「よお来てくれたなあ」 その言葉は、私の心の中で優しく響いた。私はじいちゃんからのその言葉を、心のどこかで待っていたのかもしれない。 三重に住む私の曾祖父は、今年で九十歳になった。四年前に会ったきり、じいちゃんには会っていなかった。何度か倒れた、と親戚の人から聞き、「会いに行こう」と思い立った。そこで今年の冬、学校帰りに東京から一人で新幹線に乗って三重に向かったのだった。途中でふと不安がよぎった。私のこと、分かるかな。一度気にしたらますます不安になった。会いたい、でも少しだけ怖かった。 そんな私を包みこむようなじいちゃんの言葉に、私は胸がつまった。 「寒かったなあ。家入って、はよこたつ入りい」とあたたかい笑顔で家の前で出迎えてくれたじいちゃんの右手には、四年前にはなかった、太い杖が握られていた。 私が幼い頃によく遊んだ部屋は、時が止まったかのようで、懐かしいにおいもそのまま残っていた。その時、ふと机の上にあった一枚の喪中はがきが目に留まった。おそらくじいちゃんの友達だろう、享年八十八歳という文字が見えた。じいちゃんは静かに私の目を見て言った。 「年とるにつれて友達はだんだんいなくなるけどな、でもその分、ひ孫が生まれて大きなるのが本当に嬉しいことなんよ。かのんちゃん、今日は遠くから会いに来てくれて、ありがとうね」 大切な人を失ってゆく寂しさと、新しい命が生まれる喜び。激動の時代の中を生き抜いてきた九十年もの歳月の中で、じいちゃんはそれを何度感じてきたのだろう。 「長生きしてね、じいちゃん」 「かのんちゃんの子も見なあかんしなあ」 じいちゃんは私の背中をぽんと叩いた。 私の体にもじいちゃんのいのちが流れているのだと改めて感じた、冬の夜だった。
起承転結がしっかり整っていて、完成度の高いエッセイです。なかなか会う機会の無い「じいちゃん」との心の交流が、おじいちゃんの優しいことばを通してよく伝わってきます。そして、「喪中はがき」が効果的に使われていることが、このエッセイの印象を強めています。また、字が美しく、文字の配置にも気が配られていて、原稿用紙に読みやすく書かれていることが、内容をさらに引き立てています。