#22 脊髄損傷者のリハビリテーションと社会参加
脊髄損傷者の生活を支えるために、
どんなサポートが必要だろうか。
健康科学部 リハビリテーション学科
山中 武彦 教授
作業療法士として病院に勤務した経験をもち、リハビリテーション科学・福祉工学を研究分野とする、山中武彦教授。「脊髄損傷者の社会生活と生活機能」を研究テーマとして知見を深めています。山中先生に、脊髄損傷者のリハビリテーションや社会参加について話を聞きました。
社会課題
脊髄損傷者の社会復帰の難しさ。
脊髄損傷は、脊椎の脱臼や骨折によって脊髄が圧迫されることによって起こります。日本では、年間で約5000人の脊髄損傷患者が発生。発症は20歳代と60歳代に多く、損傷部位は頚髄60%、胸腰髄40%です(日本脊髄外科学会より)。とくには頚椎部の脊髄損傷は、より深刻な後遺症を残します。脳からの命令が届かないため運動機能や感覚知覚機能が失われ、首から下は「動かない、感じない」という状態となります。
このように重度の障害が残った場合、新たな生活動作を獲得するには長期間のリハビリテーションが必要です。しかし、日本の医療政策では、国民の医療費を抑制するために、すべての疾患に対して入院期間を短縮する方向へと進んでいます。また、脊髄損傷者の社会復帰を実現するには、入院治療から生活復帰、復学・復職支援までの道のりを一貫して支援することが重要ですが、現実には、ステージを進むごとに提供される医療・介護サービスの断層があり、途切れなく円滑に支援できているとは言い難いのが現状です。
一人でも多くの脊髄損傷者の社会復帰を実現するには、退院後もリハビリテーションを続けられる環境を整え、就労支援の仕組みを構築することが求められています。
INTERVIEW
長期間のリハビリテーションが必要な脊髄損傷。
最初に、脊髄の役割について簡単に教えていただけますか。
-
山中
-
脊髄は脳から背骨の中を通って伸びている太い神経を指します。中枢神経を構成する脊髄は、脳からの指令を体の各部分、末梢の器官に伝える伝道路の役割を果たしています。その脊髄が損傷してしまうと、手足を動かそうとしても動かない、触っても感じないということになり、重篤な肢体不自由状態に陥ります。医療分野では、神経細胞をよみがえらせる再生医療の研究が進んでいますが、今のところ、損傷した神経の再生は難しいですから、脊髄を損傷すると恒久的に麻痺が残ることになります。
脊髄損傷の原因は何が多いですか。
-
山中
-
重篤な症状に多いのは、交通事故、転落、転倒などの外傷です。若い人ではスポーツ外傷も多く、若いうちから四肢が不自由な生活を余儀なくされるケースも多く見られます。10代、20代の頃はこれから社会に参加し、自分の家族をつくっていくという段階であり、提供すべきリハビリテーションのテーマも高齢者の場合とは異なってきます。
脊髄損傷者のリハビリテーションの現状や課題について教えてください。
-
山中
-
頚部を損傷された場合、手も足ももちろん、体感も全部麻痺がきますので、食事するに服を着替えるにしても、生活の様式全部を変えなくてはならなくなります。それを獲得するには、1年半から2年くらいかかるというのが定説なんですね。しかし、90年代以降、社会保障費抑制という流れのなかで、脊髄損傷者を取り巻く医療・福祉の環境がだんだん縮小化してきました。リハビリテーションに時間を要する疾患にも関わらず、その他の疾患と同じように早期退院を余儀なくされるようになってきたのです。そのため、社会参加や生活能力の獲得というところまで至らずに、退院せざるを得ない方がたくさんいらっしゃるのが実情です。
本人がやりたい生活行為を実現していく。
入院期間が短縮されるなかで、どのようなリハビリテーションが求められているのでしょうか。
-
山中
-
入院中だけでなく、退院した後も今まで病棟でやっていたリハビリテーションを、生活の場で展開していくことが必要です。病院内で行う食事や着替えの練習は、比較的広さに余裕のある病棟の環境で行いますが、同じことを車いすも自由に動かせないような狭い家で行う場合、新たな課題が見えてきます。そうした課題を一つひとつ解消しながら、継続的にリハビリテーションを続けて新たな日常生活動作を獲得していくことが重要です。
