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#33 看取りケア

人生のフィナーレをどう演出したいか。
最期の過ごし方を気楽に
語り合える文化を育てたい。

福祉経営学部 医療・福祉マネジメント学科

杉本 浩章 教授

杉本浩章教授の研究分野は、医療・福祉マネジメント。終末期ケア、ソーシャルワーカー養成教育などをキーワードに、終末期ケアの質をどう高めていくかという研究に取り組んでいます。先生に、看取りの課題や展望について話を聞きました。

社会課題

多死社会における終末期ケアの格差。

 団塊世代がすべて後期高齢者となる2025年以降、日本では多死社会が進み、2040年には年間死亡者数が最大になるといわれています。そのとき、看取りの質をどのように保つことができるかが社会問題になっていきます。

 杉本浩章教授らが2011年に発表した論文「世帯の経済水準による終末期ケア格差(※)」によると、経済水準の低い層は高い層に比べ、介護力が劣り、やむを得ない理由から在宅療養を開始した割合が高く、自宅で看取る意思表示が少ないことがわかりました。また、経済水準の低い層はより多くの福祉サービスを利用しながら、介護力不足を理由に入院・入所する割合が高く、介護者の介護継続意思には揺らぎが多くみられました。さらに死亡場所についてみると、経済水準が「普通」以上の世帯は自宅での看取りが多く、「低い」世帯(生活保護世帯相当)では医療機関での看取りが多いことがわかりました。看取りの質について担当看護師が推定した「家族の満足度」においても、経済水準が高い層ほど満足度が高く、経済水準の低い層ほど終末期における環境は困難で質が低いという格差が1999年当時存在した可能性が示されました。この「終末期ケア格差」あるいは「看取り格差」は、介護保険制度が定着した今日でも存在するとみています。

 こうした格差は社会資源を活用するだけでは埋めきれないものであり、社会保障制度の一層の拡充が求められます。同時に、終末期ケアを担う専門職には、看取りの質の格差を認識した上でより丁寧なケアマネジメントを実践していくことが求められています。

※社会福祉学 第52巻第1号2011「世帯の経済水準による終末期ケア格差 : 在宅療養高齢者を対象とした全国調査から」

INTERVIEW

どこで亡くなるか、よりも、どんな最期を迎えるか。

最初に、看取りケアと終末期ケアの言葉の使い分けについて教えていただけますか。

杉本

両者の言葉にはとくに違いはありませんが、介護の分野でよく使われるのは、看取りケアになりますね。本来の意味からすると、エンド・オブ・ライフ(終末期)ケアの延長線上に看取りケアがあると思います。したがってエンド・オブ・ライフの質を高めれば、看取りの質も上がります。多死社会を迎え、今後たくさんの人が亡くなっていくわけですから、看取りケアはますます重要な課題になっていくと思います。

多死社会になると病院がキャパオーバーになるため、その受け皿として在宅での看取りが注目されています。

杉本

多くの方が在宅での看取りを希望しているのであればいいんですけど、そうとばかりは言えないように思います。看取り難民を防ぐことは大切ですが、価値観は人それぞれで、とくに生きる・死ぬの価値判断は、何が正解かわかりません。たとえば、痛みがあっても在宅がいいという人もいれば、痛みがなくても病院がいい、という人もいるわけです。私自身は「どこで亡くなるか」ということはあまり気にしていなくて、「どういう最期を迎えられるか」ということが大事だと考えています。以前行った研究でも「亡くなる場所は看取りの質に影響を与えない」という結果がでています。月並みな言い方をすれば、その人の尊厳が保たれて、本人が本当に望んでいることを実現することが理想です。では、本人は何を望むかというと、意識調査では「家族に迷惑をかけたくない」というのが一番にでてきます。その思いをどう捉えるかというのは、非常に難しいところではありますね。

