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「命を抱く」 |
立命館慶祥高等学校 三年 近藤 麻以子 |
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ベッドから身をのりだし、私たちをじっと見つめる一人の少女。2歳にもならないだろうその少女との出会いは、ヴェトナムの孤児院だった。
高校2年の秋、枯れ葉の舞う北海道を飛び立ち、蒸し暑い真夜中のヴェトナムへと降り立った。私たちの目的は研修旅行で、『命を抱く』というテーマを持って現地を訪れた。写真でしか見たことのないヴェトナム戦争の後遺症に苦しむ子供たちに会いたい、そう思っていた。
私の出会った少女は、ベッドの柵につかまり立ちをしながら、私たちをものめずらしそうに見ていた。誰が見ても元気そうな少女の病名は、エイズ。その部屋には、少女の他にも何人かの子供がいてみんな生まれつきHIVに感染している子供たちだった。一番長く生きている子で10歳、体のとても小さな男の子だった。
少女の母親は、売春婦だったという話を聞いた。原因は、貧困。生きるための最終手段だったのだろう。誰が悪いのか、そんなことはわかるはずがないと思っていた。しかし、引率の先生の話を聞いたとき、はっとした。悪いのは、私たち自身であったのだ。子供たちを苦しめているのは、戦争で使用された枯葉剤だけではなく私たちの贅沢…。
孤児院でひっそりと暮らす、多くの子供たち。彼女たちは、現地の人にもその存在を知られないまま短い生涯を終えていくのだ。少女の体をそっと抱き上げたとき、とても温かかった。いつ冷たくなってしまうかわからないその体のぬくもりを忘れないよう、ずっと抱きしめていた。私たちは、彼女たちがこの世に生きた「証」となったのだ。私は、自分の体験を周りの人たちに話すことで、少しでも貧困解決につながることを強く望んでいる。何かをしようとする前に、現実を知ることが大切だと思う。だから私は、伝え続ける。
もしもまた、その場所を訪れることができたら小さな体を抱き上げるのではなく、再会を喜び、抱き合いたい。それが、私の願い。 |
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ヴェトナムの子供たちを抱き上げるだけでなく、目の前の子供たちを通していろいろ考え、体験を深めている点を高く評価しました。また「再会を喜び、抱き合いたい」という点に、幼くして死ぬかもしれないが、元気で生き延びてほしいという書き手の気持ちがうまく表現されていて、意味深い結びになっています。ただ「悪いのは、私たち自身・・(中略)・・私たちの贅沢」という表現は、少し飛躍しているような印象を受けました。 |
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