「夏のオアシス」
秋田県立花輪高等学校 3年
石井 優夏
汗をたらして学校からの坂を下ると、そこには私の「オアシス」がある。ここに辿り着き、自然とハニかむ自分。なぜだろう…。きっとそれは、“夏”だから。
私が呼んでいる「オアシス」とは、ここ鹿角に流れている地下水のこと。透き通った冷たい水が、なによりの自慢だ。
あるとても暑い日、私は友だちと一緒にこの場所を訪れた。すると、先客がいた。小学生とおばあさん。私たちもこの人たちに混じり、一杯飲むことにした。飲んだ瞬間、渇ききっていた私の体が、スーッと潤っていくのがわかった。おいしいとしか言いようのない水だと、改めて思った。小学生は“プハーッ”という声を出しながら、おいしそうに飲んでいた。このときの笑顔は、言い表せないほどキラキラしていた。おばあさんは、味を確かめるかのようにゆっくりと飲み、その後どこか軽快に見える足どりで帰っていった。
私はこのとき思った。明日も今日のように暑ければ、二人は必ずここに来る。私が来たいと思うように。
いつ、どんなときでも、そのまま飲める地下水があることはすばらしいと思う。しかし、それが当たり前と思ってしまってはいけない気がする。もしかしたら、私の知らないところで、町の人が一生懸命掃除をしてくれているのかもしれない。だからこんなにもきれいな水を飲めるのだろう。たかが一杯の水でも、心から感謝をして飲むべきだ。
この先地球環境が悪化し、この水も汚染されて飲めなくなるかもしれない。そうならないためには、一人一人が環境のことをよく考え、この水を守っていかなければならないと思う。
私は今年の夏で、この「オアシス」とお別れだ。来年の夏、この場所でこの水は、誰の「オアシス」になっているのだろうか。できれば、私以上にここを大切に想ってくれるような人であってほしい。
コンビニエンスストアや自動販売機などでミネラルウォーターを買って飲むのが当たり前になってきた時代だけに、地下水の大切さを表現したこの作品が魅力的でした。「このまちを離れるけれど、大切な水をこの先もずっと守って欲しい」という気持ちを素直に書いている点がとてもいいと思います。ただ、「自然とハニかむ自分……“夏”だから。」の部分は技巧が先に立って、全体の素直な表現とはそぐわないと思います。
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