「家族として生きる」
山口県立宇部高等学校 2年
高橋 昌子
2年前の事です。留学先のホストブラザー、ティムが、暴走してきたトラックに自転車ごと跳ね飛ばされ、意識不明の重体に陥りました。病院につきっきりのホストマザー、事故の処理に追われるホストファザーを心配しつつも、私にできたのは、様々な連絡の入ってくる家の留守番をしながら、ただ回復を祈ることだけでした。ところが、事故の翌日から今まで会った事のない人達が、途切れる事なく訪れ、ごくあたり前のように、食事を置いていったり、庭の手入れや掃除・洗濯をかってでてくれました。そして、後で家族に報告するからと名前を尋ねる私に、どの人も「私が誰なのかなんてどうでもいい。大事なのは、このティマルの町のみんなが、ティムの回復を願っているということだけよ」と言うのでした。人々の優しさに感謝しながらも、16歳の普通の少年の事をどうしてみんなが知っているのか、不思議でなりませんでした。
その答は、2週間後にわかりました。ティムの大きな手術が行われる事になった日、NZティマル教会の鐘が、ティムのために鳴り、町の全ての人が彼のために祈ってくれたのです。私は、教会で牧師先生の「この町の一人の少年が耐えている痛みは、私達の痛みです。困難と闘おうとしている少年は、私達の家族です。」ということばに、ハッとしました。ティムに会ったことがあってもなくても、ことばを交わしたことがあってもなくても、ティムの生命を家族の生命として愛おしむことのできる想像力が、ここにはあるのだと気づきました。気の毒だという同情心や一時的な親切心でなく、一人の少年と自分を愛によって結びつける想像力――家族という言葉にこめられた大切なものを教わった気がします。
ティムは、あの鐘に託された祈りのお陰か、奇跡的な回復をとげ、今は理学療法士になる夢を追いかけています。 「あの日ぼくを救ってくれた数え切れない家族のために」が、時折メールを送ってくる彼の口癖です。
「ごくあたり前のように、食事を置いていったり、庭の手入れや掃除・洗濯をかってでてくれました」という部分に、町全体の温かい雰囲気がよく伝わってきます。自分の家族のことを書いた作品が多かった第2分野の中で、町の人全体が家族として接してくれた体験を書いたこの作品を新鮮に感じました。たぶん「宗教」が背景にあると想像しますが、なぜ町の人たちがここまでするのかをもう少し踏み込んで書くと、さらに良くなったと思います。
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