○吉田
 入ったときは, 手書きで在庫台帳を作って, 倉庫へ荷渡し依頼書を手書きで書いて. 電話でも, 市外局番は呼び出しだった. 配送はトラック輸送は少なくて, オンレールだった. それが昭和 39 年のオリンピックで, 新幹線と東名高速道路ができて, 出張も 38 年までは 1 週間ぐらいかかって信州や静岡に行ったのが, 日帰りになりました. どえらい変わったときが 39 年でした. 鉄のつくられ方も全く変わった.

○佐々木
 なるほどね. そういう急激な変化を, とにかくよいこと, ハッピーなことだとみんな思って, だーっと突き進んでいったわけですよね. 一平さんの場合もそう感じていたのですか?

○吉田
 そんな, すごいとかすごくないなんていうのは, 思ってなかった. だんだん体が大きくなっていくのと一緒で, 毎日, それが日常だった.

○佐々木
 でも, 15 年ほどたって体を壊されてしまった. 要するに, 自分で意識的に人生の方向性を変えたというより, 体を壊したという外的な要因で, ぱたっと, それまでの忙しい生活が止まったということですか?

○吉田
 体を壊したのは, 結局, 猛烈だったからです. 営業マンというのは, とにかく, 夜は酒は飲むわ, ゴルフはやるわで遊びがすごかった. だから, 子どもをふろに入れたことは本当にないね. それが体を壊して止まってしまった. それもあるけれど, あのころ, おやじが町長に出るといって, そうすると近所づきあいをしないかん, それこそ消防団もやらないかん, ということもあって, 生活が変わったわけ.
 考えてみると長久手でのくらしというのは江戸時代とあまりかわらないくらしだった. つまり, 薪を火にくべて生活していたようなやつが, ある日会社へ背広を着て行く. そしてものすごい時代の変化を体験した. ちょうど私たちは, 長久手に生まれて, 20 年間江戸時代, 20 年間超近代があってそれから 15 年, 今のような形でここまできた.

 





○佐々木
 私は, まだまだかろうじて, 日本がこんなにお金持ちになる前の時代の雰囲気を, 多少覚えている最後の世代かなと思っていました.

○吉田
 そうだね.

○佐々木
 例えば, 蒸気機関車が走っていたのを見たことがあるとか, スーパーマーケットなども, 初めてできたというのをまだ覚えているわけですよ. でも江戸時代につながるくらしはさすがにわからないな.

○吉田
 ぼくの子供のころは江戸時代と何ら変わるところなかったね. 病気のあと, 地元では田舎の消防団をどうしてもやらなければならないこともあって会社は辞めた.

○佐々木
 消防団をまた猛烈な勢いでやられたわけですか?

○吉田
 1 年間は親方だったから毎日訓練やったり夜中までのんだり, 相当忙しかったけれど, それも終わって 「さて, どうするんだ」 と.

○佐々木
 で, 突然, 幼稚園をやろうかなと思われたのですか?

○吉田
 消防団をやっているとしょっちゅう, 消防車に乗って町を回るわけです. 消防水利はどこで池はどこにあってと, 地理を頭にたたき込まないといけないから. ちょうどそのときに区画整理が始まっていて. 山を削り田んぼを埋めていた, がーっと. それがどんどんこっちにせまってくる. それを毎日見ていると, 「ちょっと待って」 という気になった. うちがもっていた山も削られることになったとき, なぜか知らないけれど 「ちょっと待って. ここだけ残して」 と言って残してもらった場所が, 「たいよう幼稚園」 になったんです.

○佐々木
 そうだったんですか.

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