Jam Session  STAGE 7

ゲスト 社会福祉法人 「愛知たいようの社」 理事長代理 吉田 一平 氏

聞き手 日本福祉大学情報社会科学部 助教授 佐々木 葉
   


JAM SESSION 第 7 回目のゲストは, 愛知県長久手町の雑木林の中に福祉コミュニティ 「ゴジカラ村」 をつくり. 自然に寄り添う福祉や教育を実践するなど多彩な活動を繰り広げられている吉田一平さんです.

吉田 一平・よしだ いっぺい
昭和 21 年愛知県生まれ
15 年間の商社勤めの後, 長久手町に福祉コミュニティ 「ゴジカラ村」 をつくり, 自然に寄り添う福祉や教育を幅広く実践する. 昭和 56 年の 「愛知たいよう幼稚園」 をかわきりに特別養護老人ホーム 「愛知たいようの杜」, 「もりのようちえん」, 子育て支援 「コロポックル」, 介護福祉士養成専門学校 「愛知福祉学院」, グループホーム 「嬉楽屋」, ケアハウス・ヘルパーステーション・デイサービスの複合施設, グループホーム 「よりみち」 などを企画, 運営.

○佐々木
 こんばんは. お久しぶりです. ゴジカラ村の周りが区画整理の造成であまりに変わってしまったので, びっくりしました. 10 年くらい前に始めて来た時は本当に雑木林の奥の奥, という感じの場所でしたし, このケアハウスの工事現場を見せていただいたときにはまだこんなに造成が進んでいなかったので. 急に開けてしまいましたね. でも, 建物のそばには雑木が残っていますし, 何よりこのケアハウスの中には文字通り庇を貫いて木が生えている. 山の中の散歩道のような感じが建物全体に満ちています. このあたりは, 吉田さんが長い時間をかけてすこしずつ作られてきたゴジカラ村と呼ぶエリアですね. つまり, 特別養護老人ホーム, 幼稚園, 福祉専門学校, そしてケアハウスの集合体. そして, さらに, 私も少しお手伝いさせていたけれどお役に立てなかった, 区画整理地区の中での新しい森のニュータウン構想があって, これをまた独自に吉田さんが展開しようとしている. その模型を今日, 見せていただいて, すごいなあ, と思いました. 今日は, それぞれの施設や事業についてというよりも, そこに流れている吉田さん, いつもは皆と同じに一平 (いっぺい) さんとお呼びしているので, そう呼ばさせていただくと, 「一平ワールド」 のようなものがどこから沸いてくるのか, といったことを伺えれば, と思います. よろしくお願いします.

○吉田
 はい. まあ, 飲みながらやりましょう. 料理もたくさんあるし. このケアハウスの食堂には, ふぐ料理で有名な日本料理屋が入っているから, うまいんですよ.

○佐々木

 そうですね. いただきます. で, 実は, ここに都市基盤整備公団中部支社の最近の機関紙に, 一平さんのインタビュー記事が出ていて, 事業の内容や一平さんが考えておられることがすごくうまくまとまっているんです. それもあって今日は, そういうことを次々と考えて実行する吉田一平という人のルーツは何かがお聞きしたいんです. 1946 年のお生まれとありますが.

 

 




   高度成長期の猛烈な変化      
   −時間に追われる国の人   

○吉田
 1946 年の 4 月 1 日生れ, 昭和 21 年だから, 昭和 36 年に中学校卒業のときは, まだ長久手は田舎で, ほとんどの人が百姓をやるか, 瀬戸の陶器工場へ銭もうけに行っとった. ぼくも中学校から瀬戸へ働きに行く予定だったけれど, 親友が高校へ行くというので, 高校へ行くことにして, それで初めて名古屋へ出た.
 それから就職は, 僕が行った高校が商業高校だったから, うちのおふくろが, 東邦ガスの検針員がいいというわけ. 「なんで?」 と言うと, 「あれはええぞ. 外で日に当たってのんびりできる」 と言うわけです. 「そうか, 東邦ガスの検針員になろうか」 と思った (笑).
 うちのおやじは, 名鉄の切符切りをやれというわけ. なぜかと言うと, 名鉄の切符切りは, 会社がつぶれても線路を持ってこられるというわけだ (笑). そうか, ほんなら名鉄に行こうかなと思った. そしたら, 岡谷鋼機という会社に, うちのおやじの同級生がいた. 倉庫の所長らしい方で, 頼めば何とかなるというわけで, そこへ行ったわけ. それが昭和 39 年.
 それで 44 年, 23 歳のときに嫁さんをもらって, そのときに初めてうちへ冷蔵庫が来た. そうしたら, 食卓が変わったのですよ. 唐揚を食ってこんなうまいものが世の中にあるのかと思った. 食い物から人生が一変した. 世の中もそのころからすべてが変わっていった.

○佐々木

 一平さんのいう 「時間に追われる国」 の最先端に入っていくわけですよね.

○吉田
 僕の会社は鉄鋼関係の商社だった. 「鉄は国家なり」 という時代で. すごい勢いだった. 会社に入ったとき年間の粗鋼の生産量が 5000 万トンぐらいで, 僕が辞めるときには, 1 億 3000 万トンぐらいになっていたかな. とにかく量を増やす. とにかく 「猛烈にやれ」 って, 徹底的にしごかれた. 昭和 39 年, 40 年のオリンピックのころから, すごかった.

○佐々木

 日本が 「エコノミックアニマル」 といわれた時代ですね.

佐々木 葉・ささき よう
昭和 36 年神奈川県鎌倉市生まれ.
日本福祉大学情報社会科学部 助教授.
早稲田大学理工学部建築学科卒, 東京工業大学大学院総合理工学研究科前期博士課程修了. 博士 (工学).
東京大学, 名古屋大学工学部助手等を経て現職.
専攻は都市景観論, 景観デザイン.

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