○吉田
 そこだけ木が残っていたから工事を待たせて 「切っていかんで」 と頼んで, サラリーマン時代のもう使わないカッターシャツを持ってきて, それを木に巻きつけて, 「これだけ切らないで」 と言ったのが始まりだった. そういうものは理屈じゃなくてね.

○佐々木

 動物的な勘ですか?

○吉田

 勘というか, 何かね, 急に寒くなっちゃった. 毎日回っているところが, 全部, だーっと広くなっちゃった. いっぱいあるときは邪魔だった山が, なくなったら何かすごくね, 寒くなっちゃった. 何に使うかとは, わからない. でも木を守れば, おもしろい場所になると思ったもので, そこを残しただけ. そのあとで, 子どもたちが寄るところがないなら遊び場にしようかとか, 幼稚園の子どもが遊ぶのにちょうどいいわ, というようなもので結果的に幼稚園になった.

○佐々木
 なるほど. 初めて事の起こりがわかってきました

もりの幼稚園・老人福祉施設  
   時間に追われない国へ   

○吉田
 ただ幼稚園をつくるといっても私は何も知らない. たまたまサラリーマン時代の友人に久しぶりに会って話していたら, 今は会社を辞めて文具や教材を売って, 幼稚園の父母の会の会長もやっていると言うわけ. 「俺, 幼稚園つくりたいと思ってるんだ」 と言うと, 「それなら園長に聞いてあげるから, 一緒に来い」 というので, 大阪の豊中へ行った.
 そこの幼稚園に行って, おばあさん幼稚園の理事長に会って, 「はじめまして」 と言って, 夜, 飲んで, 「幼稚園をつくりたいんです」 と言ったら 「それは学事課に行って相談するといいわ」 と言われた. 「うん, そうか」 と, その日の夜, 新幹線で帰ってきて, 県庁に行って 「学事課ありますか」 と言ったら, 学事課というのは今, 私学振興室だというので, そこに行って, 「幼稚園をつくりたいんですけれど」 と言った. いろいろ聞かれて, こういう山があって, こういうところにつくりたいというと, 申込書を書けというわけです. うちのおやじに聞いたら, タイプで打たなくても, 墨で書けば通用するというわけだ (笑). それで思いを書いて, 何べんも通った. 幼稚園のことなんて何も知らないのだから. ただ, おもしろいところを作ろう, 子どもが楽しいところを作ろうとだけ思っていたから, カリキュラムなんて言葉全然わかんないから (笑). でもそれでできちゃった.

○佐々木
 建物がまたユニークですがこのケアハウスも設計もなさったノブさん, 酒井宣良さんのデザインですよね. どこでお知り合になったのですか.

○吉田
 子どものときから同級生だ.

 




○佐々木
 あ, なるほど.

○吉田
 とおりいっぺんのものをまず考えたけれど, 「だめだめだめ, こんな設計なんかだめだ」 って. 作った模型を全部壊して, ノブさんといろいろ考えた. 2 人とも幼稚園も保育園も行ったことないのだけれど, 何が楽しいかって, 何日も何日も話した. そのときの結論はね, 一番楽しいのは, 隠れて遊ぶことだった.

○佐々木
 男の子は特にそうですよね. 基地をつくったりして.

○佐々木
 なんだか目に浮かぶような…. その幼稚園から特別養護老人ホームに行くのに, そんなに時間はあかなかった.

○吉田
 幼稚園では, とにかく雨降り以外は外にいろ. あとは動物と年寄りといっしょに, 農耕民族的行事だけやれということで始めたのです. ところが年寄りと職員がうまくいかないので敷地の外に年寄りの人だけ, ちょっと離れみたいなものを造ろうと思ったわけね.
 ちょうどあのころ, 僕は足助屋敷にはまっていた. あそこに毎日のように行っていたわけです. 「おもしろいな, こういう昔の民家を造って, 年寄りと子どもを遊ばせたらいいな」 と思ってそういう幼稚園を造ったのです. そうしたら, 老人ホームを造ろうかという話もあったわけです.
 特別養護老人ホームというものは, 話は聞いていたけれど, 実際に見に回ったらものすごい施設なわけです. 何も知らないからとても経営なんかできないなと思った. けれども回っているうちに, こんなこと言うと怒られちゃうけれど, 何となく僕の育った田舎の風景のおばあさんたちは, 汚い中で, 寝たきりでも大体表情があったのに, 特養ホームのおばあさんたちは, きれいなところにいるけど表情がないわけ.
 幼稚園も老人ホームも, どうも会社みたいになっていた. 幼稚園に行っても, ビルで蛍光灯で制服を着て時間で動いて, まるで会社だもんね. 特別養護老人ホームを見に行っても, 16 年前だから, 名古屋でも数 10 軒ぐらいしかなかったけど. ビルで蛍光灯で, 事務所があって, 会社みたいだと思った.

○佐々木
 放送があるとエレベーターにのって食堂でごはん食べて.
○吉田
 そう, そう. 僕たちは, 汚い縁側があって, 柿の木があって, 子どもがいて, チャボがいてと, そういう風景の中で育ったから, 幼稚園も特養もそういうものだと思っていたのですが, 実際は会社みたいだった. そのうちに, 僕がやったらもっといいものを作れると思った. そんな単純な思いがありましたね. 別に他意はないです.
 でも特養のことも何も知らないから, 「おばあさんは, 必ず死ぬ. だから, 死んだらそのときはしょうがない. 生きておられる間は精一杯楽しんでもらおう」 という話で始めた. だから, 老人ホームの職員も全員素人. そうしたら, 県に叱られた. 二十歳やそこらの娘ばかり集めて, 何をやるんだと言われてしまった. 「人件費を安くして, もうけるつもりだろう」 とか, めちゃくちゃ言われたのです.


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