イメージ タイトル
学長メッセージ
審査員の評価と感想
受賞者紹介
入賞者発表
第1分野 人とのふれあい
第2分野 みんなが暮らすまち
第3分野 国境を越えた交流
第4分野 社会のできごと「どうして?」
募集テーマ内容・募集詳細はこちら
応募状況
参加校一覧
TOPに戻る


入賞者発表
第3分野 国境を越えた交流
審査員特別賞 「国籍という存在」
兵庫県立尼崎稲園高等学校 二年 崔 由香
 私は在日朝鮮人四世である。日本で生まれ、日本の学校へ通 っているため、日本人と何も変わらないが、国籍だけが違う。私はいつも、国籍とは不思議なものだと思うのである。
 私が朝鮮人だということを実感するのは、同じ朝鮮人の親戚がたくさん集まった時だ。子供は民族系の学校へ通い、大人は民族系の仕事をしている。曾祖母は、ほとんど日本語が話せなかった。結婚式では、新郎も新婦も、そこに訪れた人も、チョゴリを着る。葬式では、大泣きして亡くなった人を送る。法事も日本の形式とは違う。たくさんの朝鮮料理を用意し、人々は亡くなった人に対して三回ひざまずき、礼をする。何もかもが朝鮮式だ。
 私は日本に住んでいるから日本のことはいろいろ知っている。でも、私が知っているのは日本だけではない。それが、私にとっては、国境を越え、世界とつながっているような感じがして嬉しい。こうした、人と違う部分を持っているということで、自分の個性も見つけやすかったとさえ思う。実は、私は朝鮮人と日本人のハーフである。母はもとは日本人だった。書類上で外国人になったというだけで、母の生活に何も変わりはなかった。私にも同じ事が言える。しかし、ほとんど書類上だけのことなのに、「朝鮮人」という意識を私は持っている。その、私の意識が違ってくるという部分に、本当に国籍とはおもしろく、不思議なものだと思うのである。周りの日本人と私は違う。ハーフの私は、周りの朝鮮人とも違う。そのことで、私は私という人間がこの世に存在していることを深く実感した。すると、もっと世界を知りたいと思うようになった。
 人と違うということは大変かもしれないが、その違いから自分の存在を実感することは、誰にとってもよいことだろう。この考えにより、国籍など関係なく、お互い尊重しあえる世界になるのではないか。
  講 評
 自分のアイデンティティやポジションを前向きにとらえて、あっけらかんと明るく書いている点を高く評価しました。「国籍とはおもしろく、不思議なものだ」という視点が、書き手独自のものですばらしいと思います。「まだ国籍なんて形のないものにこだわっているの?」という声が聞こえてきそうで、楽しく読めた作品です。このポジションを活かして、実際の生活でも「自分はこうする、こうしたい」と訴えてほしいですね。

Copyright ©2003 Nihon Fukushi University. All rights reserved.
本ホームページからの転載を禁じます。