ITコミュニケーションのもたらす幻想
● 佐々木
先ほどネットワークの質の話がでましたが,その媒体,つまり情報伝達のツールが急激に変化して,ファックスのネットワークから今は完全にインターネットの時代になりました.萩原さんは,やっと最近,ご自分でメールがプリントアウトできるようになったとか.そういうコミュニケーションツールの変化というのは,確実に市民運動にも影響を与えていますか.
● 萩原
IT のことを評論するほどまだやってはいないけれども.
● 佐々木
でも「中部リサイクル」の仕事の仕方も確実に変わっていますでしょう.
● 萩原
完璧に変わっている.大体ファックス,ワープロの時代から,今はパソコンがほとんど1 人1 台みたいな状況になっています.その当時から考えると信じられないものね.いろいろな本の中で「市民革命」と「情報革命」というのが,18 世紀からの産業革命以降の近代国家の限界を超えていくんだというのは,たくさんの人が言っているし,そのとおりだと思う.けれども,言っているのはコンピューターということではないんだよね.コンピューターだって古くなる可能性があるし,やっぱりツーウェイで伝達できる道具でしかないので,本当はその中身,コミュニケーションの問題だよね.でも人間というのは道具依存のところがあって,技術を暴走させてしまう.そこに対して人間が人間としてコミットしなくなったときに問題が起きる.そこのいびつさが環境問題を起こしたように,コンピューターでも問題を起こすわけですよ.それは弊害として感じますよね.
● 佐々木
具体的に,これはちょっとヤバイんじゃないかという問題がありますか.
● 萩原
問題というよりも,幻想が多いな,とは思いますね.例えばリサイクルをやっていて,コンピューター化すると紙が減ると言う.おかしなことを言うな,と.コンピューターという道具を使って情報が非常に増えると,その情報を別の媒体である紙に落とそうとするから紙は増えるはずなんですね.つまり,コンピューターを使うと全部OK みたいな,何でもそういうふうに万能薬的に使うでしょう.
● 佐々木
コミュニケーションも円滑になった,という幻想がありますよね.メーリングリストでしょっちゅういろんな情報があちこちから来るから,みんな情報を共有しているような気分になるけれど,でもそれは幻想かもしれない.
● 萩原
そう,そういう弊害がある.間違いというよりも幻想だな.やっぱり一番確かなのは,触れ合うというところで,もっと微妙なニュアンス.
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あの人がこっち側に首を曲げたときというのはどういうことかという,麻雀やるときの癖を見抜く世界,あのレべルへ到達しないと本当に理解するということはないでしょう.多分コンピューターでもそこまで行けるとは思うけれど,逆にどんどん錯覚するという気がしますね.
コミュニケーション能力と状況づくり
● 佐々木
萩原さんは非常にコミュニケーションというものを重視する方だと私は思っていて,その意味でも,萩原さんが「状況をつくる」という言葉をすごく多用される点が,とても面白いなと以前から感じていたんです.何か自分が意見を言うとか,声明を出すというのとニュアンスが違いますよね.
● 萩原
明らかに違います.
● 佐々木
先ほどの市民とは何かというところでは「コミット」という言葉が出てきましたが,萩原さん自身は様々な「状況をつくる」という形で物事に「コミットする」というように理解していいですか.
● 萩原
ちょっと違うけど,そういう役割も非常に大きい.僕は状況という言葉を意識して使っていたわけではないけれど,指摘されて改めて考えてみると,これは環境問題というのはやっていったら「関係問題」だったというところから来ていると思う.要するに「A とB,私とあなたのこの間にあることがおかしくなっている.ここの場を整えることである」というような意味,ここがまず原点にあるんだと思います.お父さんとお母さんがいい関係を取り戻すことが大事,それが自然と人の関係であったり,アメリカとソビエトだったり.
● 佐々木
新しいA というものを作るんだとか,A がだめだからC にしろ,という提言ではなくて,常にあるものの関係を整えていくことからスタートするという感じですね. もう一つ萩原さんの使われる「状況」という言葉に私なりに感じるのは,ある種他力本願的なニュアンスです.状況はある程度つくる,そこから先はその状況にかかわっている人間のあり方だというような意味で.絶対的な価値観を提示するというのではない,常にそこにかかわっている人たちの価値観の相対的なやりとりの中で進んでいこうというニュアンスが感じられるんですが,いかがですか.
● 萩原
市民が圧倒的にごみを出すようなライフスタイルを望んでいるときに,犬の遠ぼえのように市民団体が「ごみを出すな」と言ってもだめなんです.それは我々の運動が未熟だという意味でもあるし,みんなの意識までは変えられなくて,みんなが変わってくれるのを待つという他力本願になるのかもしれないですね.
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