「碁盤と祖父と私」
早稲田大学高等学院 3年
関口 拓也
囲碁好きの祖父は対局の時、いまだに私を「拓っくん」と呼ぶ。その度に、高3にもなって「上手くなったね、拓っくん」と呼ばれるので、照れくさいやら、嬉しいやらで何ともくすぐったい気持ちになる。とはいえ、アマチュア七段の実力者に誉められるのは、やはり素直に嬉しいものだった。
そんな祖父もここ1年、少しずつ老いの陰りが見えてきた。一手一手は依然として鋭いのに、よくどちらの番かを尋ねるようになってきた。対局中の世間話でも、同じことを何度も訊いたりする。別居のため会う機会も多くはないのだが、その度に忘れている事柄が少しずつ、しかし残酷な程着実に増えていく。先日も言ったはずの学年、部活や趣味など、私のあれこれが忘れられていると、それをまた伝える度に心が痛む。本当は尋ねる祖父自信が一番つらいのに、それを顔に出さない性格を知っているから尚更だ。
ついこの間も、私を従兄弟と間違えた時の、口惜しさと申し訳なさの入り交じった祖父の顔は、忘れられない。
祖父は強い。囲碁ばかりでなく人間としても強い。そのために、自分の弱さを一番許せないのだろう。祖母に八つ当たりをして喧嘩になったなどという話もよく耳に入ってくる。
本当は、可愛い孫だからこそ、自分の弱さを見せるのはつらいだろうに。それでも祖父は、まだ私を囲碁に誘う。それは、祖父が私に、自分の生き様、老いてもなおプライドを失わない生き様を、見せようとしているのだろう、と最近思うようになった。
今はまだ、一人で歩き、生活できる祖父も、いつかは他者の介護を必要とするかもしれない。その時には、私こそが力になりたいと思う。
老いることは弱くなることでは決してない。無言でそれを語ってくれる人生の先輩とこれからも対局し続けてゆきたい。教わることは、まだいくらでもあるのだから。
祖父との触れ合いや、作者の祖父に対する思いがよく描かれています。時の流れの中で、老いていく祖父に対する切なさと、碁を教えてくれた祖父の強さがきちんと表現されて、「おじいちゃん頑張れ」という気持ちが伝わってきます。「自分の生き様、老いてもなおプライドを失わない生き様を、見せようとしているのだろう」と作者は書いていますが、作者を相手に碁を打つおじいさんの気持ちの中には、孫と碁を打つ楽しさもあるのではないでしょうか。
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