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#17 介護殺人

介護殺人を防ぐために、
介護する人を
守る仕組みづくりを。

社会福祉学部 社会福祉学科

湯原悦子 教授

湯原悦子教授の専門分野は司法福祉。主に「介護殺人・心中の予防」「介護者支援」「犯罪・非行からの立ち直り」をテーマに研究に取り組んでいます。湯原先生に、介護殺人はなぜ起こるのか、介護殺人を防ぐにはどうすればいいか話を聞きました。

社会課題

家で介護している人が、被介護者を虐待する実態。

 厚労省では、高齢者虐待の実態を検証し、防止策を講じるために、全国での調査に取り組んでいます。令和4年度の厚労省の調査報告(※)によると、高齢者の世話をしている家族、親族、同居人などによる高齢者虐待について相談・通報があった件数は38,291件、そのうち虐待と判断された件数は16,669件でした。その発生要因では、被虐待者の「認知症の症状」、虐待者の「介護疲れ・介護ストレス」、虐待者の「精神状態が安定していない」、「被虐待者と虐待者との虐待発生までの人間関係」などが挙げられました。被虐待者の多くは高齢女性で、要介護度が重く、日常生活自立度(寝たきり度)が低い(身体機能が低下している)ほど、虐待の深刻度が高くなる傾向が見られました。一方、被虐待高齢者が見た虐待者の続柄は、「息子」がもっとも多く、「夫」「娘」が続いています。

 こうした調査結果を踏まえ、市町村では高齢者虐待防止対応のための体制整備が進められています。たとえば、「養護者による高齢者虐待の対応の窓口となる部局の住民への周知」、「保健医療福祉サービス介入支援ネットワーク」づくり、「関係専門機関介入支援ネットワーク」づくりなどが進められています。家庭内で起こる高齢者虐待、介護殺人を未然に防ぐために、行政を中心とした一層の取り組みが期待されます。

※令和4年度「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」に基づく対応状況等に関する調査結果

INTERVIEW

ヤングケアラーの実体験をベースにして。

まずは、先生が介護殺人を研究するようになったきっかけについて教えていただけますか。

湯原

もともと私の育った家庭は、介護を身近に感じる環境でした。母と姉が精神障害をもっていて、父が第一介護者として、私がサポート役となって母と姉を介護していました。私は、今でいうヤングケアラーだったわけです。その後、私は大学の法学部に進み、一般企業に就職したのですが、会社員として働いているとき、第一介護者である父が体調を崩し、私以外の家族みんなが病気になることがありました。そのできごとに直面し、私は改めて、将来、介護の問題にずっとつきあっていかなきゃいけないと自覚し、精神障害の勉強をしようと思って、本学の社会福祉学部2部に入学。働きながら、社会福祉について学ぶ道を選びました。

本学での学びが、今日の研究につながったわけですね。

湯原

そうですね。私は自分がヤングケアラーだった経験があるので、介護殺人のような悲しい事件をニュースで見たりすると、どうしても介護者の視点で考えて、介護者の方もとても大変だったんだろうなということを常々思っていました。それで、介護殺人について調べるようになった当初、介護者がなぜ加害者になるのかを研究した文献はあまりなく、被害に遭った方に着目した研究ばかりだったんです。なので、私はいわゆる加害者の気持ち、介護する方にもそれなりの事情があって、事件を起こすまでには挫折と苦難があったんだということを明らかにしたいと思ったのが、この研究を始めた思いです。

介護殺人はどうして起きるのか。

ときどき、介護殺人の痛ましいニュースを見聞きしますが、事件は増えているのでしょうか。

湯原

私は新聞記事から統計を取っているのですが、それによると家族が要介護者を殺害、あるいは心中する事件は年間、30〜40件くらい起きています。介護殺人の事件は増えていなくて、むしろ、ちょっと減っているぐらいです。ただ、参考になる統計がほかにもありまして。たとえば、厚労省の統計によりますと、高齢者虐待による死亡事例は増えています。どの統計に依拠するかによって、介護殺人事件の数え方は変わりますね。

