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#2 交通事故を防ぐための知覚研究

加齢に伴い知覚機能が衰えても
安全に運転できる
環境づくりをめざして。

教育・心理学部 心理学科

中村信次 教授

中村信次教授の専門は、認知科学、実験心理学。大学・大学院で知覚心理学を学んだ後、自動車メーカーで交通事故を防ぐための知覚に関する基礎研究に従事。その経験を踏まえ、運動知覚、空間知覚、自己運動知覚をキーワードに研究に取り組んでいます。

社会課題

高齢運転者の交通事故を防ぐ必要性。

 少子高齢化の進む日本では、高齢運転者(特殊車を含む原付以上を運転している65歳以上の人)が増えています。それに伴い、高齢運転者が第1当事者となる交通事故の発生もメディアでたびたび報道されています。高齢運転者の交通事故発生件数を見ると、2023年は4,819件で、これは交通事故全体の15.4%を占めます。このデータは、5年前の2018年のデータ(高齢運転者による交通事故5,860件/全体の18.0%)に比べると減少していますが、事故件数は2020年(高齢運転者による交通事故4,246件/全体の16.6%)から少しずつ増加傾向にあります(警視庁交通総務課統計より)。

 高齢者の交通事故のうち、高齢運転者(第1当事者)の違反をみると、安全不確認(約37.8%)が最も多くなっています。高齢運転者の場合、加齢に伴う動体視力の衰えや反応時間の遅れなど身体機能の変化により、危険の発見が遅れがちになることがあります。運転に不安のある高齢者に対しては、安全運転を支援するシステムを搭載した車(安全運転サポート車)を利用するよう、官民連携で普及啓発活動が行われています。

参考:警視ホームページ「防ごう!高齢者の交通事故!」
https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/kotsu/jikoboshi/koreisha/koreijiko.html

INTERVIEW

人は自分の体の状況をどう認識しているのか。

最初に、自己運動知覚とはどういうものか教えてください。

中村

自己運動知覚とはその言葉通り、自分の体の動きを知覚する、という意味です。私たち人間は、環境のなかで行動していますが、周囲の環境を認識できないと、自分の存在自体が危うくなります。同時に、自分の体の状態をちゃんと知覚していないと、やはり正しい行動がとれません。たとえば、目の前に崖があるとして、その崖まで何m離れているか認識できたとします。その上で、崖に向かって歩いて何秒後に落ちるかを計算しようとすると、自分の体がどのぐらいのスピードでどういう方向へ運動するのかを正しく認識しないとできません。

なるほど、環境と自分の体の両方を認識しないと、リスクを回避できないのですね。

中村

そうです。私たちの行動というのは、すべて環境と自分との相互関係、相互作用で成り立っています。知覚心理学では環境をどうやって知覚するのかということを主に研究しますが、私はどちらかというと、主体側、自分自身が体の状況をどうやって理解していくのか、体全体がどう動いて知覚されるのかというところを専門に研究しています。たとえば、停車中の電車から動き出した電車を見ると、自分の電車が動いて感じられます。これは「トレインイリュージョン」という現象で、視覚情報に誘導されて自分の体の動きを感じていることを示しています。このように私たちは、視覚や聴覚などいろんな感覚を使って、それらを統合することで自分の体の動きを認識しています。

無意識にリスクを回避する脳の働き。

いろんな感覚を統合しているのは、脳の働きですね。

中村

そうです。人間の脳は無意識のうちに、さまざまな感覚を一瞬で処理しています。だから、なかなかそういった感覚の統合を行っている実感をもちにくいかもしれません。たとえば、目の前に壁があって、自分の運転する車がそこに向かって突っ込んでいくとします。論理的には、脳では壁までの距離と自分の車のスピードを計算して、何秒後にぶつかるから、このタイミングでブレーキを踏まないといけないと計算していると考えられます。しかし、もう一つの考え方として、壁に向かって進んでいくと目の前の壁が拡大していく、その拡大率から、私たちの脳は何秒後にぶつかるか計算して、ブレーキをコントロールしているとも考えられています。