看取りケアにおけるソーシャルワーカーの役割。

看取りの質を高めるには、どうすればいいとお考えですか。

杉本

お世話になった先生が生前、よくこんなことをおっしゃっていました。「看取りの質を考えるのであれば、人生のフィナーレをどう飾るのか、演出するのかを考えなさい。最後の幕が閉じるまで、どんな舞台を演出していけばいいのかというところに着目しなさい」と。終末期には医療ももちろん絶対的に大事なんですが、そこだけに集約してしまうと、その人がその人らしく人生を演じ切るように支えることはできないと思います。

なるほど、医療ではどうしても疼痛コントロールなどが中心になり、その人らしさまで考える余裕がなくなりそうです。

杉本

在宅での終末期ケアでは、訪問看護師さんの役割が大きいわけですが、医療職だけでなく、福祉側の専門職としてソーシャルワーカーも早い段階から関わると、看取りケアのあり方が変わるのではないかと考えています。たとえば、社会課題のコラムにも記載されている通り、多死社会を迎え、看取りの格差が問題視されることになるだろうと考えています。所得の格差が看取りの質に影響を及ぼしているのであれば、そこを縮小しないといけない。ソーシャルワーカーであれば、そういう視点から地域の社会資源の活用にウエイトを置いたケアマネジメントができるのではないかと思います。また、政策や社会に働きかけるのもソーシャルワーカーの大切な役割です。病気になっても今住んでいる地域で生活を続けられて、最期を迎えられるような地域社会をつくること。在宅での看取りが絶対にいいというわけではないけれど、それを希望するなら、実現できるような社会を構築していくには、ソーシャルワーカーの力が必要になると思います。いずれにしても、これからどんどん看取りが増えていくなかで、どのような形で医療と福祉の連携チームを組んで、どんな役割分担をしていくか、考えていかなくてはならないと思います。

広義のACP(人生会議)を行うことが大切。

近年、医療の現場ではACP(人生会議※)の取り組みも活発化してきました。ACPも看取りの質に影響を与えますか。

杉本

ACPについてはとても関心がありますし、私自身もACPの取り組みに関わっています。ただ、そこで問題になるのは、本人が語りたいことと専門職が聞きたい内容が必ずしも一致しないところです。たとえば、「人生の最期はどうしたいですか」と聞くと、本人は「家の片づけを死ぬまでにしておかないと」とか、「お墓や相続をどうにかしたい」といったことは一生懸命話そうとします。しかし、専門職が聞きたいのは、そういうことではなく、「最期のケアをどうすればいいですか」ということで。その話になると、本人は黙ってしまい、双方の思いがずれたまま、時間切れになったりします。

最終段階の医療・ケアをどうするか、と言われても、なかなか即答できないように思います。

杉本

そうですね。どちらかといえば専門職が求めているのは狭義のACPですが、より広義のACPとして考えなくては、看取りの質につながりません。個別にAさん、Bさんに聞いてもなかなか答えてくれないのであれば、語りたくなるような、語れるような環境というか、文化をどうやったらつくれるか、というところへシフトすべきだと思います。そして、そこにソーシャルワーカーが積極的に関わることによって、何か打開策を見つけることはできないだろうかと考えています。

※ACPとはAdvance Care Planning(アドバンス・ケア・プランニング)の略称。人生の最終段階における医療・ケアについて、本人と医療・ケアチーム、家族が繰り返し話し合う取り組みのこと。「人生会議」の愛称でも知られています。

人生の最期を気楽に話せる文化を育てるために。

人生の最期を語りたくなる環境づくりは、どうすれば実現するとお考えですか。

杉本

おそらく多くの方は医療の知識もあまりないので、自分の最期についてしっかり説明することもできないし、現実感もあまりないと思います。しかも、家族に迷惑をかけたくないという思いがあるので、「こんなことを言えば、家族に迷惑をかけるのではないか」と言い出せないことも往々にしてあるんじゃないでしょうか。そこで今、ちょっと始めているのが、ソーシャルワークとソーシャルデザインを融合させる取り組みです。たとえば、子どもたちがアンパンマンを見て元気になるように、何かデザインの仕掛けがあれば、人生の最期についてもっと気楽に話せるのではないかと。看取りケアを考える多職種連携の枠組みに、デザイナーに入ってもらって検討を始めています。