そもそも介護殺人はどうして起きるのでしょうか。

湯原

介護者の立場で考えると、いくつかの要因が見えてきます。一つは、介護できるような状況にない人が介護を担っている、という環境的な要因があります。ちょっと昔ですと、介護者はお嫁さんの仕事という発想があったと思います。そのお嫁さんは若くて元気で、大変だけど、それなりに時間のやりくりもできる方でした。でも今、介護者で増えているのは、高齢の配偶者と子どもたちです。となると、高齢の配偶者は介護できるような体力はないし、子どもたちは仕事で忙しくて介護する時間がない。介護する人が、環境的に求められる介護に対応できないという事情があります。二つ目は、人間関係です。介護者が子どもの場合、過去に親子の間でいろいろ軋轢があったとか、逆に親子が共依存状態にあったなどの、関係性の問題が浮かび上がってきます。そうした人間関係を背景に、介護殺人に至ってしまったというケースが見られます。

SOSを出せない介護者たち。

そのほかにも、何か要因はありますか。

湯原

介護者の特性、性質も大きく影響すると思います。この言葉はあまり使いたくないのですが、頼れない性格といいますか、外部にSOSを出せない人が加害者になりやすいですね。介護殺人で多いのは、夫が妻を殺害するというケースですが、夫が完璧主義で献身的に介護に取り組んでいたりすると、リスクが高くなります。周りの人が「介護をいつも頑張っていて偉いですね」とほめたりすると、余計にSOSを出せなくなります。そういう人の介護現場で、何かのきっかけから、我慢できなくなって殺人に至ってしまう。たとえば、一生懸命にケアをしているのに、認知症が悪化して「あんた誰?」と言われたとか。排泄ケアをようやく終わったばかりなのに、また汚しちゃったとか。そういうちょっとしたできごとが、最後の引き金になってしまうことがあるようです。

そうなる前に、周りの人に助けを求めれば、介護殺人は防げたかもしれませんね。

湯原

そうですね。ただ、事件後に行われた裁判で話を聞いていると、子どもたちに頼らなかったのかと問われ、「子どもたちには子どもたちの人生があるから、巻き込みたくない。子どもたちが大切だからこそ、相談しなかった」と話す被告もいます。大切な存在だからこそ心配をかけたくない、その感覚は決して特別なものではなく、自分が親であれば、普通に思うことですよね。あえて相談しなかった理由としても十分に理解できます。また、介護者が精神的に追い詰められ、うつ状態になるのも危険です。妻が何回も「死にたい、死にたい」と言っている。今まで頑張って介護したけれど、自分の心が弱くなると「それもありか」と思って、将来に悲観して一線を超えてしまうケースもあると思います。こうした事情は、本人の声を聞かないとなかなか見えてきません。ですから、私の研究では当事者の声を聞くことを大切にしています。介護者の方がどこに絶望や悲しみを感じたのか。裁判で、被告が将来に悲観した状況と心境が語られると、「まさかそのような理由で、そこまで追い詰められていたなんて」と驚愕する場合も多くあります。

介護者を支援する体制が必要。

介護殺人を防ぐには、どうすればいいでしょう。

湯原

日本では、介護者を支援する体制が遅れているように思います。私がこの研究を始めて10年経った頃、海外で研究報告をする機会がありました。そこで海外の人から言われたのは「日本は要介護者を支援する法制度はあるのに、介護者を支援する法制度はないの?介護は両方が関わる行為だし、両方を支援しないといけないんじゃないのか」と。確かに、その通りだなと思いました。その後、日本でも介護者を支援する条例が各地で制定され、最近は介護殺人の事例を検証し、なんとか再発防止策につなげようという取り組みが強化されています。私もそこに関わっているので、これから積極的に進めていきたいと考えています。

介護に関わる周囲のスタッフが何かできることはありますか。

湯原

介護者の方のお話を聞いていると、スタッフのさりげない言葉かけによって救われたケースというのもいっぱいあります。介護者も支援が必要な存在ではないかと捉えることが大切ですね。実際、介護者は孤独かというと、周りには、医師やケアマネジャー、訪問看護師、ヘルパーさんなどがいます。ただ、みんな、要介護者に関心を持って話し合うわけです。介護者は自分もボロボロなのに、一生懸命、要介護者のことを話していたりする。そういう状況を見直し、周囲のスタッフが介護者の健康状態も気遣うようになれるといいですね。また、そうした働きかけが、スタッフのボランティアに終わるのではなく、ちゃんと介護報酬もついて評価されることがとても大事だと思います。そういう基盤づくりから、介護者を支える仕組みもできあがっていくのではないでしょうか。

