秋田県にかほ市金浦。私はこの町に生まれ育ち、十七年になる。コンビニ無し。カラオケ無し。有名な飲食チェーン店などあるはずもない。友達から「金浦って何があるの」と聞かれても答えはいつも同じ。「畑とか漁港くらいしかないよ。遊べるような所が全然無いんだ」と苦笑交じりに答える。 祖母はこの町と六十五年付き合っている。私は時折愚痴ともつかない質問をする。「どうして金浦には何もないの」と。それまでは「人も少ないししょうがないねえ」と聞き流していた祖母だがこの時は違った。「もっとよく見てごらん。亜実に見えていないだけで、この町にはたくさんのものがあふれているから」と真顔で言ったのだ。 「たくさんのもの」 私は改めて考えてみた。やはり何も思い浮かばない。朝学校へ着くまでの間は誰ともすれ違わない。あるのは生い茂る草と木。何だかぱっとしない。 宿題のような祖母の言葉を考えながら過ごしていたある日、学校から帰ると玄関に大量の野菜が置いてあった。ナスやトマトなど、どれも大きくてすぐにでも食べたい野菜ばかりだった。その日の夕食時に、「あの野菜どうしたの」と私は母に聞いた。「あぁ、あれはこの町内のYさんからいただいたの。今食べている魚だって獲れたてなのよ。この町にいなかったら食べられなかったかもね」と母は私に言った。 このとき私は自分がひどく恥ずかしくなった。何が『この町には何もない』だ。畑がある、漁港がある、野菜を育てている人がいる。漁業をしている人がいる。そしてみんな何かしら分け合って暮らしている。そんなたくさんの人に支えられて私は生きてきたのだ。そう思いながら口に運んだ魚の味は格別だった。 「何があるの」と今度誰かに聞かれたら私は胸を張って答えてやるのだ。「畑、漁港、たくさんのおいしい食べ物。そして温かい心が溢れているよ」と。
何もない町だけど、現実に見えていないだけで、たくさんのものがあふれているんだという、どこの地域にもありそうな課題をムダなくまとめていて、読みやすい作品である点を評価しました。頭の中だけで考えた話ではなく、身近なエピソードを具体的に書いていて、そのエピソードを通して感じていた点を素直に書いているところに好感を持ちました。最後に書かれた「何があるの」と今度誰かに聞かれた時に、胸を張って答える気持ちを、これからも大切にしてください。