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はじめてのふくし

これからの「ふくし」 ─ いきがいのある、心豊かな「ふくし」社会への一歩

「ふくし」の仕事の目的は、「いのち」を大切にして、「くらし」を豊かにすることだといいました。 これからの「ふくし」を考える場合にもこの点が重要です。 むろん、「くらし」を豊かにするためには、心の豊かさ、つまり「いきがい」が必要です。

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(1)身近な生活の場を「ふくし」社会に

これまでは、日本を含め世界の多くの国が、国を単位として「ふくし」の充実をめざしてきました。しかし、よりきめ細かで豊かな「ふくし」社会を実現するためには、ナショナル(全国的)な水準だけでなく、ローカル(地域的)な水準で考えることが不可欠です。
「いのち」を守り、「くらし」を豊かにし、「いきがい」を持ち、質の高い生活を営む場が、ふだん私たちが生活する「地域社会」です。
地域社会とは、わたしたちが住む「まち」や「むら」ということです。
まちやむらという地域は、さまざまな人間の必要(ニーズ)とその充足の問題を解決する主体が存在する「総合的な場」にほかなりません。
そして、「いのち」「くらし」「いきがい」という3つの価値を大切にしながら、守り育て、快適に生きてゆくことのできる社会を、「ふくし」社会と呼ぶことができます。
この「ふくし」社会を実現していく、最小の単位が地域社会です。
豊かな「ふくし」は、国やまちやむらといった政府・自治体部門だけでなく、多様な主体によって担われています。
企業をはじめとする市場部門、NPOなどのボランタリー部門もいまでは大きな役割を果たしています。
これらの各主体が対等な関係に立ち、相互に連携し、補い合いながら生きていくことが、地域の中で求められています【コラム14】。

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(2)「いのち」の尊さ

20世紀は、戦争の世紀といわれました。そして、21世紀の今日も、宗教や民族の違い、国と国との利害が衝突して、世界各地の戦争は簡単にはおさまりそうにありません。難民(なんみん)は4,000万人ともそれ以上ともいわれています。
戦争と貧困(ひんこん)、飢(う)えで亡くなる人の数は想像できないくらいたくさんいます【コラム15】。
一方、世界の人口は、2000年に60億人をこえ、21世紀半(なか)ばには90億人に達するといわれています。
人口が増加するのは開発途上国が大半です。
開発途上国では、たとえ戦争がなくても貧困(ひんこん)や環境破壊、民族紛争、エイズ感染など、人びとは多くの「いのち」がおびやかされる問題をかかえています。
本当の「平和」とは、戦争がないということだけでなく、地上のだれもが安心して明日を信じて生きられることです。
アジアで初めてノーベル経済学賞を受賞したインドのアマルティア・センは、「社会的コミットメント(約束、義務、責任を果たす)」という考え方を示しました。
センの考え方をわかりやすくまとめて紹介します。センは、人間には2種類の「自由」があるといいます。
一つは自分の「ふくし」を向上させる自由です。もう一つは、場合によっては自分の福祉を犠牲(ぎせい)にしてでも、危険にさらされている他人を救おうとしたり、社会正義のために行動する自由です。
他の人たちの願いを自分の使命としてすすんで引き受けることも、人間として大切な「自由」だというのです。そして、これらの自由を支える条件を整えるのが、各国の政府や国際社会の役割なのです。
[参考文献:アマルティア・セン原著、大石りら翻訳
『貧困の克服-アジア発展の鍵は何か』(集英社新書, 2002)

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(3)ゆたかな「くらし」とは何か

『パパラギ』(岡崎照男訳, 学研, 1981)という本があります。
西サモアの小さな島に住む酋長(しゅうちょう)のツイアビは、ヨーロッパの文明社会を体験しますが、自然と調和して生きる南の国の生活ほど豊かなものはないと実感します。パパラギとは白人のことです。
ツイアビは、パパラギが、カネやモノのとりこになって目の輝(かがや)きを失い、有り余るモノを持ちながら、となりに不幸な人がいても平気であり、「時間を虐待(ぎゃくたい)」していることをなげきます。
現在、共生(きょうせい)ということばが広がっています。
仏教の言葉では「ともいき」というようです。
「くらし」は、みんながともに豊かに、あるいは豊かな気持ちになってこそ楽しいものです。
自分の持っている物や力を少しでも社会に役立てる活動がボランティアです。それはやがて、「順ぐりのおかえし」(至文堂, 現代のエスプリ『ボランタリズム』副題)となって広がっていきます。
「くらし」を楽しくするためには、まずは自分が社会のなかで生かされている(社会参加している)という実感を持つところに出発点があるのではないでしょうか【コラム16】。

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(4)「いきがい」を持つこと

経済的に豊かな国に数えられながら、日本では、中高年を中心に1日90人近くの人が自殺をしています。
テレビにうつる開発途上国の子どもの瞳は輝(かがや)いています。
それに比べて日本の子どもは少し疲れた顔をしているように見えるかもしれません。
いま日本では、高齢者も、中高年も、子どもも、日常の生活に満足できていないのでしょうか。
一番ヶ瀬康子さんは、日常生活要求を3つのレベルでとらえています。

がそれです。(一番ヶ瀬康子『福祉文化論』, 有斐閣, 1997)
私たちが満足できていない要求レベルは、(1)よりは(2)、(2)よりは(3)の比重が大きいように思われます。やりたいことができていないということです。自分の生活に満足できていなければどうなるでしょうか。
高齢者は、自分の歩んだ人生にふさわしい生き方がしたいと思うかもしれません。
中高年は作業や生活に追われ、家族や友人と過ごす時間がなくなり、仕事に疲れ果ててしまうかもしれません。子どもは、楽しいはずの勉強や学校というイメージが持てないまま、いろいろなことが辛(つら)くなってしまうかもしれません。
これらには、日本の文化のレベルが反映しているともいえます。
心のゆとりが失われてしまっているのではないでしょうか。
せかせかと目先の利益に向かい走っていて、走ることそのものが目的になってしまっているのではないでしょうか。
いきいきしている人たちの多くは、夢を持っています。そして、それを実現するための目標があり、人の輪(ネットワーク)を持っています。
人とのつながりは、趣味であったり、スポーツであったり、芸術であったりします。文明より文化、物質より精神の豊かさが、「いきがい」として求められているのです。
「いきがい」があるから、「いのち」が輝(かがや)きを増し、「くらし」の質が高まるのです。
すべての人が快適に生きられる街づくり、物づくり、そして社会の仕組みをつくること。すべての人びとの「いのち」を大切にし「くらし」を豊かにする、「いきがい」を見つけることを支える、それらのすべてが「ふくし」なのです。
さあ、あなたはこれから「ふくし」について何を学びますか……。

考えてみよう

豊かな「くらし」とは、あなたにとってどんな「くらし」
ですか。あなたの住んでいる「地域(「まち」や「むら」)」
とのかかわりの中で考えてみよう。

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