もし身の回りに介護されている方がいたら、どんな声かけをしたらいいでしょうか。

湯原

周囲にSOSを出せない人の場合、「何か困っていないですか」と言っても、「困っていない」と必ず言われます。そこで私は、「眠れていますか」と聞いてください、とお話ししています。「眠れていますか」というのは聞かれて嫌な質問ではないし、寝不足になると言われたら「どんな状況ですか」と話を膨らませていくことができます。そうやって、介護者の思いを聞き出すことが、介護殺人を防ぐ一歩になると思います。

(一社)日本ケアラー連盟のチャレンジ

ケアラーとは、家族など無償の介護者のこと。一般社団法人日本ケアラー連盟は、ケアラーを気遣う人、ケアラーの抱える問題を社会的に解決しようという志をもつ人が集い、ケアラーの社会的支援の仕組みづくりに取り組んでいます。

ケアラーの存在を可視化し
社会全体でケアラーを支援していくために。

一般社団法人日本ケアラー連盟

東京都新宿区新宿1丁目24-7 ルネ御苑プラザ 513号室

https://carersjapan.com/

日本で遅れているケアラー支援の仕組み。

一般社団法人日本ケアラー連盟が結成されたきっかけは、有識者や研究者による社会保障政策研究会の場でした。そこで、家族に障害者をもつ出席者から、「自分は今、毎日家族を介護しているが、どこからも支援がなく大変疲れている」という問題提起がされました。確かに当時、介護される人の支援はあっても、介護する人、すなわちケアラーに対する社会的支援はありませんでした。そこで、海外の事例を調べたところ、先進国の多くはケアラーを社会で支える仕組みが整備されていることがわかりました。日本でも早急に社会的に支援する仕組みをつくらないと、超高齢化が急速に進むなか、総共倒れ社会になってしまう。そんな危機感を共有するメンバーが集まり、2010年、同連盟が発足されました。

同連盟の目標は、すべての世代の多様なケアラーが、介護によって心身の健康を損ねたり、学業や仕事に制約を受けたり、貧困や社会的孤立に追い込まれることないように、社会全体で支える仕組みをつくることです。同連盟では、調査研究、政策提言、支援ツールの作成、社会的キャンペーンなどに取り組むとともに、全国各地に在住する役員たちがそれぞれの地域に根ざし、非常勤・無報酬でさまざまな活動を展開しています。

内閣官房「孤独・孤立対策担当室」を訪れ、要請書を提出しました。
ケアラー支援法・条例の制定をめざして。

同連盟がめざすのは、第一に「ケアラー支援法」「ケアラー支援条例」の制定です。ケアラーの支援が法制化されることにより、まずケアラーの存在が社会的に可視化され、社会的認知が広がります。ケアラー自身も自分の立ち位置を自覚することができ、介護に関わる自治体や専門職の人々は、ケアラー支援の重要性を意識しながら医療や介護、福祉などの業務に携わることができます。

現在、国では「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」「医療的ケア児支援法」など個別の仕組みづくりを進めています。同連盟では、その動きを一歩前に進めて、全世代のすべてのケアラーの人生を横断的に支えるような法律の制定をめざしています。

日本では今、高齢化が進み、高齢者、障害者も増えています。また、ひとり親家庭が増えるなど、家族の規模はどんどん縮小。さらに、自立して生活できる健康寿命は平均寿命より短くなっています。その一方で、社会保障費用の抑制や介護人材・介護資源の不足も相まって、介護の負担が今後一層、家族に重くのしかかっていくことが予想されます。ケアラーは経済的にも厳しい状況に置かれています。こうしたなか、同連盟はこれからも、ケアラーを可視化する啓発活動や法制化に向けた政策提言に力を注いでいこうとしています。

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