○吉田
 そこにはもう 1 つ素材の違いもあると思う. 自然素材と人工物の違い. 人工物が欠けたりすると本当にみっともないのです. これが必ず自然素材でやっていると, 欠けようが何だろうが大丈夫. 部分的に人工素材, たとえば P タイルを貼って, それが破けたら本当にみっともないのです. 自然素材の木だったら, 汚れようがきれいになる. まず自然素材を使うというよさがある.
 もう 1 つは, みんなでやるというのは, 形容詞の世界になってしまうから, 数字の世界と違ってしょっちゅうコミュニケーションをやっていないと, 成り立たないのです.
 つまり, みんなで造るときに, 自然素材と, 形容詞の世界のコミュニケーションとの 2 つをやっていかないと, おかしくなっていっちゃう. だから, ここではみんなほとんど自然素材で造っているから, むちゃくちゃでも僕は黙っとります. ここへ何か人工物で作ったようなものを持ってきたら, 「それはやめて」 と言っただろうけれど.

○佐々木
 なるほどね, そこは一平さんの中のくちゃくちゃの中にも, やはり線引きがあるわけですね.

「形容詞の世界」 のマネージメント

○吉田
 それと, くちゃくちゃの中でなにかやるには, どうしても形容詞でやらないといけない. 形容詞でコミュニケーションを取るということについては, うちの施設も初め 30 人ぐらいの職員だったのが, がーっと大きくなって, 今, 職員が 150 人か 200 人いるでしょう. これではだめなのです. 形容詞の世界は, 大きくするとだめなもので, 今僕は, 小さい単位に変えていこうと思うようになった.

○佐々木
 小さい単位にして, 形容詞でコミュニケーションをとっていくために, 一平さんは具体的には何をなさるんですか?

○吉田
 僕の仕事なんて, 言ってみれば資格もない, ベテランでも何でもない. みんなに働いてもらって, もめているのを 「まあ, そう言うな」 というのが僕の仕事だものね. 「まあまあ, わかった, わかった. すまんの. ともかくわかった」 と. 「頭に来た, 辞めます」 と言って辞める人はいます. 残った人がまた辞めていくというのは, いくらでもある. それは謝るしかない. それをするのが僕の仕事なんだ.
 人が増えればもめる. だけど, どんなやり方でも, もめる中でこらえたり悩んだり, いろいろしていくのが暮らしであり世の中だもんで, そういう習慣というか日常というか訓練というか, そういうのがずっとあったのですね. それを受け入れてやらないといけない. つきあうのもつきあい, けんかするのもつきあい, 形容詞の世界というのは, たぶんそんなものだと思う. 僕の勘というか, 僕の今までのやり方は, そういうふうだった.

 




 ただ近ごろ思うのは, 世の中が変わってきたということ. それは僕みたいないいかげんな者の言っていることが世の中で受け入れられている, それがいいと言ったり, 共感する人が増えてきているみたいということ. 20 年くらい前に始めたけれど, その前だったら, たぶん受け入れられません. 「あんた何しようっていうの」 と言われる. 今は, 素人がいいんじゃないですか. しかし, これは時代の一瞬の問題で, こんなのがいいかどうか, わからない. こんなのは大まちがいかもしれない.

○佐々木
 大まちがいというか, 紙一重というか.

○吉田
 そうそう. 戸塚ヨットスクールかもしれない. 例えばこの前オーストラリア人がここを見に来て, オーストラリアでは, こんなばかなことやってられないと言うわけ. なぜですかと言ったら, そんなのぽんと火をつけられたら, みんな燃えちゃう.

○佐々木
 そうですね. 確かに, 吉田さんがおっしゃったように, こういうものをすごく理解してくださる人たちが増えているという意味では, いい方向に行っていると私は思うのだけれど, 一方で, どうやってもコミュニケーションを取れない人種というのも, やはり確実に増えていますでしょう?そんなの, 事故や雷みたいなものだけれども, それに遭っちゃうかもしれないな, という怖さはありますね.

○吉田
 
そう. だから結局, うちの場合, 幼稚園なんて極端で, 何も教えない. ほったらかしで適当にやると言って, でも自然があふれているそれでもいいという人に来てもらうしかないものね. 私立だから, まだいい. これを公立にしたら, このやり方は通用しない. 嫌ならやめてもらっていいよというぐらいしないと. でも, 一歩まちがえて, こんなところで大ケガしたら, なんてなるとやはりね. 幸い今のところ 20 年間, そういうことがなかったけれど.

○佐々木
 運がいい. 私も自分の息子には, とりあえず元気でちゃんと育ってほしいと思うから, それなりに教えたり言ったりしますでしょう. だけど 2 年ぐらい前に, 池田小学校事件があったじゃないですか, あれを知ったとき, これは何をやってもしょうがない世の中なんだな, 運としか言いようがないものの力が巨大化しているなあと思ったの.
 本当に, あれはつらくて, かわいそうな大変な事件だったと思うけれど, そういう時代に生きているんだなあって. だからあまりきりきり言ったって, しょうがないかなって, 何か気がぬけてしまいました.
○吉田
 
理解を超えた人たちとどういう共存をしていくのか, 難しいよね.


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