「言葉をこえた友情」
神奈川県立市ヶ尾高等学校 1年
岡崎 雄介
『なんて所に来てしまったのだろう。』
これが、私の精神障害者の為の作業施設を初めて訪れた時の正直な気持ちだった。
夏休みのボランティア活動で私は、精神障害がある方々との職業体験に参加した。私は知さんと呼ばれている18才の男性と部品の組立てをすることになった。知さんは言葉を話せない。時々発せられる「あー。」とか「うー。」という声を頼りに意志の疎通を図らなくてはならない。その声が時に叫び声のようにも聞こえ、初日は緊張というより恐怖で、体より心がどっと疲れてしまった。
二日め、知さんは私を「あー。」というやわらかい声と共に笑顔で私を迎えてくれた。私はその時ふと気がついた。知さんの「あー。」や「うー。」にはいつも意味がある事を。知さんはこの声で自分の心を表現し、会話をしているのだ。それに気付いた時、私は自分の心が軽くなり、知さんと接する事が楽しくなった。すると不思議なことに、知さんも前にも増して私に声をかけてくる。そんな時、私は知さんの目を見て、その表情から心を読む努力をした。喜怒哀楽を表わす実に表情豊かなその声の様子に感心しながら、私は知さんの声の調子に合わせ、顔をゆがめたり、ほころばせたりして会話を楽しんだ。
最終日の三日め、すべての部品の組立てが終わると、明るかった知さんの声が急に暗くなった。知さんは私の両手を包み込むように握りながら「うー。」と言った。
「寂しいよ。」、私にはそう聞こえた。私は急に胸があつくなり、涙ぐんでしまった。今まで多くの人と出会ってきたが、こんな短い時間を共にしただけで別れがつらくなるような経験をしたことがあっただろうか。
「また、絶対に会いに来ます。」
そう言うと、知さんはゆっくりと手を放し、笑ってくれた。知さんとの出会いは、私にとても大切な事を教えてくれた。人は、お互いに心を開いて理解し合おうとすれば言葉がなくてもわかり合えると言う事を。
劇的なできごとは何もありませんが、作者の心の動きが素直に表現されています。「あー」「うー」という声に最初はとまどい、交流するうちに気持ちが伝わってくる。そんな、作者の心が変化していく過程がよくわかります。障害者との触れ合いを書いた作品がいくつもあった中で、よくまとめられた作品でした。
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