それは、これまでにない新しい発想の取り組みですね。

杉本

そう思います。参加してくれているのは、死や生にまつわるさまざまな課題に取り組んでいる「さだまらないオバケ」というデザイナーのユニットなんですが、彼らと一緒に、誰でも人生の最期について語りたくなるようなACPのツールづくりを進めているところです。どうしても専門職がつくると、ほしい情報を聞き出すためのチェックリストになりがちです。そうではなくて、もう一回原点に戻って、本人が人生の最期のひとときをどんなふうに過ごしていきたいか、どんな最期を迎えたいか、ということを語れるツールにしたいと考えています。看取りについては、医療・福祉職の人からしても「聞いていいのかな」という戸惑いがありますし、聞かれる側も「そんなことを急に聞かれても」というのがあります。そのギャップをデザインの力で埋めることができれば、いいなあと。本当の意味で役に立つACPツールをつくることができるのではないかと期待しています。

さだまらないオバケのチャレンジ

「さだまらないオバケ」は、死や生にまつわるさまざまな課題をデザインのチカラで解決するデス・デザインユニット。死を必要以上に拒むのではなく、亡くなった大切な人のことをいつでも思い、語り合えるような「死のリデザイン」に取り組んでいます。

自分の死、大切な人の死と
向き合うために
デザインができること。

さだまらないオバケ

https://sadamaranai-obake.studio.site

グリーフケアの文化や風土を育てることをめざして。

 デザインユニット「さだまらないオバケ」が誕生したのは、2020年。専門学校である東京デザインプレックス研究所のフューチャーデザインラボの活動で、グリーフケアに着目したのがきっかけでした。グリーフケアとは、死別や喪失を経験した人の悲しみに寄り添い、立ち直れるよう支えること。人は生きていれば必ず、大切な人との死別を経験します。そこで、個々に死別の悲しみと向き合うための「ひきだしノート」と、対話を通じて喪失感を乗り越えていく「ひきだしカードゲーム ソラがハレるまで」という商品を開発。クラウドファンディングを利用して、事業化を実現することができました。

 現在、さだまらないオバケは、エンディング企業とのコラボレーションによる商品化(体験型のKUMOMONAKA:雲もなか)やSPツールの制作、死生観をテーマにした絵本など、さまざまなプロジェクトに挑戦しています。メンバーが志向するのは、単なる商品づくりではありません。コロナ禍を経て、葬儀の縮小化が進み、若い世代にとって死や弔いは遠い存在になりつつあります。一方、多死社会を迎え、今後、人の死は確実に増えていきます。そうしたなかで、これから先、誰もが死別を乗り越えてポジティブになれるようなグリーフケアの文化や風土を育てていきたいと考えています。

生と死について、もっとカジュアルに話せる環境づくり。

 さだまらないオバケは新しい弔いのカタチを提案する一方、死への向き合い方を考えるイベントにも力を入れています。それが「デス・スナック」です。参加者たちは「さんずの川」と書かれたフロアマットをわたり、会場内へ。全員、天使の輪を頭につけて、アルコールドリンク片手に、「明日で人生が最後なら、何をする?」「自分のお葬式で流したい曲は?」といったことを楽しく話し合い、死について考えを膨らませています。さらに、その延長線上として、力を入れているのが、エンドオブライフケアのデザインです。日本福祉大学の杉本教授らと共に研究会を立ち上げ、デザインの力でACP(人生会議)の話し合いを活性化させるための活動をスタート。死に対する恐怖心や不謹慎なイメージをポップなデザインで払拭するような仕掛けを模索しています。

 さだまらないオバケは、その名の通り、生と死に関するさだまらない思いを受け止めつつ、ユニット自身も活動をさだめることなく自由な進化をめざしています。オバケのようにユーモラスで少し摩訶不思議なデザインユニットとして、これからも新しい発想で死のリデザインに取り組んでいきます。

グッドデザイン賞2023受賞
「一般向け取り組み・活動」の審査部門において、
「死への向き合い方をリデザインする活動」として受賞しました。

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