとえば、絵を描いた後、筆やパレットを洗うでしょう。これを練習すると、食後のお箸やお皿をきれいに洗うことが訓練せずとも簡単にできます。さらに、創作活動を通じてさまざまな人々や社会との関係性を育むこともできます。こうした経験を重ねることによって、いわば「親亡き後も生きていく力」を身につけていくことができるのです。実は、障害者の子どもをもつ保護者の方にとって、自分が死んだ後に子どもがちゃんと生きていけるかどうかは大きな心配ごとです。そんな保護者の方に安心して子どもを残して旅立ってほしい、というのは私の変わらない目標でもあります。
PICFA(ピクファ)は、創作活動を仕事に、生きる方向を見つける場所。
PICFAとはどんな場所か、簡単に教えていただけますか。
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原田
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PICFAは、障害者就労支援B型事業所という施設形態で、きやま鹿毛医院の1階にあります。ここでは知的障害や自閉症、ダウン症など障害のある人たちが、アート作品の創作活動を仕事としています。具体的には、絵画やデザイン、オレジナルグッズ制作、イベントの企画・実施などの活動を行っています。官公庁や企業とのタイアップも多く、こうして得た収入は、メンバー(利用者)の工賃になります。
企業からのオーダーも多いんですか。
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原田
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そうですね。企業からオーダーをいただいた場合、メンバーに企画会議に参加してもらうこともあります。とはいっても、相手のオーダーをメンバーはなかなか理解することはできない。そこで私の方から、「メンバーがその場の空気感を感じ取ってつくる作品で良しとしませんか」と企業サイドに提案し、「それで行きましょう」ということになると、突拍子もないものができるんです。その突拍子もないものを、商品の印刷物に当てはめると、本当に今までにないものが生まれます。その企業とPICFAにしかできないもの、その企業の担当者とメンバーにしかつくれないものが生まれるところが素晴らしいと感じています。
メンバーの方にとって、そして、原田さんにとって、アートはどんな役割を果たしているのでしょうか。
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原田
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アートは媒体であり、手段だと考えています。アートを媒体にして、彼らが幸せになる、生きる方向を見つけていく、その術を学ぶ、というのが、PICFAのめざすところです。また、ここでいう幸せは、個人個人違いますから、健常者側から押しつけないことが大事だと思っています。主体はあくまで本人なんです。彼らのもっている価値観と僕たちの価値観を交換しながら、本人の望むものが叶うような道を模索していくような感じですね。本人が自己決定できる環境や選択肢をたくさん準備すること、それが生活支援員、そして福祉の現場のやらなくてはならいことだと思っています。
文化を築き、社会福祉施設を、地域の資産にしたい。
PICFAをこれからどんな場所に育てていきたいとお考えですか。
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原田
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少し大きな言い方をすると、文化(価値観や行動様式)を構築したいと考えています。というのも、福祉施設はたいてい、歴史はあるところでも文化がないんです。企業であれば理念があって、毎年の方針が必ずあって、社長が交代しても企業文化は受け継がれていきますよね。同じように、PICFAも今後地域の人たちといろんなことをしながら、この地域にPICFAの文化の骨組みをつくっていきたいと思います。
文化を育てるために、どんな活動を展開されていますか。
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原田
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PICFAでは、各地で展覧会やライブアート、ワークショップなどのイベントを行っています。それらの活動は「絵を見てください、すごいでしょう」というアピールではなく、「今、PICFAはこんな感じで動いていて、こんな見せ方をしていますよ」という姿勢とか、文化を感じていただくことが目標です。だから、子どもから大人まで、たくさんの方々に遊びに来ていただけます。PICFAというこの施設も、カフェやギャラリーをつくるなどして、もっと人が気軽に集まるコミュニティの場所にしていきたいですね。私の最終構想は「公民館」です。「集まれる、遊べる、相談できる、会議の場所として使える」。この病院の1階スペースを、そんな町の公民館にしてしまおうと計画しています。
それは実に楽しそうな計画ですね。
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原田
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ええ。ここに来れば、問題が解決するとか、PICFAを使えばうまくいくよね、という場所になりたいですね。福祉施設というと、社会や地域のお荷物というイメージをもたれた時期もありましたが、そうではなくて、地域の資産になる場所にしたいんです。そして、私たちがその先に見つめているのは、メンバーもスタッフも幸せになれる未来です。福祉という言葉は障害者や高齢者のためにあるように捉えられますが、調べてみると「すべての人がもっている幸せの権利」という意味なんですね。幸せって何だろう、ということを追求していくことが福祉であり、私たちは、アートを媒体にして一人ひとりの幸せを実現していこうと思います。
医療法人清明会のチャレンジ
佐賀県東部地区において約400年の歴史を刻んできた医療法人清明会。日本の医療界で初めての試みとして、院内に障がい福祉サービス事業所を開設し、アートを通じて訪れた地域の人々に笑顔や元気を与えています。
江戸時代中期から、佐賀県東部地区の地域医療に貢献。
医療法人清明会の歴史は古く、江戸時代にさかのぼります。前身の鹿毛病院が江戸時代中期、対馬藩典医として開業し、以来約400年間にわたり、佐賀県東部地区の地域医療に貢献してきました。1979年6月、法人組織に改組し、医療法人清明会としての歩みをスタート。地域に必要とされる医療を提供するために、救急・急性期から回復期、慢性期、生活期に至る幅広いステージで、医療を提供する体制を構築。現在は「やよいがおか鹿毛病院」を中心に、内科・透析治療を担う「きやま鹿毛医院」、外来の「鹿毛診療所」、訪問看護ステーションまでを擁する一大グループに発展しています。
障害者アートとの出会いは、約15年前。PICFAの代表である原田啓之氏から「障害をもつ人がアート制作を通じて、安定して工賃を得られるようにできないだろうか」という相談を受け、アート作品のレンタルを提案。3カ月ごとに、院内の健康相談室(現・健診センター)に新しい絵画作品を飾り、代価を支払う仕組みを導入しました。それ以来、障害者のエネルギッシュなアートは院内をひときわ明るく彩り、健診を受けにきた人に元気と笑顔を与える大切な要素になってきました。
障害者の創作活動と、地域住民とのふれあいを支援していく。
絵画作品のレンタルの実績を踏まえ、2017年、きやま鹿毛医院に開設されたのが、障害者就労支援B型事業所「PICFA」です。院内を歩くと、事業所内はもちろん廊下までたくさんのアートが飾られ、ドアも斬新なデザインで塗り替えられています。これらのインテリアはすべて、PICFAのメンバーに任されているとのこと。この刺激的な空間で、メンバーたちは、思い思いにアートの制作活動にいそしんでいます。
医院を訪れた人々は、治療の帰りにそれらの作品を眺めたり、メンバーと一緒にものづくりを楽しんだりしています。医療において最も大切なことは、患者との信頼関係を築くことですが、同法人では地域住民とのコミュニケーションを深める上で、PICFAが欠かせない存在になっているといいます。
同法人ではこれからも、PICFAの自由な創作活動を支援し、アートを通じて地域の人々とより良い関係を深めていきたい考えです。同時に、時代とともに変わる医療ニーズに応え、必要な医療を提供しながら、地域の人々にとってなくてはならない医療法人として歩んでいこうとしています。
- 社会福祉学部
- 文化・スポーツ