生活の場で行うリハビリテーションで大切なことは何でしょうか。
-
山中
-
ご本人がやりたいことの優先順位を尊重することだと思います。たとえば、40分かけて服の着替えを練習するようも、パソコンを操作してコミュニケーションが取れるようになりたい、など、その人が優先したい生活行為はそれぞれ違います。最初にそれを確認した上で、その生活行為を実現するにはどういう身体機能を獲得していく必要があるか、そのためにどんなリハビリテーションのプログラムを構築していくべきか、ということを組み立てることが非常に大切だと思います。
病院ではどうしても画一的なリハビリテーションプログラムになりがちですが、生活の場ではご本人が主体になるということですね。
-
山中
-
そうですね。もちろん、回復期リハビリテーション病院の中には、入院中から退院後の生活に焦点を当てて、ご本人がやりたい生活行為の実現に集中的に介入しているところもたくさんあると思います。ただ、入院中はどうしても生活動作のベーシックなところに時間を費やすことが多くなってしまいます。その点、退院後はご本人を主体にして合理的にお手伝いしていくことができると思います。
先ほど脊髄損傷は治るのが難しいというお話でしたが、リハビリテーションによって身体機能は改善していきますか。
-
山中
-
麻痺の障害はなかなか改善しにくく、時間が経つとさらに改善は難しくなります。ただ文献によると、1年半以降も改善するという報告もあります。実際に私が生活の場でリハビリテーションに関わった方で、右手の麻痺が強く残り、左手は動く方がいらっしゃいました。車の運転がしたいというニーズがあり、まずは右手を使う訓練を行い、両手を使って身の回りのことをするようにしました。次に車に乗り降りできるように立ち上がり動作の訓練を行い、筋力をつけました。そうすると、だんだん総合的に着替えなども含めて、いろいろなことができるようになり、最終的に車の運転もなんとかできるようになったんです。このように、こっちの能力を鍛えると、別の能力も上がるということがあります。麻痺の状態にもよりますが、リハビリテーションによって、そうした相乗効果も期待できると考えています。
「分身ロボット・カフェ」という勤務先。
リハビリテーションを続けることで、脊髄を損傷した方の社会参加の可能性は拓けていくのでしょうか。
-
山中
-
それはまさに私が今、研究しているテーマです。一つの実例をお話ししますと、私が30年以上前に、作業療法士として出会った患者さんがいらっしゃいます。この方は当時17歳で、事故で頚椎を脱臼骨折し、手足が全く動かなくなりました。退院後はずっと仕事を得ることもなく過ごしていたんですが近年になって、OriHimeという遠隔操作の分身ロボットに出会い、東京日本橋にある「分身ロボット・カフェ」で接客の仕事を得ることができたんです。OriHimeは首と腕、カメラとマイクを搭載していて、離れた場所から遠隔操作できる分身ロボットです。この方の場合、口に操作用のスティックをくわえて端末を操作し、モニターで確認しながら、自分の分身ロボットを動かして、コーヒーを入れたり、接客をしたりしています。また、この方は英語が話せるので、外国人の接客は一手に任されていて、とても活躍していらっしゃいます。
それは素晴らしい事例ですね。
-
山中
-
そうなんです。この事例は非常に恵まれたケースだと思いますが、ご本人と環境因子をマッチングすることで、もっと社会参加の可能性は広がっていくのではないかと考えています。反対に、環境因子のマッチングができていないから社会から孤立していたり、能力が宝の持ち腐れになってしまっている事例もいっぱいあると思うんですね。この分身ロボット・カフェで働いている方も、英語が堪能だったのにそれを活かす場面がずっとありませんでしたから。障害をもつ方の社会参加を促すことは、ある意味、日本の労働生産性の向上にもつながるのではないかと思います。
社会参加のために、大学にできることを。
今後の展望についてお聞かせください。
