「時計の針と給水塔」
東京大学教育学部附属中等教育学校 6年
脇本 佑紀
僕は今住んでいる町が大好きだ。12年くらいこの町で暮らしている。「僕」というものを築き上げてきた場所であるし、とても居心地がよいのだ。
小学校に行く途中の道と小学校の横に、巨大な塔があった。現在は使われていない給水塔だ。途中の道の塔には年中蔦が絡まっていて、秋にはきれいに紅葉していた。黒ずんだ無骨なコンクリートと、それをよりどころにしている柔らかな蔦の葉がなんともいえない雰囲気を醸し出していて、とても気に入っていた。塾帰り、夜中に塔の前を通ったときに見た月明かりに照らされる塔は神秘的で、塔には月もよく似合っているなと思った。
小学校を卒業して以来、あまりその道を通らなくなった。あるとき、ふと思いついて小学校の方を散歩することにした。見上げた先・・・塔は、なかった。跡形もなく取り壊されていた。塔を囲んでいた木々も、絡みついていた蔦もなく、あるのはならされた砂利だけだった。密かにフェンスを越え塔に登ってやろうと思っていたけれど、それももうかなわない。
「変わること」。それはきっと発展であり、逆らえない時の流れなのだろう。古くなったものは壊さなくてはならないし、ほうっておくわけにはいかないのだろう。
でも、理解しているつもりなのだけど、侘しくて、寂しい。文化財とかそんな立派なものではなく、ただの黒ずんだコンクリートの塔だ。でも、僕はずっとそれに見守られながら生きてきたのだ。無駄は、省かなければいけないのだろうか。社会的に見たら価値はないかもしれない。でも、そんなものでも、残してほしい。公園の大木だって、ちょっとした小道だって、思い出が重なれば心の帰る場所なのだ。
追記:最近、小学校の横の小さな道が廃止された。
「わたしが暮らすまち」の応募作の中では珍しく「都会」を取り上げた作品であり、美しい風景では無いけれど愛着を感じていることを評価して審査員特別賞に選ばれました。本文には出てこない「時計の針」をタイトルに象徴的に持ってきたセンスも光りました。
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