計算というよりも、直感的な認識なのでしょうか。

中村

ええ。いちいち考えていては間に合いませんから、人間は割合と直感的に状況を理解できる能力を備えていて、無意識のうちに車の制御や自分の体の運動をしたりしているようです。野球でもその能力は使われていて、たとえば外野にボールが上がったとき、どこに落ちるかはボールの角度と速度で決まります。でも、それを計算するのではなく、外野手は瞬時にボールの落ちる場所を予測して、そこで構えることができるわけです。

右折直進の事故が多い高齢ドライバー。

先生は、そうした体の動きの知覚についてずっと研究してこられたのですか。

中村

はい。大学の研究室で自己運動知覚の研究に取り組み、環境と人間の相互作用というところが非常に面白いと思って研究を続けてきました。大学院の修了後は自動車会社に就職し、同じテーマで基礎研究に取り組み、交通安全を目的に、車の動きに対する認知について研究しました。ちょうどその頃、大型のドライビングシミュレーターの開発が進められていて、それに関連する基礎研究に取り組みました。シミュレーターの基本は、どんな視覚刺激を与えると、ドライバーが自分の車の動きを正しく理解できるのか、ということになります。そこから逆のアプローチとして、ドライバーが間違いやすい、事故を起こしやすい道路環境も特定できます。死角があったり、対向車が見えにくかったり、周りの手がかりが少なすぎて自分の車のスピードが過少視される場所などですね。たとえば、北海道の見晴らしのいい真っ直ぐな道では、スピード感があまり感じられません。体感では50キロぐらいでも実際は80キロぐらい出てしまうこともあるので、そういったところではポストを置くなど、視覚的な手がかりを配置すると、スピードを認識しやすくなります。ドライバーの知覚の特徴を理解し、その特徴が弱点となるところを道路環境で補っていく、という考え方です。

そういう視点からすると、高齢ドライバーの弱点はどんなところにあるとお考えですか。

中村

いろいろありますが、高齢ドライバーはどうしても反応が遅れがちです。素早くハンドルを切っているつもりでも、切れていない。まだ反応が速かった頃の自分のイメージに引っ張られるのでしょう。そのために多く発生するのが、交差点において右折側が第一当事者となる右折直進の事故です。反対車線の直進車が近づいてきたとき、相手の車の近づいてくるスピードと、自分の車が出しているスピードを理解する、すなわち環境と主体との相互作用を理解することが必要ですが、そのことを正しく理解できず、素早くハンドルを切ることもできないので、接触事故を起こしがちです。

ウェルビーイングの視点から安全運転を考える。

高齢者が安全に運転できる環境をどのようにつくればいいとお考えですか。

中村

自動車会社にいた頃、シミュレーターを使って高齢ドライバーの反応の遅れを調べたことがあります。そのとき、反応が遅れるのは仕方ないので、その遅れを補正するようなワーニング(警告)を出すと、安全に運転できるようになることがわかりました。それをベースにすれば、高齢ドライバー一人ひとりの操舵の遅れを全部計算し、その人に最適なワーニングを出すような車があればいい。実用化は難しいのですが、そのように自分の運転アシストをオーダーメイドで設計された車があれば理想ですね。

高齢ドライバーの弱点を理解してサポートする、という考えですね。

中村

はい。ドライバーの特性を理解することが交通安全の原理だと考えています。考えてみますと、自動車の運転自体は相当危険な、人間にとって不自然な行動です。その不自然なことを社会的に成り立たせているのはドライバーが頑張っているからなんですね。ところが、その頑張っているドライバーが高齢化によって機能低下が起きている。だからこそ、その機能低下を理解してサポートするような環境整備が必要なんだと思います。