現在、私の講座では、脊髄損傷により障害をもつ方をゲスト講師としてお招きして、学生たちにリハビリテーションや社会参加について話していただいています。そんなふうに障害をもつ方の力をお借りしているわけですが、それを一歩進めて、たとえば大学の事務的な仕事の一部を担当していただくとか、本学で働く機会を提供していくことができれば理想的だなと考えています。障害を持ちながら生き生きと働く姿は、学生に対して価値あるメッセージを発信することにつながります。将来的には、そういうことも積極的に働きかけていきたいと考えています。
実現すれば、障害者の社会参加という一つのモデルになりますね。
-
山中
-
そう思います。そのほか、学生たちにリアルな現場を体感してもらえるように、ここで紹介している「リライフ」さんのような専門家の方々ともコラボレーションしていきたいと考えています。脊髄を損傷した方にとって、生活を取り戻すリハビリテーションはまだまだ膨大な可能性があります。そうした実際の取り組みをフィールドワークを通じて学生たちと一緒に学び、社会参加の可能性について研究していきたいと思います。
リライフ(NPO法人 リハビリテーションビレッヂ)のチャレンジ
リライフは2016年4月設立。脊髄損傷に特化した、日本初の訪問看護とヘルパーステーションです。重度の障害を抱えながら生きていく人々の生活を24時間365日体制で支えています。
脊髄を損傷した人の在宅生活をサポートしたい。
スポーツ外傷や交通事故などで脊髄(脳からつながる太い神経)を損傷すると、重い場合は手足が動かなくなり、最重度の場合、首から上しか動かせなくなります。そうなると元の体の状態に戻ることは難しく、数カ月にわたって入院し、日常生活をより過ごしやすくするためのリハビリテーションに取り組みます。退院後は入院中に獲得した日常生活動作を使いながら暮らしていくことになりますが、介護する家族の負担は大きく、また、望まない施設入居を強いられる人もいて、それぞれの生活は困難を極めます。
病院の作業療法士として勤務していたリライフの代表は、そうした在宅の現状に問題意識を抱き、「地域に出て、脊髄を損傷した人を支えよう」と決断。名古屋市緑区に訪問看護とヘルパーの日本初のステーション「Re:Lifeリライフ」を開設しました。ここでは、理学療法士、作業療法士、訪問看護師、ヘルパーが常勤・非常勤を合わせて、総勢35名在籍(2023年10月現在)。24時間365日体制で、脊髄を損傷した人の生活支援を行っています。利用者は、家族と暮らしている人もいますが、バリフリー仕様の賃貸住宅で一人暮らしを実現している人もいます。リライフでは「本人がやりたいことができる」環境を整えることを第一に掲げ、近隣の訪問クリニックや訪問歯科クリニックともしっかり連携しながら、それぞれの人生が豊かになるよう支えています。
「週に4~5回、お風呂に入れる」喜び。
リライフのサービスで、利用者に喜ばれていることの一つに、入浴があります。病院や在宅生活では週に2回ほどしか入浴できないことがほとんどですが、リライフでは週4〜5回の入浴サービスを提供。入浴回数が増えることによって、髪を伸ばしたり染めたりすることもできるようになります。考えてみれば、健常者にとって週4〜5回の入浴は当たり前のことです。その当たり前をできるだけ叶えることで、障害者にとっては生活の選択肢が増え、生きる楽しみがどんどん増えていきます。
また、リライフのサービスは利用者の家族からも大変喜ばれています。日本では、家族介護が一般的ですが、24時間365日、終わりのない介護を続けると心身ともに疲れ果ててしまいます。その結果、本人と家族の関係性も悪化し、生活の質も低下していきます。リライフではそうした負の連鎖に陥らないように、利用者の一人暮らしを支援し、家族が介護から解放されるようサポートしています。家族にとって、重度の障害を抱えながらでも一人でたくましく生きる本人の姿を見ることは、「自分が亡くなっても大丈夫」という安心感にもつながっています。
今後のリライフの目標は、同じように脊髄損傷に特化したサービスを全国へ広げ、一人でも多くの脊髄損傷の人と家族を支えていくこと。そのために学会発表に力を入れているほか、施設見学も積極的に受け入れ、多くの人々に独自の運営ノウハウを惜しみなく紹介しています。
- 健康科学部 リハビリテーション学科
- 医療