その方法の一つが、自動運転になるのでしょうか。

中村

そうですね。これほど危険な自動車の運転をこのまま人間に委ねるという社会的な需要がこの先あるとは思えないので、ゆくゆくは自動運転に切り替わっていくのではないでしょうか。ただ、高齢者のウェルビーイング(身体的、精神的、社会的に満たされた状態)を確保しようとするとき、自分が望むときに望む方法で望むところに行けるという、移動の自由はものすごく大きなファクターになると思います。それを維持するには、高齢になっても自分で運転したい人は自分で運転できるような環境にすることが大切だと思います。

移動の自由を確保することは、高齢者を引きこもりにさせない上でも重要ですね。

中村

そう思います。高齢者でも、海を見たいと思ったら、車で30分くらい運転して海を見に行ける。そんな社会環境をつくっていかないといけないのではないでしょうか。

(一財)日本交通安全教育普及協会のチャレンジ

交通事故でかけがえのない命が失われたり、負傷する人が少しでも減らせるように。一般財団法人日本交通安全教育普及協会は、そんな願いを掲げ、交通安全教育の普及・徹底を目的として全国的に活動しています。

危険への感受性を高め、
高齢者の運転寿命を
延ばしていきたい。

(一財)日本交通安全教育普及協会

東京都千代田区東神田1-9-8
THE WAVES AKIHABARA(旧ミユキビル)7階

https://www.jatras.or.jp

交通の危険を実感できる、シミュレータ講習。

高度成長期後半の昭和40年代、交通事故死者数が年間に1万6000人を数え、「第一次交通戦争」とも呼ばれた時代がありました。とくに小さな子どもが犠牲になるケースが後をたたず、子どもの安全を守るために、1968年に設立されたのが一般財団法人日本交通安全教育普及協会です。最初の頃は小学生を対象とした交通安全指導に取り組み、しだいに中学・高校生、一般の人へと対象を拡大し、全国規模で活動を展開してきました。

同協会の主な活動は、交通安全教育の普及と徹底です。学校の教職員、自動車教習所の指導員、行政担当者や交通指導員などを対象にした交通安全教育の指導者を養成する研修会の開催、オンラインを活用した交通安全教育手法の開発・普及などに取り組んでいます。さらに、一般の人々を対象にした教育にも力を注いでいます。その一つとして、2018年より、歩行者・自転車・自動車それぞれの立場で危険を予測できるシミュレータの開発と、それらを活用した講習を開始。年間約400回にわたり、全国各地の学校等に交通安全教育シミュレータと指導員を派遣。児童・生徒たちにバーチャルリアリティの世界を通じて、危険予測と安全確認の重要性を伝えています。さらに近年は360度映像で交通事故を疑似体験できるVRを用いた研修も実施し、高校生を中心に好評を得ています。

高齢者安全運転講習会での活用
交通安全イベントへの出展
小学校での交通安全教室

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高齢ドライバーを事故から守るために。

同協会が本格的に高齢者向けの交通安全教育を始めたのは、2000年頃。最初は高齢歩行者の事故を防ぐために必要な知識を提供。続いて高齢ドライバーへの教育を始め、近年は高齢者の自転車事故を防ぐための教育にも力を注いでいます。

高齢者の傾向として、危険に対する意識は非常に高いものの、危険に気づかずに行動してしまうところがあります。そのため、高齢ドライバー向けの講習会では、それぞれの身体能力の変化をチェック。動体視力や開眼片足立ち(バランス能力)などの診断を行い、加齢に伴い衰えている現状を認識できるように促しています。また、自動車運転のシミュレータを用いて、交差点の右折など危険が多く潜む場面を模擬体験することで、人やバイクの飛び出しなど、どんな危険に配慮して運転すべきかを実践的に指導しています。

認知機能や身体機能が衰えても、危険感受性を高め、事前に危険を予測し、以前よりスピードを落として適切な安全確認を心がけることで安全に運転を続けることができます。歳をとったから運転はだめというのではなく、衰えた機能をうまく補完して安全運転につなげ、高齢者の運転寿命を少しでも長く延ばしていく。そんな理想の未来を思い描きながら、同協会ではこれからも、交通安全教育に力を注いでいく方針です。

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